二人の秘密基地で
ロキ
第1話
「おばあちゃん、久しぶり!」
「よく来たねぇ。」
夏休みの半ば頃、私と母、そして姉は祖母の家にやってきた。
家に入ると、蚊取り線香の香りがつうっと鼻から抜ける。やっと祖母の家に来た心地がした。私が蚊取り線香のそばで深呼吸をしているのを尻目にかけながら、姉はそそくさと通り過ぎていく。蚊取り線香を毛嫌いするからあんなに蚊に刺されるんだよ、とは言わないでおく。もっとも、私も蚊取り線香の効果に絶大な信頼を寄せているわけではない。
部屋に荷物をおき、リビングに向かう。すでにテレビを見てくつろぐ母と、麦茶を用意する祖母、単語帳を開いている姉がいた。
とくにやることがない私は、さっき気になったことを祖母に尋ねた。
「家の片付けでもしてるの?物が減ってるね。」
「片付けようと思ってねぇ。……そうだ。書斎の本で、欲しいのがあったら持って帰ってくれると本も喜ぶと思うわ。」
書斎の本、という言葉に本好きの私と姉の耳がピクリと反応した。性格も正反対なのに、ここだけは同じなのだ、この姉妹は。本に無関心な母は、相変わらず昼のワイドショーを眺めている。
「ありがとう、おばあちゃん!」
私は早歩きで書斎へ向かう。いい本を姉の手には渡らせまい。しかし、私の後を姉も追いかけるように早歩きでやってくる。
「私がおばあちゃんから聞き出したんだからね。」
「知ってる。でも、あたしだって気になってたし。」
一歩先に辿り着いた私は、鼻息を少し荒げながら扉を開ける。そこには本の山々が連なっていた。これは二泊三日の大仕事になりそうだ。
それからどれくらい時間が経っただろうか。いくつかの山を一通り吟味し終え、ほっと息をついた私は、分厚い本の間に茶色くなっている薄い本が挟まっているのを見つけた。薄いのにデザインが凝っていて、なんとなく目を引く。思わずその本を手に取り、パラパラとめくってみた。
――いたずら好きな少年が、土地に眠る不思議な力を呼び覚まし、光に包まれたのちに河童に変身してしまった。河童となった少年は、――
「夕飯できたよ、二人とも書斎から出ておいで!」
お母さんの威勢のいい声が、書斎に飛び込んできた。二つの顔がそれぞれ本からハッと上がる。窓の外は日が沈んでいた。私は続きが気になりつつも、本を山のてっぺんに無造作に置くと、持ち帰る本を数冊抱えて夕食に向かった。
「書斎に本がたくさんあってびっくりした!」
「おばあちゃん、あたしも何冊か持ち帰っていい?」
「もちろん。喜んでもらえて嬉しいねぇ。」
祖母と母の手料理のコラボ、書斎の本、母が見たテレビ。にぎやかに夕食の時間は過ぎ、いつもより少し夜更かししてから布団に入る。ずっと、さっきの薄い本が頭の中を埋め尽くしていた。河童になってしまった少年。不思議な力を呼び覚ました場所が、祖母の家の近くの秘密基地に似てる気がしていた。ここで思い出したことも何かの縁だろうし、明日久しぶりに行ってみようかなどと考えながら眠りに落ちる。
次の日、朝食を片付けてすぐ、私は秘密基地に行った。木々が涼しげに佇んでいる中を、五分ほど歩くと見えてくる。
すぐ近くには心ばかりの小川が流れ、低木に囲まれた中央には堂々とした切り株があり、草はのびのびと生えている。……やっぱり似ている。そして、秘密基地の姿は昔と変わらない。だからだろうか、昔のことを思い出してしまった。
ここは、私と姉の秘密基地だった。幼いころは祖母の家へ行く度に、二人でここに集まった。切り株をテーブル代わりにして、おしゃべりや遊びをする。大人は入れない、子どもだけの楽園。昔は仲の良い姉妹だった。けれどお互いが大きくなるにつれ、好きな服が違う、好きなテレビが違う、些細なことでだんだんと会話は減っていった。そして姉は頭が良いらしく、どんどん勉強に時間を費やしていく。そこそこしかできない私とは大違いで、たまに鼻にかけてくる。たとえ話したとしても、そんな感じでたいした内容でもない。いつからこんなに変わってしまったのか。姉は私のことや、昔の私との思い出をどう捉えているのだろうか。
いつのまにか感情があふれていたようだ。私は切り株の上に座ると、思いのままに細い木の枝二本を、ポキッと折った。その瞬間、カッとまばゆい光で包まれる。昨日の本の少年と同じことをしていたと、その時は気付かなかった。
風に煽られる感覚がする。目を開けると、私は飛んでいた。小川で姿を見ると、私は、蚊になっていた。
***
祖母も母も買い物に出かけた。妹のゆかも、朝から外にいる。たいして遊ぶ場所もないが、どこへ行ったのだろうか。唯一思い当たる秘密基地も、今更ゆかが行くとは思えなかった。蝉の鳴き声が、静かな部屋に響き渡る。夏は嫌いだ。蚊があたしの肌という肌を刺してくるから。視界に入れたくもない。でも蚊取り線香の香りも苦手なのだ。
玄関の横を通り過ぎたとき、蚊取り線香に歯向かおうとする蚊が目に入ったが、すぐに視線を戻す。通りすがろうとした時、か細くなったゆかの声が聞こえた。
「お姉ちゃん、助けて!蚊になっちゃったみたい……。」
「え?」
さっきの蚊をもう一度見る。大きく縦に動いて、アピールしているように見えた。ゆかが、あたしの大の苦手な蚊になったなんて、信じられない。
「本当にこの蚊が、ゆかなの?」
「うん……。」
そう言って泣かれると、姉としては信じて助けるしかあるまい。ずっと直視するのは抵抗があるが、頼られるこの感覚はなんだか懐かしかった。
あたしは泣きじゃくるゆかから、なんとか情報を聞き出した。昨日読んだ本に感化されて秘密基地に行ったこと、そこで主人公と同じく変身してしまったこと。ただ、主人公は蚊ではなく、河童になったらしい。そして家族に助けを求めようとするも、蚊取り線香に阻まれたこと。
まずはゆかが読んだ本を調べるべきだろう。書斎で昨日ゆかがいたあたりを探すと、それらしきものがあった。あたしは、早速読み始めた。
母たちの車のエンジン音が聞こえた。どうやら帰ってきたようだ。裏庭にいるゆかの元へ駆ける。ここは比較的、蚊取り線香の香りがしないらしい。
「お母さんたちになんて説明する?」
「お願い、まだ言わないで。お母さん心配性だし、できるだけ負担をかけたくない。」
「……わかった。でも、夕飯までに戻れなかったらさすがに話すからね。」
「うん。ありがとう。」
ゆかはおなかが空いていないらしく、一人でリビングへ向かった。
「ゆかはまだ帰ってないの?心配ね。」
「んー、さっき帰ってきて食べ物つまみながら出ていったよ?」
「そう?なら平気かしら。」
ほっと息をつき、そうめんを食べ始める。頭の中ではさっきの読みかけの本の内容がぐるぐるしていた。
河童になった少年は、いたずらの反省を込めて今までの被害者を巡り、お手伝いで償っていたが、元に戻ったかはわからなかった。河童は少年のいたずら心の権化なのかもしれない。でも、蚊は?ゆかと蚊にどんな関係があるのだろう?蚊といえば、あたしの方が関係がありそうなのに。
たいした解決策が思い浮かばないまま、やるせない気持ちが募っていく。あの本に出てきた場所は、やっぱり秘密基地に似ていると感じた。あたしとゆかの、大切だった場所。楽しい思い出の場所。でも、ゆかはあまり覚えていないかもしれない。仲の良かった姉妹は、しだいに話さなくなった。好きなものが正反対すぎる妹と話す話題は見つからず、皆に必ず付きまとう勉強のことでしか関われなかった。今日のこの事件で久しぶりに普通に話せている気がした。
***
お互いトゲトゲせずに話せている気がする、と裏庭に避難しながら考えていた。他の場所は、蚊取り線香のせいでとても近づけたものではない。そんな中、姉は蚊としてひょろひょろと飛ぶことしかできない私に代わって、あの本を調べてくれている。蚊が苦手なはずなのに、ここまで付き合ってくれるとは思っていなかった。私はこのまま蚊として一生を過ごすのだろうか。それはいやだ。
しばらくして姉に昼食を聞かれたが、この状態では何か食べる気にもなれない。しかし、姉からいい香りがすることは、本人には黙っておく。そして、姉と目が合わないと感じていることも。
昼食から戻ってきた姉から、あの本のあらましを聞いた。だが、これといった解決策は思い浮かばず、色々実行してみても、まったく変化はない。しいて変化と言えば、姉と話すことへのハードルが下がっていることだった。
そこへふと、カレーの香りが漂った。まずい、おなかが空いてきた。ペタッと地面に落ちた私を、姉が心配そうにのぞき込む。
「大丈夫?どこか痛い?」
「おなか、空いた……。」
少し考え込んだ姉は、ふと意を決したように顔を上げると、私の目をまっすぐ見て言った。
「あたしの血、好きなだけ食べていいから!ゆかのためなら、どれだけ刺されても我慢できる。」
「お姉ちゃんが嫌なことなんてしたくない!」
それに、人の血を吸ってしまったら、完全な蚊になってしまいそうだ。お互い泣きそうになりながら睨みあう。
「蚊なんて、克服したもの。」
突然、カッとまばゆい光に包まれる。手足の感覚が戻っていく。ガラスの戸で姿を見ると、人間に戻っていた。
「ゆか!良かった……。」
「お姉ちゃん、色々ありがとう。」
どうして私が人間に戻れたのか、答えはわからない。私の体力が尽きたからなのか、姉の蚊に対する嫌悪感が和らいだからなのか……。でも正直、理由はどうだっていい。私は姉とちゃんと関わっていこうと思えたから。
「あとでお姉ちゃんが気に入った本貸して。」
「いいよ。ゆかのも貸してくれるならね。」
まずは唯一の共通点の“本”から正反対を知っていこう。
「……二人とも今日はよく話すのねぇ。何かあったの?」
「別にー?」
蚊を経験した私から、一つみなさんにお伝えしよう。
蚊取り線香の効果は絶大である、と。
二人の秘密基地で ロキ @fsiqv
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