神曰く「あ! 光わすれてた!!」

外清内ダク

神曰く「あ! 光わすれてた!!」



 神の産んだ世界は初め、無限の虚無に満たされていた。天に色なく地に形なく、万斛ばんこくの闇が深みを満たし、朧なる霊が水面みなもを覆う。「水の狭間に大空よ在れ。水を上と下とに分けよ」神の力は言葉であるからたちまち仰る通りになった。それ以来、引き離された上の水と下の水は同胞と一緒になりたくてなりたくて、機会あらば互いの胸へ飛び込もうとするようになった。すなわち雨がそれである。すなわち蒸気がそれである。ゆえに水は天と地の間を絶え間なく循環するのである。

 「下の水は一つに集まれ。そして渇いた地が現れよ」かくして水は窪みに追われ、沼と池と海とができた。神が占有権を認めたおかげで地は今も堂々とのさばっている。ときおり水が版図奪還を志して氾濫と津波で侵攻するが、十日と持たずに乾いてしまうのは地に強力なケツモチがあればこそなのだ。

 神はまた言った。「地に青い草と種持つ草と、種入りの実を生す果樹とが生えよ」そのとおりに草木が生え栄えたが、かわいそうなのはキノコであった。青くもなければ種もなく、実は生るけれど樹ではない。おかげで植物仲間から軽んじられて、ずっとキノコは日陰者だ。

 神はだんだんノってきた。「水は生き物でいっぱいになれ。鳥は遥かなる大空を飛べ。獣は地に住め。家畜と、這うのと、そのたもろもろ。産めよ増やせよ地に満ちよ」これを聞いて亀は困惑した。なぜなら亀には泳ぐやつと、地を這うやつと、回転しながら空を飛ぶやつがいたからだ。「えっ、僕らどこ行けばいいの?」「どうしよ」「どうする?」「えびたべたい」「もう意見統一するのメンドくさくない?」「各自で行こうよ」「そうしちゃおっか」「じゃーね、ばいばい。またLINEする」こうして亀は一つの種でありながらいくつにも分かれた。足を見ればそれが分かる。ヒレになっているのが水の亀、爪があるのが陸の亀である。

 そして最後に神が言った。「我が形をかたどって人を作り、魚と鳥と家畜と獣、すべての地を這うものを治めさせん。人よ、種ある草と種ある実を結ぶすべての木とを汝に与える。産めよ、増やせよ、地に満ちよ!」

 こうしてたっぷり6日をかけて森羅万象が完成した。できた世界を眺め見て、神は言った。「ヨシ!」と。

 7日目。大仕事を片付けた満足感に包まれながら畳にノンビリ寝そべっていた神は、突如ガバ!! と起き上がってこう叫んだ。


「あ! 光わすれてた!!」



   *



 神は大慌てで世界を見に行った。ひょっとしたら忘れてなかったことを忘れてただけで忘れてたなんて何かの間違いかもしれない、いやそんなわけないけどワンチャンあるかなって思ったからだ。やはり世界に光はなかった。どこもかしこも真っ暗闇だ。神は膝から崩れ落ちた。

「やっちまったァァー!」

 絶叫を聞きつけて天使がワラワラ寄ってきた。「なんやなんや」「ナンや」「ナンやてなんや?」「ナンや」「なーんやぁー」事情を聞いた天使たちのうち、一番標準語の上手い者がおずおずと申し出た。

「あのー、神様、今からでも『光あれ』って言えばいいのでは?」

 神は沈痛な面持ちで首を振る。

「プラモでさ、塗装してデカール貼ってトップコートまで吹いちゃった後で『腿の延長わすれてた!』って叫んでも後の祭りだろう?」

「あー、もう新しいキットで作り直したほうが早いやつ……」

「今いる生き物滅ぼしていいならなんとかなるけど」

「やめてください」

「だよなあ。時間かけて準備して軟着陸させるしかないな。じゃあ我、光導入の仕込みしてくるね。56億7千万年くらいかかると思うから、その間、君たち、よろしく」

 よろしくと言われても天使も困る。とりあえず世界を観察してみたが、やはりどの生き物も全然想定していなかった方向に進化と適応を始めていた。

 光がある世界では、植物が光合成で有機高分子を作り、他のあらゆる生物はこれを栄養として生きるはずだった。つまりエネルギー収支的な観点で言えば、光を食って生きてるようなものなのだ。

 では、光がない世界ではどうなるか? 他のエネルギー源に頼るしかない。

 そこで繁栄したのが、火山のマグマが放つ莫大な熱エネルギーを利用する微生物である。微生物はまず海底火山のそばで繁殖し、徐々に地球全土に広がっていった。この微生物たちが生態系を下支えする世界唯一の《生産者》となった。

 次いでこの微生物を捕食する者たちが現れた。捕食者は次第に大型化し、捕食者を捕食する者と捕食者を捕食する者を捕食する者と捕食者を捕食する者を捕食する者を捕食する者とそれら全部が死んだあと死体を捕食する者が生まれ出た。しかし光と違って地熱が生態系の根本だから、生物の生存に適した場所は実に狭い。地球は、数少ない火山地帯を奪い合う修羅の国となった。

 やがて奪い合いに有利なように、数々の感覚器官が発達しはじめた。触覚、嗅覚、そして聴覚。動物たちはこの便利な聴覚を加速度的に発達させ、エコーロケーションなどを利用して互いの位置を知るようになった。

 そんなある日、世界に革命的なゲーム・チェンジャーが登場した。

 言葉である。

 神が造った最後の生き物、人間は、ここまで鳴かず飛ばずでどうにか生きていたのだが、あるとき不意に一人が気づいた。「音を記号化して意味を伝え合うようにしたら、めちゃくちゃ便利じゃね?」

 そう、神が己に似せて作った神の子たる人間は、神の力たる言葉をついに独力で見出したのだ。これはすごいことだった。言葉があればなんでもできる。一人の発見を全員に伝えることができるし、自分が死んだ後も知識を残すことができる。さらには許しがたい悪人や見ているだけでイライラする馬鹿がいたときには相手の嫌がる的確な罵倒で虐めたおすことさえできるのである。言葉の力はあんまりにもすごかったので、すごさのあまり人間はものすごい勢いで勢力を増し、ほんの2000年ほどで世界をすっかり支配した。

 高度に発達した人間の街は、数限りない音色に彩られた音響都市となった。街には多種多様な音楽があふれ、愛も友情も敬意も親切もすべて声によって交わされた。店先にはかならず歌い手が何人も立ち、商品の良さとサービスの快適さを高らかに歌い上げた。ひとりぼっちの人は喉を天へと突きあげて涙を誘う慟哭を放った。その声をきっと誰かが耳にして、いつか返歌をくれるだろう。「あなたは一人じゃない」「誰も一人じゃない」と……



   *



 そんなおり、悪魔が天から地上へ降りてきた。悪魔はもともと天使だったが、神のうっかりミスを見て完全に失望し、地上の生き物たちに深く同情するようになった。

「いいかげんな仕事しやがって。おかげで地上の奴らは何も見えなくてかわいそうだ。俺がなんとかしてやろう」

 悪魔は一人の人間にすり寄り、その耳元で囁いた。「いいか、こんな生きづらい世の中になったのは全部神のせいなんだ。光っていうものを知ってるかい」

 人間は首をかしげた。

「いや、知らない」

「それは素晴らしいものだ。天から無限に降り注ぎ、あらゆる争いを過去の物にするほどの莫大なエネルギーを供給するのだ。光があればもう火山地帯の奪い合いで血を流す必要もないし、お前たちの知らない世界が見えるようになる」

「『見える』ってなに?」

「ああ。そうだったな。『感じ取れる』みたいな意味だ」

「へえ! 君の言うことはかなりいい感じに聞こえるよ」

「そうだろう。でも光は神と天使に独占されている。奴らは今すぐにも光をもたらすことができるのに、変に出し惜しみして生き物が苦しむのを眺めてるんだ。どうだ? 神を倒そう。お前たちには幸せに生きる権利がある。俺と一緒に、『光』という至高の宝を奪い取ってみないか」



   *



 かくして、悪魔にそそのかされた人間たちは、神と天使に反乱した。人類が音声言語によって積み上げた素晴らしい知識と技術の数々が、残らず動員されて兵器として使われた。炎。剣。そして爆弾。人類の高度な知能は、なるべく効率よく他人を殺傷するという目的のため存分に発揮され、かなりいい感じの殺害用アイテムが数限りなく作られた。その圧倒的な物量と火力の前には天使でさえ太刀打ちできなかった。

 天は燃えた。天使は死んだ。人間たちは天の宮殿の最奥の、『入るなよ! 絶対入るなよ!』とでかでか貼り紙された宝物庫にまでたどり着いたが、残念なことに光が無かったので誰ひとりとして文字を読むことができなかった。

 宝物庫の扉をこじ開け、人間は、ついに光を手にした。

 その途端、世界が明るく照らしだされた。だが、光を目の前にしながら、人間はぼんやり呆けているだけだ。

「これが光? いい音も鳴らないし、匂いもないし、手で触れることさえできないぞ。なーんだぁ、たいして面白いものじゃないなあ」

 人間たちには知るよしもないことだが、後からムリヤリ光を導入した影響で、このときすでに世界は端っこから順に崩壊を始めていた。神はまだ戻らない。56億7千万年のうちあと何年が残っているのか、今となっては、誰も知らない。



THE END.

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神曰く「あ! 光わすれてた!!」 外清内ダク @darkcrowshin

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