線香花火
古博かん
線香花火
今から数十年前の話、まだ私が小学生だった頃。
当時は、大阪府内の少々辺鄙な田舎町に家族四人で住んでいた。
大阪の中心地へは国鉄に乗っても十五分くらいはかかっていたと思う。近くもないけど遠くもない——という距離感の町々には、そこらじゅうに田んぼが広がっていた。
我が家も例に漏れず、昭和感漂う昔ながらの白い外土壁と青い瓦屋根が実に趣深い、二間をガラス引き戸で間仕切るキッチンダイニングが併設された二階建ての借家暮らしだったのだが、周囲を田んぼで囲まれ、学校の行き帰りにはショートカットで畦道を小走りし、舗装されたアスファルト上には無惨に轢かれたぺったんこのカエルを目撃するのが夏の風物詩とも言える、そんな環境で伸び伸び育った。
お盆の頃になると、近所の子どもたちで集まり、花火遊びに付き合ってくれる大人たちに見守られながら、家路地の前で手持ちの花火を楽しむのが恒例だった。
色とりどりの煙を上げる手持ち花火に大はしゃぎしながら楽しんでいると、ふと、舗装された車道を挟んだ斜向かいに聳える平屋の豪邸の車寄せで、静かに花火を楽しむ老婆と幼い二人の子どもたちの姿があった。
いわゆる「庄屋さん」の流れをくむ地元の名士であり、お金持ちの邸宅。
重々しい瓦屋根に縁取られた立派な外壁に囲まれた門構えのお宅には、広い専用の車寄せスペースがあり、門扉を開放すれば、その奥にはさらに立派な前庭があって、大きな飛び石が母屋の玄関まで続く、そんな昔懐かしい田舎建築なのだが、そこの住人と私たちには、ほとんど接点がなかった。
何となく庶民とは異なる感覚のためか、とっつきにくくて付き合いづらい人たち——失礼ながら、子ども心にもそう感じる人たちだったことは何となく覚えている。
当時、お盆といえば親類縁者がうち集い、ご先祖さんの供養行事に従事するのがまだまだ一般的だった時代だが、そんな時期に一家揃って海外旅行(確か行き先はハワイとか言っていた気がする)に行くとかで、つくづく住む世界が違うなと思ったものだ。
だから、立派な門扉にはこの時期の風物詩である盆提灯が提げられることもなく、色鮮やかな盆灯篭もない。
カエルの鳴き声が響き渡る賑やかな夜からは隔離されたように暗い空間が、ただただ広がっているのだが、そんな重々しく閉じられた門構えが控える車寄せで、静かに寄り添うように線香花火を灯している三人の姿には、正直、違和感しかない。
いつの間に表に出てきていたのかも定かではない。
それに、よくよく眺めていると装いもまるで、ひと昔もふた昔も前に時間が止まったかのようだ。
藍染めの朝顔模様も落ち着いた綿の浴衣をまとい、まだら白髪を一つにまとめた団子髪の老婆。
幼い子どもたちは孫と思われる男の子と女の子なのだが、男の子の方はマルコメ坊主頭にユルダボっとした白いタンクトップと継ぎ当てを施した半ズボンに下駄を履いていて、女の子の方は当時でも珍しいパッツンおかっぱ頭に花柄のアッパッパを着ていた姿が、やたらと印象に残っている。
まるで、戦前の昭和の服装だ。
一言も発することなく、三人が三人とも、ただ黙って静かに手元の線香花火を見つめている。
楽しいというよりも寂しいとさえ感じる光景を、私もまた言葉もなく車道を隔てたこちら側から見つめていた。
ふと、隣に誰か立つ気配がして振りあおぐと、母の視線もまた同じ方向を見つめていた。
どうやら、私だけに見えている光景ではないらしい。そのことに俄かに安堵を覚えたが、母は黙って私の肩に手を置くと、賑やかに盛り上がっているこちら側の花火遊びに私を引き戻した。
素直に従いはしたものの、やはり気になってもう一度振り返ると、車寄せには誰の姿もなかった。初めから何もなかったかのように、ただ暗い空間だけが広がっている。
(あれ、どこ行ったん?)
不思議に思って母を見上げると、母は静かに首を振った。
「お盆やからね」
その一言で、私も薄々理解した。
誰も迎えてくれない、送り出してもくれない、そんなお盆のせめてもの慰めとして、賑やかに盛り上がっている花火遊びの片隅で、自分たちのために静かに線香花火を灯していたのかもしれない。
そう考えると、何だか他人事ながら妙にやるせ無い気持ちになった。
「何や、さみしいな」
「あかんで、そんなん言うたら」
基本穏やかな母が、珍しくピシャリと言い放つものだから、私もそれ以上は黙ってこくりと頷いて、残り少なくなった花火を手に取り、色鮮やかな灯火を見つめる。
シメは、もちろん——線香花火だ。
線香花火 古博かん @Planet-Eyes_03623
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