楼閣にて
「今日は長く外にいたから冷えているだろう。お前は酒が好きだと聞いている」
そう言って
「ええ、好きですけど……それは一体誰から?」
実は静蘭は前に霊玄と酒を飲んだ時以来、たまに酒を嗜んでいた。霊玄が酒にとても弱い事が判明したため、霊玄に悟られないようにこっそり呑んでいたつもりだったのだが。
「
「そうですか……でも霊玄様はお酒に弱いですよね?天趣城ならまだしも、外で呑んで大丈夫ですか?」
「大丈夫。今日はここに泊まったっていいだろう?」
確かにここは今日明日はもう誰も来ないだろうし、暖も取れるし一晩過ごすくらいなら何の不自由も無いだろう。たまには良いかと思い、静蘭も承諾して二人で酒を呑み始めた。
「美味しい!霊玄様、これ結構高価だったんじゃありません?そんなものを両親にもありがとうございます」
「美味いなら良かった」
思いの外この酒が美味だったらしく、静蘭はどんどんペースをあげて酒を呑む。それに対し、霊玄はまだ少量しか呑んでいないというのに、もう眠たそうにしている。
「お前はその見た目で意外だと言われなかったか……?」
「
「あいつは誰に似たのか酒豪だ」
たわいのない会話をしているうちに、ずっと呑み続けていた静蘭は流石に限界に近いのか、だんだん瞼が重くなっていくように感じる。霊玄はというと、とっくに潰れており、床に仰向けに倒れ込んでいる。
静蘭は酒を呑む手を止めて霊玄の隣へ回り込むと、そのまま横に並んで寝転がる。眠っている霊玄は体温も無く、息もしていない。もちろん心臓も無く、わかってはいるのだが不安になってしまう。鼻と鼻が当たりそうな程顔を近付けても霊玄は起きない。静蘭も酔っているからなのか、何も考えずに霊玄の唇に口付けた。
途中で何をやっているんだ、と正気に戻り、ぱっと距離を置く。普段なら必ず起きている霊玄が、今日は酒を呑んだからか一向に起きる気配は無い。もしかしたらこれは誰にも知られてはいけない彼の弱点なのでは?と悟った。
翌日、静蘭が起床するとまだ隣で霊玄は眠っていた。ぴくりとも動かない霊玄を見るとやはり若干不安にはなるが、鬼ならば当然の事なのだろう。だが、やはり寝台で寝なければ身体はとても痛くなる。ましてや皇族だった静蘭は床で寝るなんて経験はもちろん無く、身体中のあちこちが悲鳴を上げている。
重い身体を起こして、霊玄を揺さぶる。
「霊玄様、朝ですよ!起きてください!」
「……」
何度も何度も揺さぶるも、起きる気配は一向に無い。前にこうなった時は次にあったのは翌日の夜だったため、静蘭は霊玄の酒の弱さを熟知していなかった。まさか朝まで続く弱さだとは。
何度大きな声で名前を呼んでも起きない霊玄に、もう起こすのを諦めて静蘭はもう一度横に寝転がった。その時、霊玄の袖口から札が見えていた。これは縮地の札だろう。前、静蘭が冗談半分で使用した時、たまたま誰かが近くにいたのか霊玄が酔っていたため誤って神通力を使っていたのか、静蘭は札を貼るだけで天趣城まで行く事が出来た。もしかしたら今回も……と巫山戯半分で札を手に取ると、壁に貼り付けた。するとなんという事だろうか、空間が歪み、成功してしまったではないか。
ただ前回と違い、歪んだ空間はぼやけていて景色がはっきりと見えない。ただ、楼閣のような場所である事は確認出来たため、天趣城だと疑いもしなかった。静蘭はまだ半分寝ている霊玄の腕を肩に回し、引き摺るような形でその空間へと足を踏み入れた。
しかし、いざ空間へ足を踏み入れると、いつもと違う場所である事に気が付く。黒花領域は年中夜のように暗いのの対しここは明るいし、何より天趣城にはこんな場所はないはずだ。静蘭達が移動した場所は、楼閣と楼閣を繋ぐ渡り廊下のような場所であった。少し歩いてみると見た感じとても大規模な屋敷のようなのだが、おかしい程に誰かがいる気配が無い。規模と建物の構造自体は天趣城と似ているようだが、天趣城は奉仕している鬼が多くいて歩いていれば何人かとは必ずすれ違う。
だと言うのに、誰ともすれ違わないどころか誰もいるような気配は無いのだ。誰かがいれば、事情を話して出口を案内して貰えるかもと思ったのだがそうはいかないらしい。
「霊玄様、そろそろ起きてもいいんじゃないですか?どれだけ酒に弱いんです?」
今度は少し強めに揺さぶるも、反応は無い。人間とは違い、眠っていると何の反応も無いため、わかってはいるけれど心配にはなる。もしここが鬼界ならば少し休ませてもらおう。静蘭はそう思って、もう一度霊玄を引き摺りながら屋敷の出口を探した。
この屋敷は興味深い事にからくり屋敷のようになっており、襖を開けて進むともう元いた場所へは戻れなくなってしまうようだ。出口を探しているのだが、これでは出口を見つけるのはいつになるのやら。先程の渡り廊下から無理矢理外に出るのが一番良かったのではと後悔してももう遅い。
やがて、とある部屋まで来ると左手の部屋から何やら音が聞こえてきた。鈍い音で、何かを咀嚼しているようにも聞こえる。やっと誰かに出くわす事が出来たという感動に、静蘭はつい言葉をかける前に襖を開けてしまった。
「あの!すみません、術に失敗して迷い込んで……」
そこまで口にした時、静蘭は言葉を失ってしまった。
そこには四股を切り離された女の死体と、辺りに飛び散っている鮮血。そしてそれを貪っている男がいたからだ。
男は腰に帯刀していた刀を抜くと、静蘭達に襲いかかってきた。静蘭は咄嗟に同じく霊玄の腰に帯刀していた刀を抜いて刀を受け止める。物凄い力で、押し負けそうになるが何とか弾き返して一度距離を取る。その時、目の前の男が言葉を発した。
「あれ?よく見てみれば静蘭殿と親友じゃないか!」
男は全身に血がべったりと付着しており、状況も相俟ってとても狂気的な愉悦の笑みを浮かべていた。先程はあまりに惨い光景に混乱して気が付かなかったが、よくよく見てみるとこの男は
「い、引秋殿……?これは一体……?」
静蘭が目線で女の死体を指すと、引秋は大した事では無いかのように言う。
「ああ、ごめんごめん。食事中だったんだ。ここは私以外の出入りを一切禁じているものでね。まさか君たちだとは思わず……静蘭殿、怪我は無い?」
「ありませんが……」
静蘭はこの状況で何と声をかけていいか分からなかった。引秋とは一度顔を合わせたっきりそれ以来関わりが無かった。顔を見るのも久しぶりなのに。
「久しぶりだね、静蘭殿!いつ見てもお綺麗だ」
引秋が静蘭に近づいて行くと、静蘭も何も考えずに後退る。あの女は人間なのか?鬼が人間を食らうという話はよく聞くが、少なくとも静蘭の周りには人間に危害を加える鬼がいなかったため、そんな事は忘れていた。
「待て。それ以上近付くな」
その時、霊玄がやっと起きた。
「ありゃ、起きちゃった」
引秋は一瞬焦ったような表情を見せたが、何かを諦めたかのようにため息をついた。
「前々からどこか胡散臭いと思っていたが……人間をここに引き入れていたのはそういう事か」
「責めないでよ?人間が動物の肉を好んで食べるように、私も人間が好きなだけなんだよ」
静蘭はただ二人のやり取りをじっと聞いていた。やはりあの女は人間のようで、静蘭の見間違いでも無く引秋はあの女を食っていたと。
引秋の言い分は最もだ。だが、引秋も元はと言えば人間だ。そう考えれば非人道的で良しと頷けるものでは無い。しかし今は鬼だ。静蘭の中で二つの意見が飛び交うも、無駄な事は口にしないのが一番だと息を潜めた。
「全く、何を考えたら人間を食おうという気になれる?俺には理解出来ないな。俺に面倒事が回ってこないなら好きにすればいいが、程々にしろ」
「ははっ、もっと咎められると思ったんだけどなぁ。まあいいや、そんなことより静蘭殿!君、武術をやっていたの?」
二人の視線が今度は一気に静蘭に移る。その後霊玄は突然何だ、とでも言うように引秋を何とも言えない目で見た。
「やっていませんが……」
「やってない?本当に?」
引秋は疑いの目で静蘭を見つめる。それはどこか警戒心を含んでいるように感じて、静蘭は言葉を詰まらせる。
「本当だ」
後押しするかのように霊玄がそう言うと、引秋も納得したようだ。どうにも引秋は霊玄に対して多大な信頼を寄せているらしい。
「お前がそう言うならそうだな。すまなかったね、静蘭殿。先程、私の攻撃をいとも簡単に跳ね返したものだから少し驚いてしまって」
「……跳ね返しただと?」
「え?ええ……」
「……お前は剣技の才もあるようだな」
静蘭はその言葉に思わず声を漏らしてしまう。だが剣技の才があるだって?謀反の際、蘇寧に対して刀を向けたが、今から思うとめちゃくちゃな太刀筋だったし正気を失っていてとてもじゃないが強いとは言えなかった。自分自身でも武器とは無縁だと思っていたのに。
「ですが、前に触った時はその……ただ振り回していただけというか」
「触った事はあるんだ?」
「母国で謀反があった時に一度だけですけど」
引秋は少し考え込むと、何か思いついたかのように口に出す。
「静蘭殿は確か公主殿下だったよね?じゃあその謀反の時は色々と気が気じゃなかっただろ?つまり正気じゃなかったんだ。剣技というのは精神統一が必要で、心が大きく乱れていてはいけない。先程の静蘭殿は落ち着いて見えたし、やはり才能はあるんだよ!」
霊玄も引秋の言葉には大きく頷いている。
確かに今から考えれば、本気では無かったとはいえ、鬼王の一人である引秋の一撃を受け止め、尚且つ無傷というのは大したものだろう。
「もういいだろう。静蘭の新たな才能が分かったんだ。俺達は帰る」
「えー、もう帰っちゃうの?」
前に会った時も感じた事なのだが、霊玄はできるだけ静蘭を引秋に関わらせたくないようだ。いや、引秋だけでは無い。他者に対してはいつもそうだ。
霊玄が縮地の術の式を唱えたその時、引秋が何かを思い出したかのように声をあげた。
「霊玄、君は少し残って!例の件で少しね」
すると霊玄は足速に立ち去ろうとする体を止める。
「静蘭、すまないが先に帰っていてくれ。こいつに頼みごとをしていたのを忘れていた」
静蘭は霊玄が誰かに頼み事をしている事に驚き、その内容が気になったが、鬼王同士の事についてあまり関与するのも気が引ける。こくりと頷くと、一人先に天趣城へ戻って行った。
海誓山盟 丹花 @tanhua
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