長明灯を貴方に

「出掛ける。準備をしろ」


 朝、静蘭ジンランが身支度をしていると霊玄リンシュエンが睡蓮宮に顔を出し、そう言った。


「どこへ出掛けるのですか?」

「下界だ。暖かい格好をしろ」


 下界ではとうに秋が終わり、朝の空気が肌を突き刺すように痛くなっている。……と言いたいところだが、生憎鬼界には四季という概念が無いらしい。厳密に言うとあるのだが、気温はほぼ一定で常に微風が少し冷たいと感じるくらいだ。それに、天趣城周りの花園には四季の花が咲いており、ここではあまり季節を感じられない。おかげで冬の朝、閨から中々出たくない辛さと葛藤とは遠縁になったが、ここにいると下界との季節感や温度差が鈍ってしまうのが難点だ。身体が弱くなってしまいそう。それも毎朝欠かさず飲み続けている薬湯のおかげでそうはならないのだろうが。

 ここへ来てからは一度も使っていない外套を卸し、上に着る。


黎月リーユエ、お前も準備をして」

「今日、私はこの後休暇を頂いていますから。今日は伯父上と二人でごゆっくりしてください」

「そうなの?わかった、黎月もゆっくり休んでね」


 とは言ったものの、黎月が休暇の日に何をするかなんて聞かなくてもわかる。賭博、酒、美人狩り……道士達の禁と成すものにありったけ手を付けるのだろう。美人狩りについては、いくら既に死んだ美女や、悪名高い女妖の顔だとはいえ悪趣味極まりないためやめて欲しいと思う。

 いつも通り、霊玄が縮地の札を貼り、空間へ足を踏み入れる。するとそこは城下町だった。今夜は元宵節げんしょうせつのため活気づいており、人の行き来も激しい。


「ん」


 その声に隣の霊玄の方を向き直すと、静蘭の目の前には手が差し出されている。


「ええっと……」


 静蘭が戸惑っていると、見かねた霊玄は静蘭の手を取った。


「行くぞ」


 握られた手を引かれ、堂々と町の中を歩いていく。すれ違った人達からは時折二度見されたり、凝視されたりしてその視線と注目を集めている事に何とも言えない複雑な感情が入り交じる。

 だが、それも最初のうちだけで、静蘭は歩いているうちにここが何処なのか気が付いてしまった。

 その場で立ち止まると、霊玄も合わせて立ち止まる。


「どうした、急に。何か欲しいものが?」

「いえ、そうじゃなくて。どうして今日はここに?」

「元宵節は下界や天界では大規模な祭日だろう。そんな慶ばしい日は母国で過ごしたいのではと」


 そう、ここは静蘭の母国である月雨国げつうこくだった。

 静蘭が霊玄の元へ嫁ぐ道中の月雨国の街並みと言えば、色が無く、城下町にしては人気も無く、あちこちに飢え死んだのか闘争の末無くなってしまったのか、目を背けたくなるような死体が転がっており、街として機能していないような、まさしく廃国という名が素晴らしい街並みであった。それに対し、今はどうだろうか。その頃の面影は一切と言っていいほど無く、活気溢れていて道も整備もされており、かつての月雨国を取り戻しているではないか。

 まだ一年程しか経っていないのに、こんな風になるなんて誰が想像出来るだろうか。天界の六伯(自然の力を司る六人の神々)の力でも借りなければ信じられない偉業だ。母国でありながら静蘭が最初気が付かなかったのは、あまりにも以前目の当たりにした景色と違ったからである。

 何も言わずにぽかんとしている静蘭を見て、霊玄は顔色を変えずに言った。


「……あまり良い思い出が無いのは分かっているが、それでもと思ったんだ。嫌なら場所を変えよう。すまない、配慮が足りなかった。」

「いえ!違うんです、ただ驚いてしまっただけで。そろそろ母国が恋しくなっていたので、とても嬉しいです。ここには時折、母にも内緒でお忍びで来ていたものですから」


 静蘭がまだ公主という立場だった頃も元宵節は建国祭と同じくらいの盛り上がりを見せていた。元宵節では人定になると天に向かって一斉に長明灯を捧げる。今となってはそれは自身の信仰する神に向かって捧げているものだと理解しているのだが、幼い頃は意味も分からずに、ただただ綺麗だからと毎年長明灯を捧げるのを楽しみにしていた記憶がある。


「そうか。ならば良い」


 霊玄は静蘭が口元に笑みを浮かべているのを確認すると、再び歩き出した。

 だが、今度こそはと静蘭はもう一度霊玄を止める。


「今度はどうした?」

「あの、これ……注目を集めているようなのですが」


 静蘭が視線を落としたのは繋がれていた手だ。静蘭は先程から何度か握る手を緩めたりしているのだが、一向に離される気配はない。強く握られていないどころか割れ物を扱うかのように優しく握られているのに、不思議だ。


「それがどうした?正体がバレるのが怖いか?大丈夫だ、俺がいる。もしあの無能国主かなんかに見つかったら、俺が無能を排除してやる」

「あ、ありがとうございます。でもそうじゃなくて!男二人が手を繋いで隣を歩いているなんて、こう……なんと言うか……」


 そこで言葉に詰まってしまう。誤解を産む、と言いたかったのだが、よくよく考えてみればそれは誤解では無い。一応夫夫なのだから。


「嫌なら離す。だが人が多くて迷子になったりしたら大変だ」

「何歳だと思ってるんですか……」


 結局手を離し、霊玄の袖口を掴む事にした。

 だが、その矢先の事だ。


「やだ、お兄さん男前ね!」

「どう?ちょっと寄っていかない?」


 霊玄の前に数人の女達が群がる。静蘭は霊玄の一歩後ろを歩いていたからか、高い霊玄の背丈にすっぽりと埋もれてしまい女達からは見えていないのだろう。

 ふと横を見ると、そこは妓楼だった。このやけに香の匂いを漂わせ、胸元を強調している女達はここの妓女なのだろう。

 霊玄は女達に目もくれずそのまま立ち去ろうとしたが、女達は霊玄の行く手を阻むようにして囲った。しまいには、静蘭の持つ袖の反対の腕に抱き着いたりする始末だ。


「俺には連れが……」


 そこまで言った時だ。


「お姉さん達、この人は私のよ」


 それまで後ろで息を潜めていた静蘭が、突如霊玄に抱きついてそう言う。


「はぁ?何言ってるの、どうせあんたも妓女の端くれ……」


 そこまで言った所でその妓女は口を噤み、思わず後ずさった。

 何処で覚えたのか、静蘭は妓女にも負けず劣らずの妖しい笑みを浮かべており、それが何とも妖艶で美しく、悔しいが自分とは比べ物にならないと思ったからである。

 連なるように他の妓女達もサッと身を引くと、霊玄と静蘭はその場を後にした。


「……やっぱり手は繋いでいましょう」

「注目を集めてしまうのでは無かったのか?」

「さっきのような事があるよりかは良いです。それに、注目を集めていたのはこれが原因では無かったみたいですから」


 毎日霊玄の顔を見ているから贅沢にも慣れてしまっていたが、霊玄は誰もが感嘆の声を上げてしまうであろう美男だ。そんな男が目の前を通り過ぎてみろ、二度見どころかしばらく見つめてしまうに決まっているではないか。

 霊玄は口元を緩ませ、再び静蘭の手を握った。


「着いてこい、行く場所がある」


 言われた通り、今度は横にべったりとくっついて着いて行く。途中で花を買い、次に果物、肉、酒と買って、遂には人気のない街から外れた広野に出た。

 また花見のような事をするのか?と思いながら何も聞かず着いて行くと、やがて二つの位牌の前で立ち止まった。


「これは……」


 石碑には「明智鏡王めいちきょうおう」とその隣の石碑にも「リン美人」と記されている。明智鏡王とは静蘭の父である魏清瑶ウェイチンヤオの事だ。暴君と名高く、国民や貴族達からの評判も決して良くなかった清瑶だが、若かりし頃には国政で成果を挙げた事も何度かある。罵名が多い中、唯一良い通り名ががこの明智鏡皇だった。


「お前の両親の墓だ。と言っても夫人の方は中は空で形だけではあるが」

「何故……?母はともかく、父の墓は皇城の裏の薄暗い山道にあったはずです。かなり……その、酷い扱いを受けていたと思うのですが」

「賢い国主では無かったと言えるが、それでもお前のたった一人の父親だ」


 もっとも、これは霊玄が百花四神の正体を知る前に用意したものだ。でなければわざわざ遺体の無い琳の位牌なんて用意して静蘭に見せたりしない。

 霊玄は先程買ってきた酒や果物やらを静蘭に渡し、供えるように言う。


「……ありがとうございます」


 静蘭はそれらを位牌の前に供え、平伏して拝礼をする。元宵節は華やかな日であると共に祖先の功績を偲ぶ日でもある。本来ならば祠堂で行わなければならないが、何せ魏清瑶は悪とされているためそれは叶わない。

 霊玄はせめてもの配慮で静蘭をここへ連れて来てくれたのだ。


「ずっと母は父の事を嫌いで恐ろしいのだと思っていました。ですが、私が父に呼ばれるようになってから、なんの気まぐれなのか父は一度母に薄桜の衣を贈ったのです。母はそれをとても大事にしていました。本当は母は父の事をずっと慕っていたんだなって」

「そうか」


 霊玄はどうにも静蘭の母の話題には内心ドキッとしてしまう。気の利いた言葉を返せない。


「父は暴力的な人で、人を軽んじて見ている節がありました。私が知らないだけでもっと酷い行いをしていたかもしれません。他の姉弟からしたら決して良い父親では無かったけれど、私には優しくて、愛されていた自覚はあります。死んでも尚、誰からも忌み嫌われ、後ろ指を指される。だけど良くしてもらった拾の息子である私だけは、父をちゃんと弔わないと」


 静蘭は位牌に拝み終えると、霊玄の方を向き直り、腕に手を回した。


「父上、ずっと嘘をついていてごめんなさい。許し難い事かもしれないけれど、私が存在し続ける限りは弔うから、どうか許してください」

「……きっと国主はお前が最初から男だと分かっていても、お前を愛した。愛するとはそう言う事だ。良くも悪くも、過去に何かが入れ違っていたとしても魏静蘭という存在だけには本当の家族愛を向ける事が出来る」


 尤も、それが他の妻や子にも向いていれば暴君の呼び名も少しは薄まり、こんな末路を辿ることにはならなかったのかもしれないが。


「そうですか。そうですね、今から思えば父は私にとても甘かったですから。では、私の夫として霊玄様もどうぞ挨拶なさってください」


 静蘭はほんの冗談で言ったつもりだった。誰が謀反で命を落とした悪名高い暴君とその妻の一人に、あの鬼王陛下、黒花状元こっかじょうげん磕頭かいとうをすると思うだろうか。

 だが、霊玄は一歩前に出ると磕頭をした。


「ちょ、霊玄様!冗談ですから!あなたがそんな事する必要はありません!」

「お前の実の両親には変わりない。ならば俺にとっても義両親だ」


 確かにそれはそうだが……と思ったが、それ以上は口を噤んだ。霊玄の誠意を無下にするつもりは無い。

 霊玄が立ち上がると、今度は手を繋ぐのでは無く、静蘭から腕を組んだ。


「どうした?」

「こっちの方が密着出来て、はぐれる心配も無いでしょう?また街へ出たら人で溢れて流されてしまうかもしれないですから」

「……そうか」


 霊玄の顔を見上げると、いつものように仏頂面で顔色一つ変わらないが、どこかそわそわしているようにも感じる。


「照れてます?」


 静蘭はそんな霊玄が珍しいと思い、もっと反応を見たくて更にぎゅっと抱きつく。


「ああ、照れてるよ。こんなの、誰だって照れてしまう」


 そんなに素直に言われるとは思っておらず、静蘭もつい加虐心に燃えてしまう。


「あの天界をも恐れさせている鬼王陛下が随分と可愛らしい事を仰りますね」

「お前にだけだ」


 今日は良いものが見れた、と静蘭は少し良い気になる。

 来た道を戻り、街の方へ出る。露店で黎月や小閑達に土産を買ったり、茶を嗜んでいる間にあっという間に日は暮れた。

 大通りは夫婦や恋仲であろう男女で溢れかえっており、その甘ったるい雰囲気のせいか静蘭も何だか霊玄に対してよそよそよしくなってしまう。

 その時、急に後ろから声をかけられた。


「そこのお兄さん達!これをあげよう!」

「これは……」


 声をかけてきたのは老婆であり、差し出されたのは長明灯だった。霊玄は一瞬老婆を視界に入れると、それだけで何の反応も無く、また視線を静蘭に移した。


「お婆さん、そんな高価なものは頂けません。どうかご自身で使ってください」

「いやいや、良いんだよ!孫が来る予定だったんだけど、どうやら体調を崩してしまったみたいでね。ちょうど一つ余っていたのさ」


 静蘭に無理矢理押し付けるようにすると、静蘭も落とす訳にはいかないため手で持ってしまう。


「お婆さん……」


 もう一度断ろうと前を見ると、そこには老婆の姿は無かった。人の波に呑まれてしまったのだろうか。


「良いんじゃないか?貰っておけ」

「ですが……」


 長明灯は平民からしたら高価なものであり、見ず知らずの他人にそうそう譲れるような品物では無い。もしかしたらそれをわかっていないのでは、と老婆を探そうとするが、それも霊玄に止められた。


「大丈夫、老婆は分かっている。あの也からしてあの老婆は相当裕福なのだろうな。老婆なりの善意だ、受け取ってやれ」

「……なら」


 渋々受け取った静蘭だが、そもそも自分に渡したのも間違いだと思った。鬼王妃となってからは特に信仰している神もいなければ、至れり尽くせりな生活のためこれ以上望むものは何も無い。

 信仰している神に向かって願いと信仰心を伝えるのがこの長明灯なのだから、静蘭があげた所で全くもって何の意味も無いのだ。だが、長明灯には目もくれず、飽きもせずに静蘭ばかりを見つめている霊玄を見て、静蘭もふと思い付いた。

 人定も近くなると、更に人が大通りに集まって来た。


「霊玄様、この近くにあなたの廟はありますか?」

「あったはずだ。だがどうした?時間になるぞ」

「いいから、黒花廟へ連れて行ってください」


 人をかき分けてやっとの思いで大通りから抜け出すと、人気の無い裏道を通り、黒花廟へ移動する。やがて霊玄が立ち止まったかと想えば、目の前には中規模の廟があった。黒花廟と書かれたその廟は、手入れこそはされているみたいだが、どこか薄暗く不気味な雰囲気さえ醸し出している。ましてや、元宵節という日に黒花廟に近づく人間なんているはずもなく、辺りは大通りとは違い、静寂に包まれていた。


「静蘭、やはりさっきの場所へ戻ろう」

「どうしてですか?人混みはあまり好きではありません。早く中へ入りましょう」


 霊玄の腕を引っ張って廟の中へ入ると、供え物が置いてある。が、どれも傷みかけている。報復を恐れているからなのか、適度に掃除や供え物は置いてあるみたいだ。

 静蘭は供物台の上にあった蝋燭に火を灯すと、筆と硯を探す。それは幸いにも端に置かれている机の上に置いてあった。

 静蘭は筆を取ると、老婆から貰った長明灯に文字を書き始める。それを霊玄は不思議そうに客観していた。やがて静蘭が筆を置くと、近付いて長明灯を覗き込んだ。そこに書いてある言葉を読むと、霊玄は思わずぽかんとしてしまう。


「あなたは神ではないけれど、廟があるのだから別にいいでしょう?それに、私は神を信仰しなくてももうあなたがいるから」


 静蘭の持つ長明灯には、信仰神の名を書く場所に黒花状元と書かれていた。そしてその横には、"万物が流転しようとも、黎霊玄が私から遠のいていかないように"と書かれている。


「私の願い、叶えてくれますか?」

「……今日は大胆だな」

「嫌でしたか?」

「そんな訳ないだろう」


 霊玄は顔を片手で覆うように隠す。隙間から見えた顔が少し紅潮して見えるのは、きっと蝋燭の灯りのせいだろう。

 時間になると、二人は外へ出て長明灯をあげた。それに連なるように、別の場所を中心に一気に長明灯があげられ、夜の街を照らしていく。青暗い夜空を無数の灯りで彩るその光景は、何度見ても息を飲むほど美しく幻想的だ。ただ、今年は更に魅力的に思えた。

 

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