デジャヴ

中学1年生の2月。

学期末考査を直前に控え、春休みも近いことから、教室内の空気はどこか浮足立っているように感じた。


聞き耳を立てていると、あちこちからの話し声が聞こえてくる。


「Bクラス、歴史のテスト範囲全然終わってないらしいよ」

「えマジ!ヤバくない?」


「テスト終わったら何する?取りあえずミナの家行ってもいい?」

「いいけど、泊まりはムリだよ?」


「カラオケ行って勉強しよう、勉強。静かだし集中できる絶対!」

「お前天才か?」

「それアリ!」


アリじゃねえだろ、マヌケ共。

僕は机に突っ伏しながら、そう心の中でツッコミを入れた。


どうせ勉強を口実にして遊ぶだけだコイツらは。

カラオケに行って歌わないわけないんだから。

情けない奴らめ!


「...ハァ」


この休み時間は本当にやるせない気分だ。

話す相手がおらず、机に突っ伏して寝たふり。

唯一できることと言えば、こうやって聞き耳を立ててることぐらい。


「まあ...」


そりゃ、万が一にも巻き込まれたくないから、誰だって話しかけない。

俺が仮に他人の立場だとしても話しかけることはないだろう。


「...そう、仕方ない」


そう僕は誰にも聞こえないように呟いた。呟いただった。


「ええ?間宮君、何が仕方ないの?」


「...ッッッ!!!」


声を上げそうになるのを何とか抑えつける。

それでもあまりに想定外の事態に、思い切り机をガクッと揺らしてしまった。


「うわ、大丈夫?」


声をかけてきた彼女は、「ケガしてない?」なんて心配そうな顔をしながら、僕の顔をのぞき込む。


「だ、大丈夫...」


僕は、机にぶつけた膝をさすりながら、ぎこちない動きで彼女と顔を合わせた。

って、


「...うお!」


顔近!

彼女の吐息が僕にかかるくらい。というかかかってる。


中学一年生にして幼さに伴う愛らしさが徐々に抜けてきた、だが間違いなく目鼻立ちの整ったその顔が視界情報の大部分を閉め、僕の頭はパンク寸前だった。


「うー、ごめんね?驚かすつもりはなかったんだけど」


彼女は眉を八の字に曲げてそう申し訳なさそうに謝る。かわいい。


「いや、全然、大丈夫」


「そう?なら良かった!」


ニコリと彼女は笑う。

暫く母親以外の異性と話していない僕にとっては致命傷だ。


「それで、仕方ないってなに?」


「いや、大したことじゃないよ。ただの独り言」


「えー、何それ!余計気になるじゃん!」


僕の机に自然と腰かけそう話す彼女は、何かを思い出したかのような表情をして、口を開く。


「あそうだ、私はナツキ!横川ナツキ!一週間前に転校してきたんだー。間宮君休んでたから知らないよね」


そう自己紹介をすると彼女、いや、横川さんは「よろしく!」と手を差し出してきた。

僕はおずおずとその手を握り、「よろしく」と返す。

手を握り、その柔らかさ、スベスベとした感触に少し、いやかなりドキっとした。



丁度その時、休み時間終了のチャイムが鳴り響く。

それと同時に数学の沼川先生が教室に、いつものように覇気のない様子で入ってきた。


「おい授業始めるぞー。さっさと席つけお前ら」


それを合図に、教室全体が慌ただしく授業準備に入る。

横川さんもそれに漏れず、僕の机からピョンっと降りて足取りを進めた。

しかし、彼女は立ち止まる。


「間宮君、今度また話そうね」


彼女はくるりと振り返って、手をヒラヒラさせながら僕にそう言うと、やや急ぎ目に髪の毛を揺らしながら自分の席へと戻っていった。


そう、僕は彼女に甘えてしまった。

この時彼女に、転校したばかりで何も知らない彼女に、嫌われるよう振る舞うとか、無理矢理彼女を僕から引き離すべきだったのだ。












「えー、では時間になりましたので、出席を取りたいと思います」


「安藤さん」

「はい」


「井上さん」

「はい」


...


「間宮さん」

「間宮さんはいますか~?」


「...いなそうですねー」

「えーじゃあ三上さ



「ハイ!間宮です!いますここに!ハイハイハイ!!!」



汗だくになりながら、講義室の扉を思い切り開ける。

一年生の視線が一極して俺に集まるのを肌で感じた。


全く情けないが、その一時の恥で出席点を獲得できるのならそれに越したことはない。

特にこの再履修の授業では。


そう、俺は賢いのだ。

むしろ胸を張っていこうではないか。



「...はい、間宮さんですね。席についてください」


「ハイ」

はい。



俺は極力講義室にいる一年生を見ないようにしながらコソコソと移動し、講義室の最後尾に着席。

持ってきた鞄から教科書を取り出し、ようやく一息つくことができた。



「...何だったんだ、結局」


ベンチに寝そべっていた女は。

あの後暫く呆然としていたせいで、大幅に到着時間が遅れてしまった。


ただ似てるだけ?

でもそれにしては余りに似すぎだ。同一人物だと一目で確信するぐらいだから。


恐らくこの大学の学生であることは間違いないだろう。

そして大学は一学年1300人ほどとそこまで多い訳ではない。

一年も通っていて一度も存在に気付かないのは不自然だ。

ということは新入生?


暫くウンウンと考えていると、既に教授が出席を取り終わり、ホワイトボードに何かを書き始めていた。



「...にしても」


流石に一年生の初回授業だからか、皆授業を真面目に聞いている。

講義室には全体的に緊張感があるように感じた。

そして俺の座っている最後尾の席以外はほぼ埋まっている。驚異の出席率だ。


そのうち大学に来なくなって留年するようなやつも、この中に入るのだろう。

まあ逆に言えば、そんな奴でも初回授業は遅刻せず出席するのだ。


ここで遅刻する奴なんて相当な逸材...




「...すいません、遅れました」


相当な逸材だ。


控え目に開けられた講義室の扉から、ひょっこりと顔を出したのはあの女だった。


彼女の整った顔も相まって、講義室の視線を一極に受けた彼女は、顔を赤らめて恥ずかしそうに足取りを進める。

そしてやはりというべきか、彼女は唯一空いている席、つまり最後尾である俺の隣の席に腰を下ろした。










「えーでは、ペアワークを始めます。隣の人とペアを組んで、ホワイトボードの指示通りに進めてください」


教授はそう言うと、「何か質問はありますか?」と言いながら講義室をさっと見渡す。

学生達は、多少ぎこちなさを感じながらもペアを順調に組んでいく。


そして俺も一番近い人間である彼女へと話しかけようと体を横に向けると、先ほどまで眠そうな顔をしていた彼女は驚いたような表情を浮かべ固まっていた。


「...あの、大丈夫?」


「...え?ああ!大丈夫ですごめんなさい!」


彼女は焦ったような表情を浮かべ、表現豊かに身振り手振りをしながら俺にそう言った。


「なら良かった。俺は間宮アキラです。よろしく」


「横川ナツキです!よろしくです!」


謎の女改め横川さんは、先ほどまでの眠気はどこへ行ったのか、元気よく言う。


「というか、タメでいいよね?君もそんな感じだし」


「あー、いいよ」


まあ俺の方が学年上だけど。

わざわざ自分から言う必要もないし、何となくしっくりくるような気がした。


そんなこんなで自己紹介を終え、ホワイトボードに書いてある通りの作業をテンポよく進めていく。

俺は大不幸中の幸いでこの授業は二回目なので、俺たちは周りのペアよりもかなり早く作業を終えることができた。


そして俺は手持ち無沙汰になった時間で、何となく彼女に話しかけることにした。


「横川さんさ、今朝ベンチでぐっすり寝て遅刻したでしょ?」


彼女は驚いたような顔をしてこちらに振り向く。


「えー!見てたなら起こしてよー!」


「いやいや、そんなことしたら超不審者だよ俺」


「あれ?確かに『起こして』は変だね。何言ってるんだろう私」


彼女は恥ずかしそうにしながらも、独り言のようにそう呟く。


「とにかく、あそこで寝て遅刻したのは、深い訳があるんだよ!」


「ふーん、そうなんだ」


「あー!信じてないでしょ!」


「じゃあ教えてよ、その深い訳とやらを」


横川さんは少し怒ったように、むんずと腕を組んだ。


「私はそもそもね、授業の一時間前には大学に来てたんだよ!それで誰も教室にいないから、ゆっくり桜でも眺めようと思ってベンチに寝そべってたら...ウトウトしちゃって...」


「寝ちゃったと」


「そうなんだよー!しょうがないよねー」


アハハっとカラッとした笑い声が副音声で聞こえた気がした。

ここで彼女が逆さにピースをしたら完全にギャルに見えただろう。


「というか何でそんなに早く大学に?」


「えーっと...」


彼女は何やら後ろめたいことがあるかのように、目を泳がす。

そして少し躊躇するように、口を開いた。


「私、実は1年浪人してて...ずっと恋焦がれた大学に舞い上がっちゃって...ね?」


「あーでも、敬語とかいいよ。全然タメ口でいいから」


「あー、うん」


という事は、彼女と僕は同い年。

俺は適当に返事をしながら、ここで自分が2年生であることをカミングアウトするのも気まずくて、隠すことにした。



「はい、それでは本日の授業は終了です。また来週も改めて言いますが、再来週は休講です。間違って来ないように」


そんなことを考えていると、いつの間にか授業は終了。

ゾロゾロと前の一年生たちは席を立ち、移動を始めていた。


俺と彼女も他の学生の移動がひと段落してから席を立って、お互い何となく一緒に講義室を出た。



「そういえば間宮君、学部学科はどこなのー?」


「工学部の情報工学科だよ」


「ホント!?私も情工なの!」


「え!横川さん情工!?」


工学部の中でも情報工学科は女子に大変不人気だ。

なんと男が占める割合は、それこそ学年によって異なるものの、平均して約90%

女子の存在は大変貴重な存在なのだ。


横川さんが急に眩しく見える。


「めっちゃ嬉しいー!間宮君、これから色々助け合おう!」


彼女はそう言うと、「そういえば、連絡先交換してなかったね」とスマホをポケットから取り出し、「はいこれQRコード!スキャンしてー」とQRコードを俺に向けてきた。


俺はありがたく連絡先を交換し、「スタンプ送ったよー」なんて言いながら、先ほどまで授業を行っていた本館を出た。


「じゃあ間宮君、次は情報工学基礎あるよね!一緒に西6号館行こー」


もちろん、俺は2年生なのでその単位は取得済みだ。ギリギリで。


「あーごめん。俺は情報工学基礎ないから一旦家帰るよ」


すると彼女は訝しげな視線を俺に向けてきた。


「え―、そんなはずないよね?必修だよ?」


そう俺に詰め寄りながら、彼女は俺を注意するように指をさす。


「人生のとして言わせてもらうけど、あんまり最初からサボったりとかしない方が──」


「──おーいアキラ氏!どうでこざったか?フヒヒ、一年生に交じっての授業は」


自転車を走らせ、ニヤニヤとデカい声で俺に向けてそう言い放った巨漢。オークだ。

俺は気づかない振りをして必死に無視をするが、奴はその勢いのままこちらに向かって自転車を走らせ俺の隣に自転車を止めた。


最悪だ。もう誤魔化せない。


今の状態に半ば呆然としている彼女に、俺は渋々口を開かざるを得なかった。


「あー、ごめん。言ってなかったけど俺実は二年生なんだよね。でも、敬語とか全然いいから。タメ口で」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だってあなたは正義の魔法使いだから!と君は言う すとーん @fanboku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る