ハイチーズ
痛い。
視界が暗転してまず目に入ったのは、絵の具をぶちまけたかのような一面の青色。
ズキズキと痛む後頭部に、口の中から感じるねっとりした血の匂い。
ああ、僕、殴り倒されたんだ。
体全体から鈍い痛みを感じる。全身を包み込むような倦怠感に身を任せて、そのままずっと、この憎たらしいほど澄み切った青い空を見上げていたい。そう思った。
そんな僕の青々と澄み切った視界に、不愉快な黒い異物が入り込んでくる。
「間宮くぅーん、ちょっと調子乗りすぎなんじゃないの?なあオマエら?」
「ちげえねえ!」
「一回分からせないとダメっすよ笑」
黒い異物は瞬く間に青色を浸食して、僕の顔面への衝撃と共に、視界は一面黒色へと埋め尽くされてしまった。
痛い。
そのまま僕の顔へ押し付けられた真っ黒な靴底から、グリグリと体重をかけられる。僕は何とか鼻の骨が折れないよう顔を少しだけ傾け、力を分散させた。
余計な抵抗、そして余計な反応はしない。そんなことをすれば奴らは面白がって、この時間が長引くだけだ。
「にしても間宮クン、『僕以外の奴に、暴力を振るうなよ。』だっけ?笑。カッコイイね~笑」
痛い。
顔から靴底が退けられたと思えば、踵から思い切り顔に振り下ろされる。
どうやらこれが奴らにとって面白かったらしく、下卑た笑いが僕の頭に響いた。
僕はコイツの履いている靴が革靴じゃなくて良かったと、心の底から思った。
「だったら、お望み通りボコボコにしてやる...ッ!」
痛い。
周りの奴らもニタニタしながら集まってきて、四方八方から勢いよく蹴られる。
これは随分と長引きそうだ。
それにしても…
らしくないことをした。そう思う。
もしかしたら、横川さんと話したことで、少し気分が高揚していたのかもしれない。
そう、
あの後いつものように僕は、奴らの気まぐれで別館の校舎裏へと呼び出され、集団で暴力を振るわれるはずだった。
そんな僕が校舎裏で目にしたのは、僕以外の誰かが集団でリンチに会っている様子だ。
確か同じクラスの、安条だったか。
顔がかなり整っているので、比較的印象に残っている。
クラスの人間は、この半グレ集団に関わりたくないがために、リンチの対象である僕へ極力関わらないようにしている。
彼もそのうちの一人だったが、そんな彼の思いとは真逆の、彼にとって最悪な事態に陥っているのだろう。
そう、鳩尾に拳が入り、苦しそうにジタバタとする安条の様子を見ながら思った。
しかし、僕にしてみればこれは、ラッキーと言えるだろう。
暴力を振るう対象が増えることで、相対的に僕の負担が減ることになる。
それにもしかしたら、ターゲットが僕から彼に移ることになるかもしれない。
うん、いいこと尽くめだ。
考えれば考えるほど、メリットしかないこの状態。
でもなぜか、僕の口からは、正反対の言葉がついて出た。
「僕以外の奴に、暴力を振るうなよ」って。
痛い。
奴らの一人のつま先が、思い切り鳩尾に入る。
呼吸ができない。転げまわりたい衝動を力ずくで何とか抑える。
………
……
…
「おーいお前らー!ゲーセン行こうぜー!」
随分と時間がたったような気がする。
校舎裏に新たに顔を出した半グレ集団の一人がそう呼びかける。
いい加減僕を嬲るのにも飽きたのだろう。
周りの奴らは顔を見合わせて頷きあうと、僕のポケットをまさぐり出す。
もちろん僕が財布を持ってきているわけがない。
「チッ!おいコイツ、また財布持ってきてねえわ。使えねえなッ!」
痛い。
思い切り振りかぶった拳が、俺の右頬目掛けて飛んでくる。何とか直前で顔を逸らしてダメージを軽減するが、それでも口の中が切れて、呼吸するたびに血の匂いが鋭く鼻に突き刺さる。
髪の毛を掴まれ、無理矢理立たされた。
「ヒデえ顔だな~笑。ハイチーズ笑」
不愉快な掛け声に、不愉快なフラッシュ。ゲラゲラと笑いながら写真を撮り、ようやく満足したのか校舎裏からゾロゾロと奴らは去っていった。
「ハンドルを、左打ちに戻してください。ハンドルを、左打ちに戻してください。」
「…」
「…」
「……帰るか」
俺、カイ、オークの三人は無言でパチンコ台から席を立った。
金景品に交換できない程度の、なけなしのあまり玉をカップヌードルなど、今後生きて行くための食料に交換して、足早にパチンコ屋を出る。
自動ドア越しに聞こえる騒音から距離を取るにつれて、なけなしの金を失った事実が重くのしかかった。
「何であそこで確変取れねえンだよオーク...3分の2もあんのにヨォ」
「お前は当たりすら引けてなかったけどな」
オークに言い返されたカイはすかさず反撃の言葉を口にしようとしたが、不毛な言い争いになることが目に見えて、口をつぐんだ。
5月14日。
毎月毎月ギリギリの生活をしている俺たちだが、例のごとく月もまだ半ばというのに、3人とも出費が重なり、食費を何とか捻出できるだけの金額以外手元に残っていない、そういう状態だった。
とはいえ、5月ということもあり、そこまで寒くもなく、暑くもなく、電気代がかなり浮く。
そういう訳で日常的な生活に支障が出ることはないはずだった。
シェアハウス唯一のトイレが壊れるまでは。
修理費1万4000円。
水が流れない等の壊れ方であれば、大学にトイレを借りに行けばいいだけ。だが、今回の場合はトイレから水があふれだして、修理してもらう以外の選択肢はなかった。
我々の手元に残った金、6000円。
無理だ。
……
「パチンコで増やそう」
誰が言い始めたかは分からない。
ただ、俺たちにとっては一筋の希望となっていた。
俺たちはパチンコ屋へと入り、低貸しコーナーへと、三台並びで着席。
気づいたときには、サンドに千円札を投入していた。
これが崩壊への決定打になったのは、言うまでもない。
「お前ら、一応聞くけどクレカは?」
「限度額」
「同じく」
「だよな」
──終わった。
俺たちはパチンコ屋のある商店街を抜け、黙々と家へと足を進める。
心なしかいつもよりも坂道がキツイ。
「あー、そういや、あのオンナとはどうなったンだよ」
漂う悲壮感に耐えられず、口を開いたのだろう。実際、沈黙よりは幾分かマシだ。
「まあ、ボチボチだよ」
「ボチボチ、ね...」
あまり詳しく話すつもりはなかったが、何もかも初めてのことだから、何となく吐き出したい気持ちになった。
「よく授業終わりに飯食ったりするんだけどさ。別に大したこと話してるわけじゃないんだけど、理由もなく楽しいんだよな。正直こんな事初めてで自分でもビックリだよ」
「アキラ氏、マジ?」
「オレもビックリだなァ」
今までの悲壮な顔が吹き飛んだかのように、オークとカイが顔を見合わせる。
「アキラ氏、高校からついこの前まで、恋愛に対して興味なしどころか、忌避してたじゃろ。高2のマドンナ事件なんてその最たる例だし。」
「それがどうして急に路線変更して、恋愛純情ボーイになっちまったンだ?」
「いや、まだ恋愛感情を持ってると確定したわけじゃなくないか?」
まだわかないよ?俺自身も。
「じゃあアキラ氏、その子と話してるとき思い浮かべてみてよ」
「えー...はい。」
「話している内容というより、話すこと自体が楽しい?」
「うん」
「その子の細かいしぐさや態度がいちいち気になる?」
「うん」
「話しているとドキドキする?」
「まあ...うん」
オークとカイが呆れたような表情を俺に向ける。
「これでまだ分からないとか言ってますぜ、カイ氏」
「ここまでくると逆に怖いな、あンだけ恋愛を避けてきたアキラをここまで骨抜きにしちまうオンナが。」
カイがこちらを見る。
「ハッキリ断言する。アキラ、お前は恋に落ちている。Fall in love.100%間違いない。」
「えー…分からなくないか?」
「まだ言うのか!」
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