第19話

 玄関を開けると笑顔で既に鳩羽が支度を終えて待っていた。


「さぁ、行きましょうか」


 詩乃は鳩羽の手を取って病棟へゆっくりと向かった。紫色の物がない場所を選んで歩いた為少し時間はかかったが何とか病棟まで辿り着いた。


「おかえりなさい」


「ただいま、早速MRIに通そう。準備は?」


「出来てます。鳩羽さんこちらへ。貴金属や電子機器は持ってないですか?」


 鶴見と詩乃はテキパキと話を進め鳩羽を磁場発生中の看板の付いた部屋へと連れて行く。


 ここってクリニックだよね、それも精神病の。この病室もそうだけどなんでこんな設備が?


 2人は部屋の中に入ってしまったため、僕のこの疑問は頭の中を反芻するのみだった。


「どうでした?」


 暫くして検査から出てきた3人を迎えた。


「認知症。それもレビー小体型認知症だったよ」


 鶴見が糸夜の隣の病室に入ったのを確認して話す。


「レビ……なんですか?」


「レビー小体型認知症。アルツハイマー型認知症、血管性認知症に次いで多い認知症なんだ。他の認知症と違って、認知機能より幻覚が出るのが特徴なんだ」


「認知症って……治るんですか?」


「いや……症状に合わせて治療するしかないね。認知機能障害には抗認知症薬。パーキンソン病に対しては抗パーキンソン薬みたいにね」


「パーキンソン病って何ですか?」


「手や足の震えが起きる病気だよ。鳩羽さんの手が結構震えてたのは分かるよね。あれが症状だよ。あとは不眠症治療薬とかも必要かな」


 受付に入って何かを書くとそれを僕に渡した。


「もう在庫がこっちには無くてね。これ用意するよう狐地くんに渡しといてくれるかな」


「え、僕がですか?」


 渡されたのは病院でよく渡される処方箋だ。


「うん。私は鳩羽さんの様子を見てくるから。狐地くんなら1階の不動産に居ると思うから。頼むよ」


「分かりましたぁ」


 僕は仕方なくメモを受け取ると病棟から上がった。


「あのー狐地さん居ますか?」


 チリンチリンと鳴る扉を開く。中は一見デスクとソファの置かれた一般的な事務所だ。電気を付けるが狐地は見当たらない。


「ついに、ついに完成するぞ……」


 暖簾で隔てられた奥の部屋から狐地の声がする。中を覗くと真っ暗な部屋の中、卓上ライトのみを付けた狐地が不気味に笑っていた。


「これさえ有れば……」


 その瞬間、電気が付いた。どうやら覗いた拍子に指が電気スイッチに触れてしまったらしい。


「うわっ!」


 灯りの付いた部屋はそこかしこに設計図や謎の薬品が入ったフラスコ、名前もわからない機械が大量に乱雑に置かれていた。


「こんにちは。あの、詩乃さんからこれ、もらってきて欲しいって事なんですけど」


「あ、あぁ億利さんか。一体どうしたんだい?」


 狐地は机の上にあった紙をぐしゃぐしゃに丸めてポケットに押し込む。


「ん? あぁ、新しい患者さんの薬ね、ちょっと待っててね。えっと何処だったかなぁ」


 僕の持つ処方箋に気付いた狐地はそれを受け取ると、部屋に置かれた棚に向かった。薬や紙が無理矢理詰め込まれて飛び出した棚をガサゴソと探す。


「あったあった。これを渡せば大丈夫だよ」


 棚から何個か薬を取り出すと、全て小さな袋に入れて僕に渡した。


「ありがとうございました」


 億利が外に出たのを確認すると、狐地は大きくため息を吐いた。


「……全く、危うく全部台無しになるところだったよ」


 狐地はポケットから丸まった設計図を取り出すと、丁寧に皺を伸ばしてまた真っ暗な部屋の中、小さな明かりのみを頼りに机に向かった。


「貰ってきましたよ」


 鳩羽の部屋は紫の物も青い物も当然一切置かれてない質素で真っ白な部屋だった。


「ありがとう助かるよ。鳩羽さんこちらを毎日これは2錠ずつ。これとこれは一錠ずつ飲んでくださいね」


 日付ごとに分けられたケースに1粒ずつ入れていく。


「これも、必要なことなのですか?」


 鳩羽の顔が少し曇った。流石に薬は忌避感があるらしい。


「大丈夫ですよ、眠気だったり、物忘れを治すだけのものですから。健康な状態で女神様にお祈りしたいでしょう?」


「それはそうですが……分かりました。使者様の言う事ですものね。2錠と1錠ですね」


 鳩羽は渋々といった態度で薬を受け取った。


 病室を出ると、詩乃がポツリと呟く。


「彼の言ってる女神と化物。その正体は本当に異能なのかな」


「えっ?」


「いや、レビー小体型認知症の幻視に似ていてね……もし治療が成功したら彼の心の支えを奪ってしまうんじゃ無いかと思って」


 詩乃の目が不安で一瞬揺らぐ。


「それでも、現実を見て生きた方が、良いんじゃ無いですか? 医者じゃ無いんで分かりませんけど……」


「……ありがとう。億利さんにそう言われると気が楽になるよ」


 そう笑って詩乃は多少晴れた顔で病棟から出て行った。

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