ライターズ・ブロック

万事めぐる

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 画面上では、主人公が何度も似たような動きを繰り返していた。起きて、朝になったと外に出る。たったそれだけの動きなのに、彼は窓の外を眺めたり、天上を見上げてみたり。しまいには顔面を直射日光で焼かれても部屋の外には出ていかず、あーでもないこーでもないとやってついにベッド上で微動だにしなくなった。私はそんな彼を画面越しに見つめつつ、どのように彼を外にいざなえばいいのか。暗い部屋の中で背もたれに体を預け、ただ点滅するカーソルを眺めるしかなかった。

 脳内のイメージに肉を与え、もう一つの世界で活動させようと筆をとって早数カ月。彼と私は文章を通じ、共に冒険を繰り広げてきた。仲間と会い、困難に立ち向かい、時に危機に陥る。私は物語の中で何度も彼を危険な目に合わせつつ、神の力によって都合よく解決されないよう、何度も彼の軌跡をなぞっては彼の目線に立って物語を進めてきたつもりだった。

 しかし、それが完全に止まった。しかもただ新しい一日を始める、たったその一挙動でだ。

 解決するわけでもないのに、私は腕を組んで両目を閉じる。神経を研ぎ澄ませ、些細な切っ掛けも取りこぼさぬように耳栓までして、意図して向けられる感覚の全ては頭の中心に向けていた。そして自身の記憶と彼が今いる空想上の場所を照らし合わせ、彼を取り巻く環境のディティールを上げていく。朝日は差し込んでいるのか。それとも一日が不運を暗示するように暗雲立ち込めているのか。前日の様子からしてちゃんと寝られていたのか。時系列と比喩と暗喩、そして伏線。彼の性格も鑑みたらどう動くだろう。何度も何度も筋道を考えては霧散する。それはまるで、深く寝入る前の取りまとめのない夢によく似ていた。

 どれぐらいの間そうしていたのか。私はいつの間にか、彼が過ごしているあの部屋に立っていた。部屋の中は薄暗く、しかし何故か私が想像していた通りの部屋だとわかった。寝台に一人がけの机と椅子、こぢんまりとした収納まで全てが私の想像の産物であるからしてその通りではあるのだが、唯一違うのは部屋の主が寝台に存在していなかった事だった。


―――存在なんて、他人行儀じゃあないかい?


 背後から響いた存在感に思わず振り返ると、果たして彼はそこにいた。暗がりの中に佇む彼もまた私の想像通りの洋装をしており、今にでも冒険に出かけられるいで立ちだった。


―――お前の中で俺は寝ているはずだろう?なんでこんな格好になってるんだ。


 何故か彼は、両手を広げ私の考えに呼応した。そしてその内容はその通りであり、私は何故か指摘されるまで気づくことができなかった。


―――なんで気づけなかったんだろうかね、お前の世界なのに。

「いや、君の世界だろう。確かに紡いでいるのは私だが、それでも君がいなければ物語は進まない。私はなるべく君が主体であるように進めていきたいと思っている」

―――俺が言ってるのはそこじゃあない。お前の浅慮さを言ってるんだよ。


 そういって進み出てきた彼の顔を見た時、私の臓腑はすくみ上った。暗がりだからおぼろげだと思っていたその顔は灰色のみであり、表情を司る全ての感覚器が欠如していた。


―――今だってそうだ。俺のトーンや内容からして、どんな表情かを描写することは簡単なはずだ。一言、 “どこかイラついたような表情” ってな。なのにお前はそれすら頭の中で出来てやしねえ。なんだかんだとこねくり回しちゃ手を止めてるだけだ。それに、この後俺が何を言うのか。それもお前、想像できていないだろう?


 図星だった。何度も軌跡をたどり彼の行動パターンを把握していたはずなのに。あれだけ練ったはずのキャラクターシートは効果をなくし、彼の言動は今の私にとっては正に闇雲だった。


―――お前には物書きなんて向いてないんだよ。世の中の受賞者を見てみろ。過去の偉人だって構わないけどな。お前と先生方の違いはなんだ?学歴か?それとも人生経験か?読書量か?答えはな、全部だよ。お前には歴々の受賞者にはあってしかるべきものが何一つない。そもそも俺を書き出そうって考えたきっかけはなんだ?ただの現実逃避じゃあないか。ただ自分の身の上を悲観して、俺を通して万能感に浸りたいだけなんだよお前は。


 その指摘に、私の芯は冷え切り、委縮しきった。それは私が物書きを自称するようになってから常に付きまとっている影であり、私の足元でとぐろを巻いては時に鎌首をもたげ食らいつこうとする毒蛇だった。


―――ほら、今も良くわからない比喩を使ってら。ここでそんな表現して読者が世界観にのめりこむと思ってんのか?一丁前に文化人を気取ってんじゃねえよ。ろくに本も読まず、マンガとネットに入り浸ってた人間が何マセてんだ?


 思考が悉く読まれ、言い返す事もできずに私は立ちすくんだ。元からおぼろげだった感覚はついになくなり、次の瞬間には私は床によろけ落ちて彼を見上げていた。


―――本当の小説家はな、伝えたいことと向き合ってキャラクターを動かすんだよ。お前みたいにこんな物語あったら楽しいだろうなって薄っぺらい動機で書く奴なんて小説家じゃねえ。さっさと筆をおいて現実と向き合えよこの引きこもりが。


 彼が伝えてきた最後の一言は巨大な手となって私を払いのけ、室外へ吹き飛ばした。私は、私が仰向けに奈落へ落ち、背中から闇に沈んでいくのを何故か茫然と客観視していた。


「…確かに私はただの引きこもりだ」


 落ち行く私の口が動く。


「ろくに就職もできず、ただ仮想の世界に入り浸って、主人公に自分を重ねて無双している所を夢想する。しょうもない人間だよ」


 私が自認するにつれ、私はどんどんと呑み込まれていく。


「でもな、君に言い返したいことがある。キミが言っていることは事実ではあるが正論ではない。社会的一般論ではあるが、真理ではないんだよ」


 残すところが口のみとなったところで、闇の境界線が止まった。


「歴代の文豪は自殺に中毒、浮気に借金となんでもありだった。現代作家だって社会人との兼業作家だらけだ。順風満帆になんの挫折もなく一流大学に入って、文学部の文学サークル出身の人間が書いた小説が心に刺さるかと聞かれたら、私はノーと答えるね。小説も人生も凸凹あるから楽しいんじゃないか」


 私を飲み込んでいた闇が徐々に退き始め、私の輪郭がはっきりしてくる。


「そもそもネットや漫画に入り浸って何が悪い。そんな環境があったから私は彼らの作品に触れ、いつか私もこんな物語を紡ぎたいという思いが生まれたんだ。たまたまそれが失業をきっかけに爆発しただけなんだよ。それすらも許されないなら、インスパイアやオマージュという言葉は発生しなかったろうし、同人誌だって存在しないだろ」


 いつのまにか私は私の中から彼を見上げ、闇から手を引き抜いた。仰向けにしりもちをついた姿勢から前かがみになり手をつくと、然りと体は支えられ、私は立ち上がり始める。


「というかね、君は小説を美化しすぎてるんだよ。小説は文化で、芸術だ。そりゃ確かにそうだけど、じゃあ芸術は清く気高くなけりゃいけないのか?違うな。他人を貶めず、害さず、邪魔にならなければなんでもいいんだ。ゴミで作ったアートもある。幼稚園児が作った落書きだって値段がつく時代だ。なら、私みたいなゴミ人間が駄文を書き連ねたってかまわないだろうが」


 私は姿勢を正し、正面から彼を見据えた。相変わらず灰色の能面な彼はなにもせず立っている。


「君の言う通り私には何もない。学歴も無きゃ、文才だってないだろう。読書量だって足りてないし、何だったら読書の最中に寝落ちするような人間だ。私以上に物書きに不向きな人間はなかなかいないだろうよ」


 そういいながら一歩踏み込む。一歩、また一歩と吹き飛ばされた距離を縮めるにつれ、徐々に周りは明るさを取り戻していく。


「でもな、そんな私でも誇れる点が2つだけある。1つは高校時代に、一回だけ国語でマグレで満点を取って、何十人もいる全国一位の一人になったこと。もう一つは、君を書き始めて数カ月経っていることだ。何万文字だぞ?飽きっぽい私がそれだけ積み上げてきたことを認めてくれたっていいんじゃないか」


 ついに距離を詰め、彼と対峙した。周りはすっかり白一色となり、そんな空間の中で灰色の顔をした彼を見つめる。


「……親が心配しているのはわかるさ。そこは申し訳ない。ただ、今この物語を完成させなきゃ、私は後悔すると思う。現実逃避でもあるが、そんなの分かり切った事じゃないか。まあ、酒やたばこに逃げるよりはるかに建設的だろ?」


 自分で言ってて笑えてきた私は、そのまま彼の肩を小突いた。いつのまにか彼の顔にも表情が戻り、私を見て苦笑いをしていた。


「そりゃそうだ!じゃあ、とっとと俺の事起こしてくれよな?ここまで自分語りしたんだ、流石にこれで詰まりっぱなしとかやめてくれよな!」


 私の肩を小突き返してきた彼は最後に小さく、大きく両手を広げた。


「とにかく、詰まったらいったん勢いで書け!伏線やら時系列やらは後付けにしろ!とにかく骨組みを作っていきゃ物語は進むと思うぜ!それじゃ、これからもよろしくな!」


そして勢いよく手を打ち鳴らしたと同時に、私は目を覚ました。


 目の前では相変わらずカーソルが点滅していたが、締め切ったカーテンの隙間からは日が差し込み、室内に薄明るさをもたらしていた。座ったまま寝入っていた私は一旦立ち上がって体を軽くほぐし、耳栓を引っこ抜いてカーテンを開けに行く。ジャっと小気味良い音を立てて脇によけると、目がくらむのもそこそこにデスク前に陣取った。



「あー良く寝た。なんかあった気もするけど、覚えてないなら平気だろ!さー今日も冒険に行くぞ!」

 そういって俺は朝日に照らされたドアノブをひっつかみ、廊下へ飛び出した。



「……すまん。昨日までの問題は全部未解決なんだ。どうか行く先々で怒られてくれ」



 伏線も時系列も全部投げることを選択した私は、彼を修羅の道に進ませた。


 



 


 


 

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