ケース2「収集家」

「どうしてあんなふうに締めくくったんですか。」

怒りに振るえながらも、冷静を保つためにその男は声を荒げぬよう必死の形相で訴えていた。

編集長はどうしたものかといった表情で顎の下を掻く。

「あの、私でよろしければ今からもう一度取材させて頂けないでしょうか。」

とっさの判断だった。

編集長は渋々「任せる」とだけ言い、デスクに戻った。


「詳しい話は車で。」

初老の男は眉間に皺を寄せ、額や首に浮かぶ玉のような汗を仇のようにハンカチで叩き潰しながら言った。


うちの出版社で半年前に取材したある空き家について、その元の家主が抗議の電話をかけてきたことが始まりだった。

記事の内容としては〇〇県のとある家で、半年前に女性とその息子が神隠しにあい、未だに消息が掴めないというものであった。正直に言って、稚拙でよくある面白みのないテーマであったため、この記事に関してクレームが来ることは想定していた。また、執筆した記者は2ヶ月前に退職しており、この記事に関しては引継ぎのないままで今回のような事態に陥っている。

尻拭いもいいところだ。


ふと視線を運転席にやると、怒りと汗の止まらぬ様子から田中さんは明らかに逼迫した様子であることが分かる。

「あのね、記事を見たとき、本当に驚いたんですよ。あんな書き方をされたら勘違いが起きるでしょう。私はそんなつもりで取材を受けたんじゃありませんよ。あの出来事を記録として残しておきたくて受けたんです。」

「すみません、担当が2ヶ月前に退職したもので連絡も難しく、詳しいことがあまりわからず……」

「……。そうですか。」


田中さんはなにか決意のような表情を浮かべ、ポツポツと話し始めた。

「去年の話です。元々、私の家族が住んでいました。別れた妻と息子です。病気を患い職を失ったことがきっかけで愛想をつかされましてね。親権も持っていかれてしまって。

別居してたんですがある晩にその妻から携帯に着信があったんです。来て欲しい、と。私は実家の手伝いに地方に戻っていましたから、家に着くのは翌日になる旨を伝えたうえでできるだけ急いで向かいました。酒癖の悪かった元妻のためではありません。息子のためです。」


田中さんは苦い表情でハンドルを切ると、

ゆっくりと車は空き地の前でとまった。

「あの、家に向かうのでは?」

「えぇ、ここが家だった場所です。」


空き地を指されたが、そこは1年前まで家があったような場所ではなかった。起伏のある地面には数本の木と石や雑草が無造作に散らばっている。

「これは……去年まで家があったようには……」

「えぇ。おかしいですよね。でも、ありましたよ。私が元妻からの連絡を受けて、ここに帰ってきたらこうなっていたんです。おかしいでしょう。」

「……。」


明らかにおかしい。ここ一角だけ森を切り取って貼り付けられたかのような雰囲気だった。

そしてもうひとつ、件の記事の締めくくり。

「…その家は未だ〇〇県のとある住宅街の中に佇んでいる。」



失礼であることは重々承知の上で、私は尋ねざるをえなかった。

「失礼ですが、病気というのは……」

「ストレス性の難聴だそうです。思い当たる節もなかったんですがね。」

「記事の内容だと、家はまだ存在しているはずですが……」

「そうですね。記事が出る前、あの記者から連絡が来ましてね。見つけたので安心してください、と言われましたよ。最初はなんのことだかわからなかったんですが、ずっと電話口から聞こえてたんですよ。風で木々が揺れる音とか、虫の声とか。

多分、見つけたんでしょうね。家。」


あたりは暗くなり始めていた。

「あの、それではまるで、家がどこか別の場所にあったというように聞こえますが……」

「はい。そうなんだと思います。」

外は暑く、湿り気のある外気に温められた車内ではいくら拭っても汗は出続ける。

「多分ね、妻からの電話。あれは来て欲しい、じゃなかったんでしょうね。」

「え?」

「来て。欲しい。つまり私の何かが欲しかったんですよ。」

「心当たりがあるんですか?」


いつの間にか田中さんの表情は落ち着き、どこか諦めたような顔つきであった。

「難聴って言ったでしょう。あれね、聞こえなくなる訳じゃないんです。正確には、日常の音が聞こえないほど聞こえてしまってるんですよ。

ずっと聞こえてるんですよ。森のざわめきと虫の羽音と、あと、ありがとうって声です。」


なるほど。妻も息子も、家も。持っていかれてしまったんだなぁと、妙な納得感であった。

そして恐らく田中さん自身も。



気がつくと、周りはうっすらと明るくなり始めていた。

朝とはいえ晩夏のぬるい風は空き地を撫で、草の擦れる音はどこか満足げな落ち着きを孕んでいた。

また本当に存在していたのかすら曖昧だが、車も彼の姿も、そこには無かった。


恐らく田中さん自身、分かっていたのだろう。そのうえで、次の「供物」になる人間が現れないよう、肝試しのネタになるような記事は取り消したかったのだ。


数日かけて編集部に掛け合い、記事の修正もあらかた終わった。しかし今回も、あの子には関係はなかった。



明日からまた取材だ。

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