いかれた魔法使いと可愛い妹

京野 薫

業火の魔女とハンバーガー

 この春から高校1年生になる私「久慈くじ かなえ」にとって、日々とはいかに楽に過ごせるか。

 最低限のエネルギーと負荷で、シンプルに生活する。

 そりゃそうでしょ。

 何が楽しくて面倒ごとに自ら飛び込む必要があるのやら。


 なので、逆説的だけど勉強も運動も頑張って、クラスでも上位をキープしていた。

 だって、上位に居れば積み上げた基礎でその後を楽に進められるし、何より親や教師からうるさくアレコレ言われなくてすむでしょ?


 波風立てずに楽に生きる。

 トラブルなんて真っ平。

 そんな日々は高校生になってもつつがなく進むはずだった。


 ……昨日までは。


 世界の誰よりも可愛い双子の妹のしずく

 おとなしいし控えめだけど、笑顔が可愛くて心優しい妹。

 その性格のせいで周りから厄介ごとばかり押し付けられるけど、それをニコニコと引き受けて、無駄なエネルギーばかり使っている可愛そうな雫。

 ああ……でも、そこも可愛くてほっとけない。


 そんな彼女が交通事故にあった。

 横断歩道で転んだおじいちゃんを助けようとして代わりに……


 それから意識不明になってたけど、私はこのときばかりは省エネとかも忘れて泣き明かした。

 お医者さんが言うには助かっても脳死状態を免れないらしい。


 そんな……


 絶望のどん底で病院の廊下で座ってた私に、お母さんがパニック状態で言った。


「かなえ! ……雫が……目を覚ました……」


 私はそこからは記憶にない。

 慌てて集中治療室に駆け込んで目を覚ました雫に話しかけた。

 そして、私の目を見た雫が言った一言は今でも……いや、生涯脳から離れる事はないだろう。


 世界で一番愛おしい雫。

 大人しくてやさしくて控えめな雫。

 そんな彼女は私を見るとこういった。


「おい、女。ここは何じゃ。眩しくてかなわん。状況を説明せい。簡潔にだ」


 ※


 あの希望と絶望の日から1週間。

 雫は信じられないほどの回復を見せ、怪我も無く脳波にも以上が無いという事で退院となった。

 嘘でしょ!?

 先生も理解できない、と言う感じで言った。


「こんなの見たことがありません。ぜひ研究データとして報告させていただければ」


 もちろんつつがなく断って病室に雫を迎えに行き、無言を貫く雫と共に車に乗った。

 可愛い妹をデータって……死ね!


 雫はあれ以来、全くしゃべらなくなった。

 私たちが話しかけても無言で、周囲をキョロキョロ見回しては何かを観察していた。

 そして眉をひそめてじっと考え事をすると、突然私の持っていたタブレットに興味津々と言った感じで見ていたので、慌てて雫のタブレットを渡すと、最初は使い方が分からなかったようだけど、説明するとすぐに使い始め、一心不乱に色々と調べ始めた。


 事故のショックでこんな事も分からなくなってたんだ……


 私とお母さんは心配でならなかったけど、何とか無事に退院の日を迎えた。


 お母さんの運転する車の中で、私は相変わらずタブレットを無言で操作する雫に言った。


「良かったね、雫。これからしばらくは家でゆっくりするといいよ。それで落ち着いたら学校へ……って、雫?」


 私は思わず言葉を切って、雫を覗き込んだ。

 何か……様子が変だ。

 雫は急に静かに笑い出すと、それはその内車内に響き渡るくらいの大きな笑い声になった。


「え? え? 何……なんなの!?」


「まったく……こんな厄介な世界に追放されるとは、神か悪魔か知らんがわしもよほど嫌われたと見える。だが、誤算だったな! ここには想像以上の魔法が満ちておる! ようやく世界の全容、理解したぞ。おい、女! 貴様の貸してくれたこの『たぶれっと』と言う魔道具、わしが頂く」


「も……もちろんよ。それ、最初からあなたのだから」


「よい心がけだ。よし、その忠誠に免じてお前をわしの愛人にしてやろう。泣いて喜べ」


「……は?」


 アイジン……って、あの愛人?

 へ……はへ?

 雫……だよね? 言ってるの?


「ね……ねえ、やっぱり病院に戻りましょう。雫、脳の具合を見てもらったほうが……」


 困り果てた口調で話すお母さんに雫は鼻で笑うと言った。


「女中。気遣いは不要。わしは至って正常だ。今までこの珍妙な世界のことが全く分かってなかったが、ようやく理解したぞ。ここは……流刑地だな」


「へ?」


「『ビョウイン』といわれたあの無味乾燥な建物。そして魔道具でしらべた所、ある単語……『ぶらっくきぎょう』と言う言葉にたどり着いた。映し出された世界の様子は皆、死んだような目で強制労働をさせられて絵や日々の記録の数々により救世主を求めておる。つまりここは……『ぶらっくきぎょう』と言う流刑地なのだろう」


 えっと……お母さん? 私も脳の検査を受けたほうがいいのかな……言ってる事が訳わかんない。


「だが案ずるな。お前たちは運がいい。わしがいるのだからな。驚きと感動で言葉が出ないのは分かるがもう少し冷静になれ」


「えっと……雫?」


「愛人。さっきからその『雫』とはなんじゃ。わしを王宮魔道師アンナ・エルーダ、またの名を『業火ごうかの魔女』と知っての冗談か」


「……お母さん。すぐに病院戻ろう。雫……ダメだよ。狂ってる」


「……貴様! わしを狂人扱いするのか! 何たる愚弄……愛人と女中とは言え罰を与えてやる……」


 そう言うと雫は聞いた事の無い外国の言葉を短くぶつぶつとつぶやくと、手を変な風に動かし始めた。


「……いでよ……フェンリル! こやつらに極上の恐怖を」


 そう言うと雫の目の前に真っ暗な穴がポッカリと開き、そこから真っ赤な火に包まれた頭部が……


「……可愛い」


 私は穴から現れた15センチほどの可愛らしいワンちゃんを見て、思わずほっこりしながら言った。

 身体を包んでいる火は熱そうで触れないのは残念だけど……って、あれ? 全然熱くない? って言うか、程よくあったかい。


「な! ……フェンリル……どういう事じゃ!? このあたり一体を更地にする勇士はどこに行った!?」


 雫は見るも無残に慌てている。

 って言うか……我に返った私とお母さんは、今の現象をやっと理解した。

 今の……なに?

 この子、空中に穴あけたよ……ね。


 私は今までの事が重なったせいだろうか……目の前が暗くなってきて……意識を失った。


 ※


 次に意識が戻ったのは、頬を撫でるあったかい温もりだった。

 ん? なに……

 目を覚ますと、まだ車内で柔らかい感触に慌てて意識を戻すと、それは雫のふとももだった。

 え? ええっ!?

 そして、頬の温かさは雫がフェンリルと言ってたワンちゃんが舐めていたからだった。


「お、ようやく目覚めたか。女中も気を失ったが捨て置いた。女中より愛人のほうが序列は高いからな。あやつも今後それを糧に精進するとよいだろう」


「私……気を……」


「全く何のことか分からん。魔道具の情報だけではピンと来ぬことが多い。愛人、説明せよ」


 って言うか、お互い様。

 私も聞きたいこと、山ほどある。

 

 それから、フェンリルと言うワンちゃんの舐められてようやく目覚めたお母さんと共に、私たちは近くのマックに入り、お互いの事を話し合った。

 って言うかこんな状況で偉く冷静だな、私たち……


「ああ、遅くなったがお前らには『沈静化』の魔法をかけてある。で、ないとわしにあった喜びで狂乱状態になると面倒だからな」


 なんと都合の良い魔法でしょ。

 とにかくお互いの事を聞き……それでも受け入れ不能だけど。


「つまり、あなたはフェザードと言う国で業火の魔女といわれてた英雄と言うわけね。それで国王の側近だったけど、誰かに毒を盛られて意識を失って目覚めたら、集中治療室だった、と」


 何か、自分で言ってて出来の悪いテレビのやらせみたいな気がしてきた。

 くだらなすぎて現実感が無い。

 でも、さっき変な穴から可愛いワンちゃんを出したのは事実だし……


「って言うか、それでなぜか雫の身体をのっとったって訳ね……」


「そういうことだな。まさか、魂ごとこんな流刑地に追放されるとはな。しかし、さすがに流刑地だ。わしの魔力もここまで弱体化させられるとは……面白いではないか。だがわしもこのままこのブラックキギョウと言う流刑地に留まるつもりは無い。そうそう、フェザードに帰る暁には雫とやらの魂を反魂の魔法で元に戻してやるからな」


「え!? そんな事できるの!」


 私とお母さんの言葉に雫は事も無げに答えた。


「当然じゃ。わしを誰だと思っておる。その程度赤子の手をひねるよりたやすい」


 え……だったら……このニセ雫を大事にしないと。

 言ってる事はクレイジーとしか言いようがないけど、アンナなんちゃらの事情なんてどうでもいい。

 だったらとっとと元の世界に戻ってもらわないと。


「ねえ、じゃあどうやって元の世界に戻れるの?」


「ふむ……分からん」


「分からん、って!」


「来てすぐにそこまで分からん。それより……この流刑地の女中は見目麗しいのが多いのう。特に官能的な衣装は素晴らしい」


「お待たせしました。ビッグバーガーのセットになります」


 そう言ってにこやかな笑顔と口調でハンバーガーを置いた店員さんに雫はニコニコと笑いながら言った。


「おい、女中喜べ。貴様を我が6番目の妻にしてやろう。側室と言うことだな。名はなんと言う? 隣にいる事を許可してやるからとっとと座れ」


「えっと……お客様……」


「あの、すいません! お気になさらず。この子、ちょっと頭を打って入院してて……」


 ああ……誰か私を殺して……


「あ、失礼致します」


 顔を引きつらせてそそくさと戻っていく店員さんを不満げに見ながら、雫は言った。


「おい、愛人! いくら嫉妬したからと言って、そのような無粋なやり方で追い払うでない。案ずるな、後でいくらでも可愛がってやる」


「うるさい! あと、その呼び方やめて! わたしはかなえ」


「うるさい、愛人」


 雫はそう言いながらビッグバーカーをしげしげと眺めていた。


「それはこうやって食べるの」


 私は目の前でハンバーガーを食べて見せた。


「ほう……」


 こわごわと雫はビッグバーガーを掴むと口に入れた。

 すると、目を大きく見開いてそのまましばらく固まってたけど、突然大声を上げた。


「素晴らしい! 王宮でもこのような美味たる料理はなかった! これこそまさに神の食べ物! おい、これを作ったのは誰だ!」


 そう言うと雫は突然席を立ち、カウンターへ駆け出した。

 え! えっ!? ちょっと……やな予感!

 雫はカウンターに身を乗り出すと、置くの調理場に向かってまくし立てた。


「おい! この料理を作ったのは誰だ! さっそく我が専属の料理人にしてやろう。泣いてよろこ……」


 その時。

 カウンターに立っていたいかついサングラスの叔父さんと40台っぽいおじさんがレジの女の子に向かって怒鳴り散らしていた。

 怒鳴られてるのはさっきハンバーガーを持って来てくれた子だ。


「おい! 俺、確かポテトは揚げたてで、って言ったよな! なんでベチョっとしけってるわけ? お前が持ってきたんだろ!」


「すいません、お客様……ですが揚げたてで、と言うのはこちらとしては伺ってなかったようで……」


「じゃあ俺がでたらめ言ったのかよ! この店とお前の名前覚えたからな! ネットにアップしてやるぞ」


「お客様……店長を呼んできますので……」


「なに? 俺をどうするんだよ! お前、後で個人的にわびてもらうからな!」


 うわ……変なクレーマーだ。

 って言うか、これ……彼女が危ないよね……でもどうすれば。

 

 その時、雫がすたすたとクレーマーに近づいた。


「おい、わしの側室に何を言っておる?」


 クレーマーは突然現れた雫を睨み付けた。


「なんだ、お前?」


「わしは業火の魔女、アンナ・エルーダ。この場で泣いて土下座すればそのような口をきいた罪は不問とする。で無ければわしの側室を愚弄した罪で、腕を切断した後、この『ブラックキギョウ』にて強制労働80年だ」


「ちょ……ちょっと、雫! まずいって」


 私は慌てて雫の腕を引っ張った。

 業火だかなんだか知らないけど、こっちではあんたポンコツなんでしょ!


「なに、このガキ頭いかれてるのか」


 おじさんがそう言うと、もう1人のサングラスのクレーマーが雫を見て言った。


「可愛い顔して何が『なんとかの魔女』だよ。消えろ、クソガキ……って……ガアア!」


 クレーマーがしゃべってる途中、雫がクレーマーの腕を捕まえて逆方向にひねり上げた。

 

「う……動かない! なんだ、このガキ……」


「わしを魔法に頼るだけの女と思うたか? 元々は剣闘士。こういう戦いの方が血沸き肉踊る」


「ちょっと! 乱暴やめて! 腕折ったら捕まるから!」


「捕まる? なんだ。ここでは殺戮は禁止か?」


「当たり前でしょ! 元の世界に帰れなくなるよ!」


「そうか。分かった」


 そう言うと雫はクレーマーのお腹に蹴りを入れた。

 するとクレーマーは壁に物凄い音を上げて激突した。


「なんだ……こいつ……」


「よし。次は貴様だな。久々の戦いはワクワクする。さあ、心ゆくまで戦おうではないか」


 ニヤリとわらって手招きをした雫を信じられないような表情で見ると、おじさんはクレーマーを置いて逃げていった。


「ふん、つまらん。お互いの腕一本が使えなくなる辺りから面白いのに」


 良かった……ってか、雫……じゃない、アンナとか言う女、こんな強かったんだ……

 そして、ふと我に帰ると店内は見事に静まり返っている。

 見ると、携帯で雫を取ってる男もチラホラと……


「あの子、誰? めちゃカッコよくない?」


「神だよ、神」

 

 雫はそういったサラリーマンに向かってにこやかに言った。


「わしは神ではない。だが、よい分析だな褒めて遣わす。よし、貴様を我が従者にしてやろう。名はなんという?」


「ちょ……もういい!」


「うるさい。さっきからわしを独り占めにしようとするな。……おい、側室。無事か」


 そういわれた店員さんはポカンとしていたけど、慌てて雫を見るとぺこりと頭を下げた。


「はい……有難うございます。お陰さまで」


 店員さんがそう言うと、雫は優しく微笑みすたすた近づくと、店員さんのあごを掴んでクイっと優しく持ち上げながら言った。


「ならよかった。貴様は宝石より尊い宝。そしてわしの大事な家族だ。わしはお前をこの命に代えても守る。だから、今後も安心してわしにその身を預けよ。分かったな」


「……はい」


 あ、あれれ?

 店員さん、なんか顔が真っ赤に……ええっ!?


「さて、帰るぞ愛人。あとこの流刑地の料理を持てるだけ持って帰れ。気に入った。ここをわしの御用達にしてやる。貴様ら泣いて喜べ。愛する側室もおるしな。ああ、後、この男はここで強制労働80年だ。生かさず殺さずで奴隷とするがよい」


「……はい。また……ぜひお待ちしております」


 ああ……なんか、偉い事になっちゃった。

 ってか、店員さんなんで恋する乙女の顔!?


 なんか……疲れた。

 グッタリしながら家に帰った私に雫は突然大声を上げた。


「いかん! すぐに戻るぞ! 愛人」


「今度は何よ! もどるなら1人で戻って!」


「ばか者! あの神の料理『はんばーがー』を作ったものを召抱えねばならんかった!」


「勝手にしなさい!」

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