3日目

寒さもあってあまり眠れなかった。現在6時。

11時から一斉スリープ開始らしい。後5時間後にはみんなカプセルの中か。俺は、どうしてるんだろう。

ポケットが揺れ、スマホの通知音がなった。


「起きてる?」

「寝てるよ」

「起きてるじゃん。早いね。」

「そっちこそ」

「昨日言ったでしょ。不安だって。こういう時こそ彼氏の出番じゃない?」

「俺がそばにいるよ」

「わあ頼もしい。ところで、急なんだけど今か

ら会えない?」


嬉しかった。最後の最後に俺を頼ってくれることが。


「いいよ。」それだけ返してミユの家に向かった。要件は聞かないでおいた。俺にも、ミユにもきっとその方が都合がいい。意味もなく甘えたくなる時だって人にはある。


「あ、いきなりごめんね」

「いや、大丈夫」

「時間あるから、上がって上がって」


何気に家上がるの初めてかもしれない。みんな寝たらまた来よう。


「これ飲んで、そこで待ってて」


出されたお茶を飲んで言われた通り待つことにした。

現在午前7時。あと4時間。ミユが戻ってきた。


「ね、お茶美味しい?」

「まーね」

「あのさ」

「何?」

「隠し事とか、しないでね」


ミユは一瞬、俺の目の奥をじっと見据えた。その目には直感的に何かを察知しようとする鋭さがあった。


「しないよ」


俺は少し目を逸らし、残ったお茶を飲み干した。一瞬、胸が傷んだ。でもミユが寂しがるなんて初めてだったから、嬉しかった。1人になる前に最後くらい、いい思いしてもいいんじゃないか、なんて考えてた。時間はあっという間だった。まあお茶飲んでたら眠くなって2人で寝てただけなんだけど。

気づいたら現在10時。ミユはまだ寝ていた。起きなかったらまずいから勝手にアラームだけかけておいた。これ以上はどうしようもないからメールで先行ってるって、それだけ送って俺は家を出た。そのまま公園で時間を潰すことにした。

現在10時半。メールの音がする。


「ねぇもう着いた?」

「ちょっと無視しないで」


みんな、そろそろか。柄にもなくブランコに乗って地面を蹴った。勢いつけすぎて背中から落

ちた。そのままボーッと空を眺めてた。


現在10時45分。メールの音がする。


「カプセルの中ってどう?」

「あ、そしたらメール出来ないか」


もうほとんど街には人がいなかった。静かな街もそう悪くない。そう思いたい。本当は否定し

てる自分がいた。


現在、10時55分。


昨日来た観覧車の前で、1人で立っていた。今日もまた、雪が降っていた。テレビもラジオもインターネットも全て止まったまま。


現在11時15分。


携帯は使えるが明日には病院や介護施設以外のインフラが停止して使えなくなるだろう。今頃ミユはカプセルの中か。あれ寝やすいのかな。俺が黙ってたこと怒るかな。墓に唾でもかけてくんのかな。目覚ましたら30年後で、俺はいなくて、それ以外はいつもどうり。それでも幸せになれるよな。回り続ける観覧車を見ながら、そんなことを考えてた。雪は静かに降り積もり、街はまるで死んだように静まり返っていた。テレビもラジオもインターネットもすべてが止まり、世界は文明を先送りにした。俺は、この静けさの中で自分がどれほど無力で、どれほど小さな存在なのかを痛感した。ミユも、もうどこにもいない。この先、何もかもが変わってしまうんだ。この世界に、俺だけが取り残されたような気がしてならなかった。未来なんて、俺にはもう関係ない。そう思うと、胸の中に広がるのはただの虚しさだった。


「嘘つき」


直前のメールで、残したミユのメッセージ。最後の最後に愛想をつかされたことが少し悲しかった。仕方がないとも思った。もうここら辺で全部終わりにするつもりだった。雪は未だ静かに降り続け、世界はまるで息を潜めたかのように静まり続けていた。俺は一人、観覧車の前で佇み、何もかもが終わってしまったと感じていた。

それでも、なぜか振り返ることができなかった。すべてが終わった今、何も期待するものなんてないはずだった。


「嘘つき」


その時、背後からかすかに聞こえた声。


心臓が凍りつくような衝撃が走った。まるで氷の刃が胸を貫いたかのように、その一言が俺の中に突き刺さった。

咄嗟に振り向いた向こうとしたが、体が思うように動かなかった。俺は硬直した体をゆっくりと動かし振り向いた。それはどうしようもないくらいの残酷な現実だった。聞こえた声は幻聴で、見えたのは俺に踏みしめられた雪の足跡。無意識のうちに膝から崩れ落ちた。胸の奥から感情が溢れ、涙となって目を濡らした。拭っても拭っても溢れてきた。柄にもなく大声で泣いた。全ての人が眠ったこの世界に向かっての慟哭であった。この選択をしたのは俺なのに。自分の選んだ選択を後悔しないって決めてたのに。俺の心が壊れかけた時、再びその言葉は耳に届いた。


俺の生きた人生で、最も衝撃を感じたであろう瞬間であった。


「本当に嘘つき」


一瞬、されども永遠に近い時間に感じた。声にならない声が出た気がした。目の前で振り落ちる雪の結晶が地面に落ちる間のコンマ数秒の永遠を感じた。ゆっくりと後ろを振り向いた。そこにあったのは、俺が騙し続けた秘密、最悪の未来だった。なのにどうしようもなく嬉しかった。あの特徴的な白髪。ロングヘア。立ち姿。細身で小柄、だけども大食い。俺が1番よく知っている。それは絶望であり、希望であった。逃げ場のない現実がついに目の前に立ち現れた瞬間だった。

刹那の静寂を破り、先に口を開いたのは彼女だった。


「さっきね、私コールドスリープ、断ってきたんだ」

「私の予想当たってた。君も断ってるって思った。でも外れてたらどうしようって思って

た。」


その言葉に何も言えなかった。それと同時に悟りもした。俺の絶望がどれほど生温いものなのか。裏切られた気持ちを知らずに、崩れ落ちる自分が愚かしいと感じた。

ミユの震える声が俺に必死に訴えかけていた。心の底から申し訳ないと思った。この決断にたどり着くまでどのくらいの苦悩があったのだろうか。ミユが口を開いて嗚咽する度、胸が締め付けられた。俺はその全てに申し訳なくて、ミユを思いっきり抱きしめた。もう、泣かなくて済むように、これから、俺を頼れるように。

「嘘つき」

彼女は震える声で、もう一度同じ言葉を、聞き取るのも精一杯の一言だけ言って、俺の胸に顔を埋めて泣き続けた。ひたすら泣いたあと、彼女は顔を上げずに言った。

「ねぇ」

「何?」

「もうどこにも行かない?」

「行かないよ」

2人で手を繋いで観覧車に乗った。ドアがさびた金属音を鳴らし、2人をゴンドラへと導いた。

ゴンドラの椅子に座るとひんやりとした金属の感触が肌に触れる。ミユがそっと肩によりかかってきたので、俺は昨日と同じようにそっと肩を抱き寄せ、頭を撫でた。くすぐったそうに笑うミユが可愛くて、ずっと撫でていたくなった。ドアが閉まり、観覧車が軋む音と共にゆっくりと回り始めるのを、目をつぶりそっと感じていた。その間にも冷たいすきま風が流れ込み、体を冷やした。俺は震えるミユにそっと上着を掛け、窓の外を眺めた。誰もいない東京の夜景の静寂が、世界の孤独を知らしめているように見えたが、今の俺たちの前にはなんの意味もないように思えた。ミユの笑顔を見てそう思った。雲の隙間から差し込む月明かりが、淡くゴンドラを照らし、ミユの笑顔をより鮮明に照らした。その姿が幻想的でありながら儚くも見えて、俺は怖くなってまた抱きしめた。ミユは一瞬驚き、目を丸くしたが少しすると恐る恐る俺の背中に手を回し、体を預け応えてくれた。俺たちは、錆び付いた観覧車の音が、終わりの合図のように聞こえてくるのを、黙って聞いていた。一周して止まったゴンドラの中で、俺はゆっくりとミユを離した。

少し窓の外に目をやると、はらりはらりと舞い落ちる雪が窓の隙間に積もっていく。人の思い出も、こう積もっていくのだろうか。街の光が消え始め、この観覧車含め、世界が暗闇に包ま

れていく。

「なあ」

「何」

「いつか、結婚しよう」

「約束」


電気が切れ、ネットワークが切れ、ガスが切れ、ライフラインが全て切れた最先端文明社会の中で2人は原始的に指を切る。降っていた雪はとうに止み、新しく夜明けの日が雪を溶かし始めていた。


現在午前7時。


観覧車の中で起床。散らばった服を拾い、そっとミユの髪を撫でた。探索に備えよう。横になって寝てるミユに俺は一言かけておく。全てが変わってしまった世界で、何も変わっていないかのように俺たちは言葉を交わす。

「なあ、起きてる?」

「寝てる」


午前7時15分。

何も変わらない君の冗談に、俺は安心した。

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7時15分の嘘 アフリカ人中本 @taro9067

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