2日目
朝は昨日の幸福感を打ち消すほど不快な目覚ましの音で起きた為か、どうにも眠気が収まらなかった。しかし、連絡を知らせるメールの音で目が覚めた。
「集合9時ね。場所はハチ公前。遅刻厳禁」
咄嗟に時計を見る。7時20分。余裕。とりあえず顔洗って、歯磨いた。飯はポップコーンでも食べよう。
俺は急いで支度をし、1LDKの誰も居ない家に行ってきますを言い、ハチ公前に急いだ。
駅まで走り、満員電車に潰され、またハチ公前まで走り、到着。時刻は8時半。規定時間30分前。にもかかわらずミユは到着していた。
白髪のロングヘアが風に揺れる姿はどこか凛としている。
「遅刻。」
「30分前なんだけど。」
「こういうのは1時間前に着いとくべきでしょ」
「えぇ…」
「ね、最初どこ行く?」
「映画行こう。それからひたすら食べ歩こう。最後は外で夜景でも見よう」
「いいね、私、こう見えて結構大食いだから」
「意外。背ちっさいのに」
現在11時半、映画終了。コールドスリープ前日にサイコホラーなんて見るもんじゃない。怖くてカプセルの中ですら寝れなくなる。
「あのさ、なんで今日に限ってサイコホラーなの。普通こういう時って感動系でしょ。」
「あえて、ね」
「センス悪っ!」
現在午後2時半。絶賛食べ歩き中。胃もたれしそう。
「なんでこんなに甘いものばっかりなんだよ…」
「そりゃ美味しいからでしょ」
「俺吐きそうなんだけど」
「勘弁して」
現在6時半。まさか3時間以上食べ歩きするとは思わなかった。まあ、食べてるだけじゃないけど。
「ちょっと時間あるね。何する?」
「なんも考えてなかった。」
「彼女とのデートなのに。」
「あ、見て観覧車、あれ乗ろーぜ。」
「誤魔化したね。」
手を繋いで観覧車に乗った。2人で同じ椅子に座るとドアが閉まり、ゆっくりと観覧車が回り始めた。急に狭く感じる空間の中で、ミユが無言で肩に寄りかかってきた。その重みが、なんだかいつもより少し重く感じられる。心の奥に沈んだ不安が、静かに蠢いているのが分かった。これが、俺たちの最後の時間になるのかもしれない。そう思うと、ただ静かに彼女を抱きよせるしかなかった。スタッフの人が下から手を振ってるのが見えた。長い長い時間をかけて1番上まで観覧車が回った。ゆっくりと、ゆっくりと、長編小説のページをめくるように、波にさらわれた砂粒が海に流れていくように。こんな時間がずっと続くと2年前までは思ってた。でもそんな時間もいつかは終わる。ようやく最近思い知ったことだった。
観覧車が頂上を回り、今度は地上に向けて回るという時だった。ガコン。音がして観覧車が止まった。脳に一瞬の緊張が走り、その後直ぐに冷静になった。多分トラブル。少ししたら、動き出すだろう。ミユも何も言わずにただ、俺の肩にもたれかかっていた。永遠に近い、心地よい沈黙だった。
観覧車から見た夜景は意外と綺麗だった。それが最期だからなのか、ミユと見てるからなのかは分からなかった。
「なあ」
「何、夜景が綺麗だねとか、観覧車止まっちゃったね、はは、とか在り来りなこと言ったら殴るからね。」
「ずっと前から好きだった。」
午後7時半。窓に振り落ちる雪を見て言った。
「知ってる。」
「そうか。良かった。明日、不安か」
「当たり前でしょ。いくら安全って言われてもいきなり30年後に行くんだもん。不安じゃないの?」
どうだろうな、俺は行かないから。そんな言葉は口の中で飲み込んだ。
「なあ」
「今度は何」
「俺たち、結婚しよう」
「早い。三十年後にして」
「約束だけはしてくれよ」
「はいはい、いいよ。」
そんな返事でも満足だった。観覧車が動き出す。止まっていた時間も動き出す。
「なあ」
「しつこい。何。」
「…やっぱごめん。なんでもないや」
「殴るよ?」
ミユの冗談に少し救われた気がした。それでもまだ、俺の中では重い何かが静かに沈んでいた。心の中でさえ、口に出すと言葉が途切れ途切れになってしまうくらいの何か。嘘をつき続けるのが苦しくて、ひたすらミユが気の毒に思えた。再び回り始める観覧車の中で俺はただ心の中で謝ることしか出来なかった。
「ほら、降りるよ。どうしたの?早く。」
何も言わず、手を繋いで降りた。そのまま公園で
別れることにした。
「じゃあね。また明日、じゃなくてまた20年後で会おうね。」
笑いながら手を振って帰ったミユを見届けて俺はその場のベンチに腰掛けた。
今日は家に帰らずに公園のベンチでそのまま寝た。ベンチコートを布団にして。
雪が降ってたのもあって寒かった。
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