追ってくるバイクの男

月代零

事案は突然に

 これは、私が新卒で就職した頃の話です。

 

 本社で数日間の研修を終え、支店に配属されて数ヶ月が経っていました。その頃の私は、だいぶ疲弊していました。

 通勤時間の長さや、仕事にいまいちやりがいを感じられないこと、加えてちょっとしたもやもやすることが重なっていた記憶があります。そして、そうした時には災厄を引き寄せてしまうものなのでしょうか。


 その日、私はバスを降りて、勤務先までの道をぼんやりと歩いていました。当時の勤務先は、最寄り駅から更にバスに乗って行かなければならない、やや辺鄙な場所にありました。

 交差点で信号が変わるのを待っていると、横にいた左折待ちのバイクに乗った男に、声をかけられました。


「おはようございます!」


 驚いて顔を上げましたが、周りには私以外に誰もいません。私に話しかけたものと思われます。


「……? おはようございます」


 誰だっけ? と思いながら、私はとりあえず挨拶を返しました。

 すぐに信号が青になり、そのバイクは走り去っていきました。

 見覚えのない顔でしたが、フレンドリーだったし、こちらが向こうを認識していなくても、向こうは私を知っているのかもしれない。それに、私は人の顔を覚えるのが苦手です。出入りの業者の人か何かかなあと、その時はあまり深く考えませんでした。


 しかし、次の日。


「おはようございます!」


 また同じ道で、昨日のバイクの男にエンカウントしました。


「……おはようございます」


 怪訝に思いながらも、私は昨日と同じく、挨拶を返しました。男は言葉を続けます。


「お仕事はこの辺りなんですか?」


 その台詞に、私は戦慄しました。

 やっべえ。出入りの業者でも何でもなかった。何だこのオッサン。

 内心で恐怖を覚えながら、


「はあ、まあ……」


 と言葉を濁しました。どうしよう。職場はその交差点のすぐ近くでした。先程の言葉からすると、職場は知られていないようです。であれば、どうあっても職場を知られるわけにはいきません。


 信号が青になり、バイクは走り出します。私はゆっくりと歩き、男が遠ざかるのを確認してから職場に向かいました。しかし、気が気ではありません。


 明日もまた遭遇したらどうしよう。気もそぞろになりながらとりあえず仕事をこなして帰宅し、また朝がやってきます。


 職場へ向かうルートは二つあったので、次の日は違う道を通ることにしました。最寄りにはバス停AとBがあり、職場は二つのバス停のちょうど中間地点辺りにあって、バス停Bまで行っても運賃は変わらないので、どちらで降りてもよかったのです。

 ただ、バス停Aからの道は、住宅街の中を通る狭い道路で、歩道も路側帯が引いてあるだけでガードレールもない割に、朝はそれなりに交通量がありました。そんなわけで、こちらのルートAはやや通り辛かったため、普段はこちらより広くて歩きやすい、バス停Bからのルートを通っていました。バイク男に遭遇したのも、ルートB です。


 バス停Aで降り、念のため周囲を警戒しながら歩きました。携帯の電話画面に「110」と打ち込んで、すぐに発信できるようにしながら。

 そうして歩いていたら、前方にあのバイク男が見えました。まさか、私を探すほど暇なわけあるまい、偶然だろうと思おうとしましたが、すれ違う時に目が合いました。じっとりとした嫌な目つきでした。

 私は立ち止まって、男がいなくなるのを確認してから進もうとしました。ところが、男は脇の路地に入って、なんとUターンしてきやがったのです。


 身の危険を感じました。この辺りは記憶が曖昧で、どうやって乗り切ったのかあまり覚えていないのですが、携帯を耳に当てて通話するフリをしていたら、男はじっとりと私を見ながら通り過ぎて行きました、確か。


 面の皮の厚い、火力強めの中年となった今なら、武器になりそうなものを持って迎撃しようと思うのですが、当時は素直で気弱な、世間知らずの小娘でした。自分の弱さがつくづく悔やまれます。

 護身に有効そうな、携行しても問題ないもの、何かあるでしょうか。実は最近、某刀剣育成シュミレーションゲームの影響で、模造刀が欲しいと思っているんですが。……駄目ですね、刀なんて持ち歩いたら、こちらがお縄にされてしまいます。


 まあ、それはともかく。

 こういう出来事をTwitter(X)とかに書き込んだら、「挨拶されただけなのに被害妄想w」とクソリプが飛んで来るんでしょうが、マジで怖かったです。

 念のため言っておくと、このオッサンにどこでどうして目を付けられたのか、全く心当たりなんてありません。


 その後はどうなったのか……。この辺もよく覚えていないのですが、職場の上司と一緒に、近くの警察署に相談に行った記憶があります。当時の私がやりそうなことを推測すると、おそらく、もうここには来られない、辞めるしかないと思い詰めて退職を申し出て、理由を聞かれてバイク男のことを話したんじゃないかと思います。


 そして警察に行きましたが、結論を言うと、パトロールを強化するくらいはできるけど、具体的に何かされたわけではない以上、動くことはできない、ということでした。


 ストーカーと言えるか微妙なラインだし、まあそうだよな~とは思うものの、具体的な被害ってどこからよ? という気もします。追い回された(っぽい)のは具体的な被害じゃないんかい。何かあってからじゃ遅いじゃん、と思いますが。

 事件も色々ありますし、最近じゃ対応も変わっているのかもしれませんが。警察署によっても対応が違う、という話も聞きますね。

 

 ともかく、パトロール(してくれたのか確認のしようがないですが)の効果があったのか、ただの偶然か、それ以降、バイク男に遭遇することはありませんでした。

 

 結局、他にも色々あって、その会社は一年足らずで退職してしまいましたが、それはまた別の話です。


 了

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