ハッピーバースデー
ほどなくして、最後の班が──十三班目がやって来た。
ここの班員は中高学年のみなため、飛び出しの危険は他班に比べ少ないが、一応、子供たちよりも先に横断歩道に出ておく。さすがに目の前で事故にあわれては寝覚めが悪い。
わたしの申し訳程度の笑顔はきっと、あくどいまでに黄色い旗にかき消されているだろう。
班の中ほどに、わたしが去年担任をしていた古野修也がいるのに気づいた。そうだ、この地域から通っていたんだった。少しだけ自分の機嫌が上向くのを感じた。
クラスメートたちに呑まれることなく、少しぽっちゃりとしたその手をぴん、と伸ばして発言する修也の姿には好感を持っていた。
わたしはそのまま視線を横にむけ、首をひねった。谷本ゆきのがいない。ゆきのは修也の幼馴染であり、同じく去年のわたしのクラスにいた児童である。ここの班員だったはずなのだが。質問しようとすると、先回りするように班長がこう口にした。
「谷本さんは寝坊したので置いてきました」と。
谷本ゆきのは、騒がないが御しがたい児童であった。わたしに、似ている子だ。何事も俯瞰で見ている感があって、優等生ではないが誰よりも大人びていた。
ゆきのには自分のコンプレックスも醜い自尊心もすべて看破されているのではないか。
そんな恐怖さえ抱かせるような、澄んだ目をしている。
ゆきのとわたしの唯一の違いは頭の出来である。ゆきのはわたしの授業をあまり聞かなかった。代わりに高校化学のテキストを机に広げ、時おり鉛筆をまわしながら解いていた。
ギフテッドというやつなのだと思う。ゆきのの母親とは何度か話したが、「先生のお好きなようにしてください」と言われるのみであった。家ではお互い干渉せず、基本的には放任主義の子育てをしているらしい。結局わたしもそれに倣って、ゆきのに普段の授業は好きに過ごして構わないが、音楽と図工と体育、それから道徳の時間だけは参加するようにと言い渡した。ゆきのは頬を上気させて頷いた。
修也いわく、早速授業中に使うための新しいテキストを三冊買っていたらしい。
ゆきのは結局修也以外とまともに話さなかったが、小柄でぽっちゃりとした男子と背が高く痩せ気味の女子のコンビは、なぜか当たり前のようにクラスメート達に受け入れられていた。
全員が横断歩道を渡りきって、わたしが旗を下ろしたとき、修也が
「先生、誕生日おめでとう」
と言った。わたしは目を見開いた。そっか、今日生まれたんだ、わたし。妙な感慨が湧きあがってくる。
遅れてややぶっきらぼうに渡された紙袋は、ずっしりと重い。
「あ、ありがとう。何が入っているの?」
「えっと。それ、ゆきのからだから。ぼくは中身知らないんです」
驚いた。わたしは誕生日を祝うような種類の人間ではなかったし、ゆきのもきっとそうなのだろうと思っていたのだ。
「びっくりしました? あいつがプレゼントだなんて」
「そうね。正直、ゆきのさんからもらえるとは思わなかったな」
「でしょ。ゆきの、あれで清水先生のこと結構好きみたいで」
修也が頬をかいた。それから、「ぼくにもくれたことないんですよ」と小声で付け加えられる。
その声に少し悔しそうな様子が滲み出ていて、なぜ修也が先ほどからすこし無愛想だったのか、合点がいった。まったく、最近の小学生ってばませている。とはいえ、十歳以上年下の子供をからかうのはさすがに
「あとでお礼を言わなくちゃ」
「それなら、ちょっとここで待っていたらいいと思います。あいつ、直接渡すのが恥ずかしいからって寝坊決め込んでるから」
そう笑うと、修也は「じゃあ、そろそろ時間やばいので」と言い残して行ってしまった。
薄群青の空をこんなにも美しいと感じたのは初めてだった。すぎていく色とりどりの車が、吹き抜ける冷たい風が、わたしが、重い紙袋が、すべてが、完璧に調和しているように思えて。
ただ児童から誕生日プレゼントを貰っただけなのに、教職も案外悪いものじゃないかもな、だなんて我ながら単純すぎてウケる。自然と口角があがっていた。
小さな足音が聞こえたような気がして顔をあげると、白い線の向こう岸に背の高い女子児童がひとり、車が流れ終わるのを待っていた。
わたしは旗と紙袋を持って、彼女を待った。
清水せんせい 心沢 みうら @01_MIURA
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