鮮彩なオブジェクト
@noc7akagui
鮮彩なオブジェクト
「ソレ、盗撮ですよね?」
初夏の季節。
駅のプラットフォームで、大学生のリクは奇抜な女子高生の集団に囲まれた。
「違うって――」
弁明は列車は走行音で掻き消される。
現代は便利な世の中になった。
昔ならば、ケータイ電話にカメラ、手帳、全国地図、ウォークマン。そんなものを鞄に詰めて出かけたのだろう。ひょっとしたら、テレホンカードだったかもしれない。
今となっては無用で、どこへ行くのもスマホ一台で十分だ。
好きなときに情報は調達できて、こうしてスクリーンショットを撮っておけば、いつだって世界へと発信することができる。
だからこそ、盗撮はギルティ。
本や展示物は勿論のこと、人なんてもってのほかだ。
だが、そんな警戒心とは裏腹に利便性の濁流は常に大海原へと情報を投げ出してしまう。
SNSでのトラブルの原因はだいたいがこれらだ。
確かに彼はスマホで撮影した。
しかし、彼が瞬時に撮影しようとしたのは遅れてやってきた列車の方であって決して彼女達ではない。
証明をしようとアプリを起動すると、
「あっ……」
彼女達と一緒にいたはずの女子高生がフォームの手前に立っていた。
鬼の首を取ったように彼女達はリクからスマホを奪うと、その画像を件の女子高生へ見せた。
「ほら、見てよ。ウミでしょこれ」
「あの、俺、違うからさ」
「……キレイ」
件の女子高生――ウミはそう溢すと、リクへとスマホを黙って返した。
彼女達はそのまま車両に乗り込んで行ったが、リクは人生のピンチを切り抜けたという安堵と、ウミの想定外の反応に驚いた。
動揺したままスマホの画面を見やる。
その画像がさっき撮ったというにはあまりにも異質だった。
プラットフォームに女子高生。
片手に握られていたのは、停波されたはずのガラケーだったからだ。
*
女子高生を盗撮したわけではない。
でも、あの日の画像は不思議とお気に入りフォルダに保存されていた。
下心や邪念の類いではない。
彼女が言ったように、リク自身「キレイ」だと思っていたからである。
リクは日常の一枚をSNSに投稿するのが日課だった。
春には桜木。
夏には花火。
秋には紅葉。
運が良ければ冬には積雪もだ。
あるいは日常の一枚というのは、ひょんなことでも抵触するものだ。
道端で寝っ転がった野良猫。
珍しいジュースが並んだ自販機。
雨の水滴が模様を作った電車の窓。
見晴らしの良い高架橋から見た山並み。
そんなのだって、時期関係なく撮ってしまう。
一種の趣味と言っても良い。
だから、あの日を境にして。
彼女がどこかしらに映るのではないかと、風景ばかり撮り始めていることはリク自身も異常だと感じていた。
学年も学校も特定できていない。
否、そんなことする方が変質者。
リク自身の正義感が好奇心を殺した。
(忘れよう。青葉が斜陽に煌めくのだって乙なモンじゃないか)
夕方の公園で、スマホを向けたときだった。
彼女は人気のない遊歩道を歩いていたのだ。
スマホに表示されたプレビュー画面には、風に泳ぐ黒髪が鮮明に描かれている。
リクは咄嗟に羞恥心を殺して声を張り上げた。
*
ウミは市外の私立高校三年ということが分かった。
いわゆる受験生というやつだが、色とりどりの髪色をした友人と違って、黒々とした頭髪を長く下ろした清楚系なのだ。それを裏付けるように成績も中の上で特段学習塾に通うこともないと言う。
進学先には迷っているそうだが、高校最後の時間を充実させたいというのが彼女の言い分だった。
ベンチで若干の距離を取りながらリクは尋ねる。
「俺に抵抗って……ある?」
「別に」
ぴしゃんと即答。
「俺、大学生。二十歳過ぎてる」
「成人年齢の概念は十八歳です。その不安要素だけでは、私が貴方を拒む要因にはなり得ないのでは」
「あのさ。面を見ろ、面を。この残念な無精髭に色もついてない髪を。どうせ未だに盗撮犯だと思ってるんだろ」
「他人に対して疑心を投げかけるということは、貴方もそれなりに誰かしらから疑心を投げかけられているということになりませんか?」
ウミの回答は的確だった。
みぞおちに一発食らったように腹を抱えると、リクはそのままうずくまった。
そんな彼を覗き込むようにして、彼女は淡白に尋ねた。
「貴方はどうして私を呼び止めたのですか?」
「えっ」
「嘘はやめませんか。接点の希薄な人間に声をかけるということは、少なからず用があってのことでしょう。そうでないのだとしたら、好奇心があってのことです」
理由を求められた彼は、素直に「キレイだから」と言ってみたかった。
それが表現できるのは自信のある人間。
だから、逃げることにした。
リクは自分のポケットを軽く叩いて彼女のスカートを指差した。
「使ってるの、ガラケーじゃないの?」
「だとしたら?」
「写真は今の時間の一部を切り取るものだ。キミと列車の画像を初めて見たとき、時計の針が巻き戻ったような……そんな気分になった」
「……笑いますか?」
ウミは表情を崩さなかった。
だが、質問は怒っているようにも聞こえる。
彼は懸命に首を横に振った。
するとウミは、スカートのポケットから折りたたみケータイを取り出した。
鈍色に光るそれは、さながら時代の遺物を連想させる。
「私、子供のときにおもちゃ代わりに中古のガラケーを与えられて。だから、これの使い方ならよく分かるんです」
「キミくらい頭が良いならスマホだって使いこなせるだろ?」
「……キレイだから。笑いますか?」
ガラホを畳み頬に近づける仕草に胸を打たれたリクは失笑した。
「笑えるかも」
そう言って、彼はウミの今の姿を一枚の画像にしてみせた。
彼女は与えられたスマホに視線を落とすと、
「やっぱり、キレイ……」
リクはその始終に息を呑んだ。
女子高生の可愛いの概念に困るという話は耳にしたことがあった。
ウミの場合、可愛いという汎用的な言葉を持ち合わせていない。
したがって、彼女の感情が揺れるとき。
それはきっと「キレイ」という言葉になるのだ、と。
二人はメールを介して連絡を取り合うようになった。
日常の何気ない写真の片隅に、今度はウミがいるようになったのだ。
いつしか、リクの画像フォルダはウミの画像で埋め尽くされた。
*
『リクの街の花火大会、一緒に見ない?』
一週間前にリクに届いたメールだ。
まめにやりとりをするようになったが、この内容にだけは返事をしなかった。
出会いのきっかけは盗撮。
互いのことをまだ深く知らない。
友達なのか知人なのかすら明瞭にならない。
そのくせ、ウミはリクの行く先々に現れた。
その頻度は日を追うごとに増していった。
リクはウミの両親の気持ちについて考えたことがある。
もしも自身が彼女と親しくなろうとしたとき、やはり頭を下げるべきと考えていたからだ。
しかし、そのときになんと切り出せばいいのか。
問題は山積み。何を差し置いても、その頂に位置するのは「きっかけは誤撮影で」と言うべきか「盗撮の言いがかりからで」と言うべきかだ。
ウミは嘘をつくと、即座に看破する悪癖があった。
内々に済ますことは不可能に等しい。
関係が関係な以上、ある程度のタイミングで疎遠になるべき。
そう考えるたび、彼は高架橋の欄干に身を預けてウミの画像を眺めていた。
斜陽が沈んで、頭上の街灯に照らされても。塩梅の良い妥協案は見つからなかった。
一ヶ月が経ってしまった。
二人の間に関係が拗れる気配はなかった。
この日はウミを連れて河川敷で撮影をした。
プロでもないから、そんなに長い時間撮影に費やすことはない。
二枚、三枚……もっと多いかもしれないが、さほど時間をかけずに彼女のことを解放してあげる。
夏もいよいよ本番に迫ってきた。
水分補給のために型落ちの自販機でジュースを奢る。
その代わりにもう一枚、写真を撮らせてもらうのだ。
ベンチに座ったウミと、自販機に寄り掛かるリク。
口を開いたのはウミの方からだった。
「リクってさ。大学どこ?」
「知らなくていい」
「どうして?」
「そんなにいいモンじゃない」
リクは将来と娯楽だったら娯楽を優先した部類だった。
したがって、高校時代に心骨注いで勉強したことはなかった。
ましてや天性の才能なんて持っている由もない。
こうしたギャップもまた、彼自身を苦しめていた。
「私、そろそろ本命の進路を担任に言わないとって約束しているの。だから、滑り止めでもいいからリクの大学を書いておきたいと思って」
「どういう意味だよ、それ」
「特別な意味はない。写真撮りたければすぐに呼べばいい。合理的でしょ」
「……ちっとも良くねぇよ」
リクは彼女を振り回していけないと思った。
世間一般的に言う悪い虫になっているのではないか、と。
ついにこの日が来てしまったとスマホをポケットに突っ込んだ。
「もう撮影は終わりにしよう」
「どうして?」
「大学で撮影が打ち切られたら、ウミはどうする?」
「卒業して、社会人になればいい」
「そんな簡単なことじゃないだろ」
「なぜ?」
その余裕があったから今の自分がいる。
言ってやりたかったが、彼女を理解させるには絶対的な根拠が必要だ。
少なくとも抽象的なぼかし方では、彼女の質問攻めには対抗できない。
「アルファ大学知ってるか?」
「……え?」
反応は鈍かった。
ウミは表情がコロコロ変わるタイプではなかったが、このときは僅かに歪みを見せた。
それくらいの価値しかない学歴だ。
「そういうこと。親と話し合って、よく将来のこと考えろよ」
「ねぇ、それって――」
リクはベンチから動かないウミに背を向けて、その場をゆっくりと去った。
聞こえはいいかもしれないが、彼女の性格を逆手に取って逃避に走ったということになる。
SNSで言うところのミュートとかの類いだ。
卑怯な逃げ方だと、リク自身思っていた。
けれども、どうすることもできなかった。
そういう生き方しか知らない。
だから自分は半端者なんだ、と。
アパートの自室に飛び込むと、ワンルームの片隅に籠もっていた。
*
リクは人間関係が薄い。
根絶しているのではなく、真に心を許せる友人は少ない。
別段、進学を契機にそうなったわけではない。
元々、あまり他人に対して興味関心がないのだ。
それでも、生きていくのに一人はあまりにも心許ない。
身勝手な処世術として友人が、大学内にも何人かはいた。
ウミからメールが途絶えて一週間が過ぎた。
日中に集まった友人二人と、リクはぎこちないキャッチボールを交わしていた。
白い軟球がグローブに収まるたびに、会話が飛び交う。
「リクが破局したってさ」
「可愛いの?」
「大学どこ?」
「写真見せてよ」
すべての質問を適当にはぐらかした。
だからと言って殴り合いになることはない。
上辺だけの付き合いだ。
ゲラゲラ笑いながらボールの行方だけを追っている。
そういう時間が、リクにとっては何も考えなくて良かった。
日差しが真上を過ぎると、地上の温度は急上昇する。
「あっつ」
「今日はもうやめっか」
そこでリクはトイレに立ち寄ることにした。
「悪いけど荷物見ててもらっていい?」
「電話来たらどうする?」
「パターンZで頼む!」
上辺だけの付き合いが機械的な関係だったらどれだけ幸せだったことだろう。
もしも、皆合理的な判断しかしない無欲な人間だったなら。
財布から現金が抜かれることが、あまりにも陳腐なイベントに思えてしまった。
この日の夜。
暇潰しに漁っていたYニュース欄に気になる記事を見つけた。
『発見! 可愛すぎるJK』
リクは伸ばされた指をとても下品に感じた。
(発想がもうおっさんじゃん)
ところが。
表示されたページには、自分の保存していたはずの画像が並んでいるのだ。
ネット投稿したした覚えなんてない。
にも関わらず、リンク先にはバッチリと彼自身のSNSアカウントが。
投稿時間は、昼過ぎだった。
削除を急いだが、拡散件数は1万件を超えていた。
とっくにスクリーンショットが広がっている状態で収拾のつかない事態になっていた。
放心状態になっていたリクの元へ、一通のメールが届いた。
『これなーんだ?』というタイトルに表情が強張る。
流出してしまった画像は、どれも無加工のウミの写真だった。
*
今年も夏の風物詩の時期がやってきた。
大学生活が始まった年、最初に見た花火大会のインパクトに圧倒されたものだと振り返る。
しかし、この日はまるで外に出たいという意欲が湧かなかった。
ウミからはあれきり本当に連絡が来なくなってしまった。
ひょっとしたら、とっくに連絡先なんて削除しているのかもしれない。
考えてもみれば、ファーストコンタクトが最悪だった。
そんな幻のような偶像に魅了されていたに過ぎない。
頭が冴えてきたこともあって、下期に必要なレポートを作成することにした。
ノートパソコンから離れて背筋を伸ばしたのは、午後六時を回った頃だった。
自画自賛を口にしながらアパートの窓を開く。
2kmもしない河川敷の向こうでは大音量の音響と、不定期な信号花火が上がっている。
(本来なら、この時間には……)
心の迷いを絶とうと、リクはアプリを開き、まだ本文未読の状態だったウミのメールを削除することにしたのだが。
「は?」
並んでいたのは別れの言葉でも、怒りの羅列でもなかった。
『22222 111 2 22 888* 111』
忘れようとしていた。
忘れなければいけなかった。
それなのに、最初に出会ったあの日の彼女の姿が脳に焼き付いてしまって消えてくれない。
だからこそ、理解してしまった。
この数字の羅列が何を示しているのか。
すぐ消すことができなかった。
アパートの鉄扉を蹴り上げて。
交通規制の入った道を縫って。
浮かれる人混みを掻き分けて。
間に合ってくれという一心で。
辿り着いたのはキレイな場所。
リクのお気に入りスポット――高架橋。
欄干には待ち合わせていたように、ウミがいた。
結われた黒髪に夜闇に溶け込みそうな濃紺の浴衣姿。
「なんだ。ちゃんと見てくれてたんだ」
「……見たんだろ、ネット記事」
「知らないわけ無いでしょ。ユカなんてマジギレ」
「あの、違うからさ」
振り向いたウミの表情は柔和な笑みを溢していた。
口元に細い指先をあてがうと、
「駅で会ったときと同じ」
そう言うなり、袖を持ち上げてくるりと一回転してみせた。
まるで晴れ着を着た子供のように。
「似合う? ママが進学祝い代わりに買ってくれたの」
「進学祝い?」
「アレ、親に話した」
リクは硬直した。
やることをやり切った自覚はある。
あとは証拠を押さえるべきところを、まさかの情報流出。
だとしたら、何もしていないこの端末は潔さの証明だ、と。
覚悟を決めて、スッとスマホを差し出した。
「それ、早く使ってよ」
「使うって……」
「私、アルファ大にしたから。第一志望」
彼の喫驚が弾けるように、背後からけたたましい爆発音が聞こえ出す。
「お前、なんでそんな……」
「いいから早く。今のままを撮って!」
袖を掴み手を広げるウミ。
思考が追いつかないリクだったが、言われるがままに彼女にフォーカスを絞り。
そして、軽快なシャッター音を鳴らした。
スマホ越しに見えた光景に、リクは嗟嘆の声を漏らした。
それで、もう一度彼女に端末を差し出す。
「……キレイ」
彼女は華やかに始まる花火大会の一発目を収めたかったのだ。
今のままの時間と、少しずつ変わりゆく彼女の今日を切り取った一枚。
ウミは端末をリクへと返すと、こう尋ねた。
「私の写真。これからも撮ってくれる?」と。
リクは三言分口を開いたが、その声がウミに届くことはなかった。
彼女はリクがなぜ涙を流しているのか、理解するのに少しばかり時間をかけた。
その答えに行き着く前に、太い腕に引かれて抱き締められていた。
何度も。
何度でも。
シャッターの音が鳴り響くたびに、色鮮やかな一枚絵が出来上がる。
それはまるで、夜空を彩る花火のよう。
重なり合った二人の影を、三尺玉の大輪が長く伸ばした。
鮮彩なオブジェクト @noc7akagui
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