もう既に終わった話

焼きおにぎり

ねえ、絵里さん

 ねえ、絵里えりさん。


「絵里さんってさ、青川あおかわくんのこと、好きなの?」


 昼休み。

 教室の窓際の席で絵里さんと向かい合ってお弁当を食べながら、私はできるだけさらっと、なんでもないふうよそおって質問をした。


 二人で話すボリュームの声が届く範囲には、他に誰もいない。私と絵里さんだけの空間。

 唐突な話題にびっくりしたらしく、絵里さんは箸を持った右手をぴたっと静止させ、眼鏡のレンズの奥の目を丸くする。


 正直、やってしまったと思った。

 あー。

 お客様の中に、時間を戻す能力持った人とかいませんか? 今ここで、その時間を戻す力を貸してもらいたいんです、切実に。


 絵里さんは驚いた表情のまま、ちいさく口を動かして、明らかに動揺した声で呟いた。


「え、ど、どうして……」


 まあ、見てたら気付いちゃったとしか。

 私と絵里さんって、この高校に入学してから今までの約半年間、常に行動を共にしてるようなものだから。

 私の席は窓側の列の前から二番目で、その真後ろの席が絵里さん。

 つまり私の高校生活は、振り向くといつも絵里さんがいる生活だ。席替えがないから、四月からずっとそうして過ごしてきた。


 本当にずっと一緒なのだ。

 授業中も。休み時間も。お昼ご飯も。

 トイレに行くのも。選択科目も。

 放課後も。いつも。


 この教室の中で、私が一番、絵里さんのことを近い距離でよく見ているという自負がある。

 それこそ、想い人の存在にも勘付くくらいには。

 ちょっとした時とかに、絵里さん、また青川くんの方見てるなって。そのまなざしが、まさに恋する乙女って感じで、視線の端々が熱を帯びてるとでも言いましょうか。


 甘酸っぱいよね。


 けれどもそれを見掛ける度、私はうっすら、本当にうっすら、疎外感のようなものを感じて、ちくりとした胸の痛みを覚えて。

 友達の密やかな恋、そんなの気付いてないふりをしてればいいものを、それももう限界に達して、直接本人に問うという暴挙に出てしまった。


 ただ、そんなことをそのまま言えるはずもなく、代わりにこう答えた。


「いやー、ごめん。なんとなくそうなのかなって思っただけなの。……違ってたら聞き流して欲しいんだけど、もしかして、当たっちゃった?」


 すると絵里さんは照れながら、上目使いでこくっと頷いた。そんな仕草も可愛いけど、それが男子への恋慕から来るものじゃなきゃ尚のこと良かったのに。

 予想が見事的中して、「やっぱりそうか」と思っても、手応えなんてものは得られなくて、ただ、私の心に暗い影を落としただけだった。



 入学式当日に初めて絵里さんを見た時、可愛い子だなと思った。

 とは言っても、周囲に愛嬌を振りまいていたり、派手な美人だったりというタイプではない。

 表情は硬くて、ちょっと暗めで、大人しくて、真面目そうな、でも、さりげないながらも容姿に気を遣っているのが見て取れるような子。というのが、率直な印象だった。

 私より背が小さくて、華奢きゃしゃな体で、薄ピンク色のフレームの眼鏡を掛けていて、ちょうど肩に付くくらいの、さらさらの髪をした女の子。それが絵里さん。


「私、飯田いいだ茉侑子まゆこです。これからよろしくね」


 席が近いからと自己紹介がてら声を掛け、流れで「髪の毛、真っ直ぐで綺麗だね」と褒めたところ、絵里さんは、はにかみ笑いをして、


「実は、春休みに縮毛矯正を掛けたばかりなの。中学まではすごい天パだったんだよ」


 と明け透けに言った。私も髪質が天然パーマ気味だから、一気に親近感を持ったのを憶えている。


「そうだったんだ、全然気づかなかったよ。いいね矯正。私もやろうかなぁ」

「うん、何より朝のセットが楽になったから、私はやって良かったと思ってる」


 話してみるまでどんな子か分からないと思って、少々警戒心もあったけれど、思いのほか好意的に返してくれたので、あ、後ろの席の子すごい良い子じゃん、って、正直かなり安心した。近くの席に話せる人がいるのといないのじゃ大違いだって、誰しもが思うところだと思うし。


「……ほんとはね、矯正、違和感持たれたりしないかなってちょっと緊張してたから、飯田さんが褒めてくれて嬉しかったんだ。ありがとうね」


 それを聞き、そうか、初めにこの子の表情が硬く見えたのは、新たな学校生活に緊張していたからなのかと納得した。

 聞けば、絵里さんの出身中学から同じ高校へ進んだ子は他にいないらしい。知り合いが誰もいない中での入学初日なのだから、それは私なんかの比にならないくらい不安になっただろうなと思った。



「私、初日に茉侑子まゆこちゃんが話し掛けてくれなかったら、一人も友達できなかったかもなぁ」


 しばらく高校生活を一緒に過ごし、なんとなく高校にも慣れてきたなぁという頃。絵里さんに改まってそう言われた時、「えー、絵里さんめっちゃ話しやすいし、そんなことないんじゃない?」と返しながらも、私は内心ひどく自惚れていた。

 少なくともこの高校では、私は絵里さんの一番の友達なんだ。って。


 確かに絵里さんは第一印象どおり大人しくて、引っ込み思案なところがある。別に友達が私だけってわけでもないから、私のこと買い被りすぎだと思うのも本心だけど、絵里さん自身に、友達を作るのに苦手意識でもあるのかもしれない。

 同じクラスにいる私の幼馴染の未冬みふゆとは、放課後、絵里さんと共に三人で過ごすことも多いけど、思い返すと、未冬と絵里さんが話すようになったのって、未冬が私の席まで来た時に、絵里さんも居合わせたのがはじまりだった。


 そんな感じで、私を経由して繋がった人がいることを、絵里さんの中で大きく捉えてくれているのかも。誰とでも仲良くなれる未冬のことだから、私の存在がなくともいずれ絵里さんと友達になっていたとは思うけれど、今となってはもう確かめようのない話だし。

 とにかく、絵里さんが私を特別だと思ってくれているんだったら、それを素直に喜んだってばちは当たらないだろう。


――でも、絵里さんは、私の目の前の席に座る男の子に恋をした。


 授業中は、私の肩ごしに青川くんのことを見ているんだろうか。そう思うと、素直に喜ぶ気分にはなれない。

 しかしながら、青川くんと競うつもりは毛頭ない。背が高くて知的な雰囲気の青川くんと、平々凡々な私なんぞが同じ土俵に上がったところで、勝負にならない事なんて分かっている。

 第一、相手は男子だし。性別からして違うのに同じフィールドで戦おうだなんておかしな話でしょう。世間的に考えてさ。



「ねえねえ。それで、青川くんのことをどうして好きになったの?」


 私は努めて笑顔のまま、質問の続きをした。

 そう、私は女子高生にありがちな恋バナをしているに過ぎないのだ。我こそは、友達の恋愛事情に首を突っ込みたがる、よくいる賑やかしポジションの女。それで十分じゃないか。何も恐れることなんてない。


 絵里さんは「えー、恥ずかしいよ」と照れはするものの、こんなウザい絡みにも嫌な顔ひとつしない。本当に良い子なのだ。そんな絵里さんを前にすると、なんだか胸が痛むのは何故だろう。別に、普通の恋愛トークを振っただけで、騙してるわけでもないのに。


 結局、少し絵里さんから話を聞けたものの、「どうして好きなのか」について納得のいく理由は得られなかった。彼の見た目が好みなんだろうというのは何となく感じ取ったけど。

 他には、このあいだ青川くんの机に置き忘れてあった小説が、たまたま絵里さんの好きな作品だったから思わずキュンとした、というエピソードを話してくれたけど。

 けど……

 それだけで人を好きになったりするものなのかな。


 実は、絵里さんが男子生徒と会話しているところを、私は目撃したことがない。

 本人も『いざ前にすると緊張してしまって、男の子とうまく話せない』と口にしているし、実際、絵里さんが男子に用があるときは、私か未冬が間に立つようにすると決めている。

 だからなんだろうか。

 どうにも胸がざわついて、本人に「青川くんのこと好きなの?」と、訊かずにはいられなかったのは。

 私の見ていないところで、青川くんと二人で話をしたのだろうか。緊張して男子と会話できないだなんて、本当は全然そんなことなかったりして。疑いたいわけじゃないんだけどさ。


 ただ、「青川くんが好き」ということを、はぐらかさず、はっきり肯定してくれただけでも、信頼してくれている証だということは分かっているつもりだ。それ以上は踏み入りすぎなのかもしれないし。


「ねえ、今の話のことなんだけど、他の子には言わない……?」


 心配そうに尋ねてくる絵里さんに、私はしっかり頷いた。


「言わないよ。それに私、最初から誰にも言うつもりなかったし!」


 私に絵里さんのプライベートを吹聴する理由はないし。それに絵里さんの秘密なら、私だけが知っていればいい。

 しかし絵里さんはしばらく視線を泳がせたのち、少し不安そうな声で言った。


「あ……でもやっぱり、この話、茉侑子ちゃんだけじゃなくて未冬みふゆちゃんにも話しておきたいんだけど、どう思う?」


 私は、ほんのちょっとだけ落胆した。でも大丈夫だ。表情には出ていないはず。

 絵里さんの今の発言には、不自然なところなんて全くない。むしろ気遣いの塊のような、絵里さんの人柄を象徴するものだ。

 私たちは未冬を加えた三人で過ごすことも多い。それなのに未冬にだけ内緒にするなんて良いことのはずがない。絵里さんは優しいから、すぐにそれを憂慮したのだろう。


 ただ、私が、私だけが絵里さんの青川くんに対する想いに気付いていて、まだ未冬は気付いてないんじゃないかなって思うだけ。

 絵里さんと過ごした時間だけで言ったら、私の方が未冬よりも長いから。


 誤解のないようにしておくと、私にとって、幼馴染の未冬だって大切な人なのだ。

 保育園から高校まで同じだという、幼少期から同じ道を進んできた稀有な存在。


 未冬は昔からとても可愛い女の子だった。これこそ、誰がどこからどう見ても美少女だという意味での『可愛い』子。

 高校生になった今、すらりとスタイルも良くて、整った顔立ちは見惚れるほど美しくて、さらに勉強も運動もでき、気さくな性格で交友関係も広い。

 それでも、私と疎遠にならずに仲良くし続けてくれている、ずっと変わらない自慢の幼馴染。


 けれど当人の友人が多いがゆえに、未冬と過ごせる時間は限られている。

 現在、昼休み。いつものことだが、未冬は他の子たちと過ごしている。存在感ある華やかな美少女でありながら、明るく親しみやすくて、誰とでも馴染める未冬は、どのグループからも引く手数多だ。

 大抵の場合、私たち二人と合流するのは、他の仲良しの子たちが部活に行ったり帰宅したりしてバラバラになった後になる。つまりは、放課後になって未冬の予定が何もないときに限り、ふらっとこちらにやってきて、我々は三人組となって同じ時を過ごすのだ。


 こんな風にどこにでも属すムーブが周囲に受け入れられているのも、松戸まつど未冬みふゆは特別だからって理由で不思議と納得できてしまう。

 未冬は私の知り得ないところで、いつの間にか私の知らない人と打ち解けて、関係を築いてきてしまうから。小学生くらいまでは、それを素直に喜んであげられない自分にいちいち嫌気が差していたけど、今はもう流石に慣れた。

 誰にでもフレンドリーな反面、未冬はさっぱりしたところもあって、自分自身のことは多くを語りたがらないし、他者への深入りもし過ぎない。私が知る限り、誰に対しても。


 思い返せば、未冬の『一番特別な誰か』に成りたくて、しかし成れずに夢破れた人たちを、私はたくさん見てきたなぁと思う。

――って、心の中で格好つけてたって本当にしょうもない。

 私だって夢破れた方の一人なんだから。



 も。

「もちろん絵里さんのことなんだし、絵里さんが話したいと思うなら、それがいいに決まってるよ。

 てか、私は未冬に話すの大賛成だなぁ。恥ずかしながら、私って今まで一度も、彼氏どころか好きな人もいたことないし。

 だから、もし絵里さんが何か相談したいことがあるなら、未冬のほうが適役だなって思ってたところ。未冬って友達も多いしさ、実際に行動を起こそうって時には力になってくれると思うんだよね」


 嘘ではないものの、100%の本心でもない言葉を、気付けば私は矢継ぎ早に並べていた。一気に長々と喋ってしまって、流石に不自然な台詞になってやしないだろうか。


 それに本当のところ、私は未冬の恋愛事情なんて何も知らないのだ。

 以前、未冬が恋人の存在を仄めかしたことはあったけど、期間も人数も不明だし、その相手が男なのか女なのかすら見当が付かない。普通に考えたら男子と付き合うだろうけど、未冬のことに限って断言もできない。

 私は所詮、幼馴染といっても、何も教えてもらっていない友人の一人だと痛感する。


 けれど私が未冬への相談に賛同したからか、絵里さんが安心したように表情を緩めたのが救いだった。


 それならいいや。

 なるべく絵里さんの思いを尊重したいし、絵里さんの意に沿わないことは極力言いたくない。そこから逸脱していないなら、何だっていい。


「ね、茉侑子まゆこちゃんも、好きな人ができたら教えてね。約束だよ!」

「うん、もちろん。真っ先に絵里さんに話すよ!」


 とは約束したけど、果たしてそんな未来は来るのだろうか。話を合わせるために、適当な男子の名前でも見繕っておくべきなんだろうか。


 それから私は、絵里さんの恋が成就することを心から応援している、という旨を強調して伝えた。

 それは、絵里さんの味方だってことを、絵里さんに知っておいてほしいから。

 なにより、何でも気楽に話せる同性の友人という、安定したポストに置いてほしいから。


 理想は、無事に絵里さんに彼氏ができて、その時「茉侑子ちゃんが応援してくれたおかげだよ!」って言葉を貰うこと。「おめでとう!」って祝福しながら、私は絵里さんとハグをしてハッピーエンド。一度想像してみたら、それ以上の幸福はないとまで思えた。

 ねえ、絵里さん。


 私はただ、良き友人で在りたいんだ。

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