眠りの海の楓
丹路槇
眠りの海の楓
地球から少し離れた宇宙空間に建設された、メディカシステマという自治区が生まれてから幾百年か経つ。
元は、地球各地で絶滅の危機に瀕するもの、あるいは環境の急激な変化で繁殖が困難になったものの原種を避難させることが目的の、いわゆる培養保護都市として構築されたが、様々な種による移住からしばらくすると、それらはただの保全ではなく、移住者自らの考えによって治世が進んだ。いつか地球へ還るための方舟としてではなく、まったくべつの新しい、小さな衛星として自治区は成長を遂げている。
メディカシステマの中には分化した様々な機構が存在し、それぞれがつつがなく運用されていた。政治、経済、文化、そして内紛においても完璧に管理された社会だ。それは地球では実現し得なかった、新しい共産主義社会と呼んでいい。
中でもとりわけ『ムジカシステマ』は、培養都市の移民の子孫であるヒトにとってなくてはならないものとなっていた。彼等は音楽こそが文化的生活を維持するために不可欠であると教育され、音楽鑑賞と演奏家への支援が世の中で最も高尚な投資という概念が完全にできあがっていた。
今秋、自治区公営のシンフォニーエに入団した旧家の子息キリマンジャロも、ムジカシステマの篤志家である父の勧めにより、演奏家としての道を進むことになった。地球への短期留学も二度しており、行先で交響楽団のオーディションへの誘いもあったという。しかし彼は、強いこだわりがあったのか、あるいは何にも執着をしないのか、父の言葉に従って郷里であるこの衛星へ戻った。
シンフォニーエは自治区の構築と時を同じくして誕生し、今でも八十の男女のヒトが団員として集められていた。移民の子孫のほか、ここで新たに繁殖した自生種もいる。いずれも共通のひとつの言語で意思疎通が図られており、地球から持ち込まれた旧世紀時代の楽譜の伝承や研究が進められていた。潤沢な資金を有し、都市中央の芸術ホールで定期公演を行う。楽器の形態や種別は楽譜に倣い地球とほとんど差異はなかったが、地球での文化との違いといえば、それらすべてが樹脂で製作されたものだった。
十九の青年は地球の楓で作られたサトキ・オーボエを持つやや風変わりな新人だ。初めての顔合わせの時、フルート吹きのモカは素直にその印象を彼に伝えた。
「ヒトの肌みたいな楽器だね。きみ、かなり変わってる」
キリマンジャロは笑って応え、自前の楽器の機構や特徴について丁寧に説明する。メディカシステマにも多くの楓が栽培されていたが、主として装飾具としての需要が高く、楽器への使用はまだ普及していない。
「もう少し物流が進歩すれば、これも珍しくなくなると思うけど」
「なに、そんなの容易いことさ。誰も思いつかないというだけで」
それよりも考え方の新鮮さが重要だ、とモカは評した。フルート吹きの用いるピッコロ・フルートも地球ではグラナディラという木材が原料だったが、樹脂より耐久性と形状保持力に劣る。またひとつひとつに大きな個体差のある材質に加工・調整を重ねて使う利を、システマ自治区の人間は理解していない。
青年は、同僚が自分の突飛な話をすんなりと受け入れるのは、彼の家が長く執り行っている生業に依るものだと思った。
「モカ、きみは海運汽船のモカ家の長子だろう。こんなに心安いひとだとは思わなかったよ。僕のことはキリと呼んで」
ふたりはすぐに気の置けない仲になった。
シンフォニーエには在任二十年になるコンサートマスターがいて、楽団員からは親しみをこめクベルナと呼ばれていた。古い言葉で操舵を意味するもので、クベルナは諸所において指揮者とはべつの絶対権限を持つ。ひとりがシンフォニーエを支配するという類のものではない(そもそも彼等は生粋の共産主義だ)、つまり物事の指針を示す者が存在して然るべきということである。実際、地球から流入した古い研究論文にはコンサートマスター・ミストレスによる交響楽団の重要性について多く示されていた。地球では一度、このオーケストラという存在が絶滅した経緯がある。集団が一円となり、呼吸し、音を紡ぐというのを止めてしまったのだ。起因となったのが疾病なのか、音楽をあまりにコード化したヒト科の無教養かなのかは不明だが、移民の子孫は口を揃えてこう評している。今のクベルナこそが、かの時に絶え滅んだ地球のシンフォニーを在るべき姿で甦えらせたのだと。
生熟のキリマンジャロにはクベルナという男が未知であり、厚い畏怖に覆われた存在だった。入団してから話をしたのはこれまでに二度だけ、一度はコンサート前のサウンドチェックで楽屋から袖へ出るそのすれ違いに肩がこすれてしまったからその詫びで、もう一度はライブラリアンのところへ新譜の取り寄せへ行った時。
クベルナは美しい褐色肌に細かくうねった黒髪を肩までおろしていた。在期二十年の年月を忘れさせる、年齢の定まらない不思議な横顔をしている。手続きに羊皮箋を用い、丁寧な筆致で作曲者の名前を書くのを少し後ろで見届けた。新米のオーボエ吹きが意を決して「ご機嫌よう、マジス」とお辞儀すると、髪と同じ色をした双眸は青年をじろりと見ただけだった。
文化の権威とあがめられるようなシンフォニーエのクベルナが、そうやって恭しく言葉をかけられるのが不得手で気後れしてしまうほどの小心持ちだということを、この時のキリマンジャロは未だ知る由もない。堅物の不愛想だと思い、返事のないまま立ち去った後ろ姿に、名家の衣を借る偏屈男め、と密かに悪態までした。クベルナはキリマンジャロ家など凡庸無名と一蹴してしまえるほどの由緒ある家の嫡子だった。近づくだけで香木のように芳しいと噂されていたその通りに、歩き去ったクベルナのあとは仄かに香った。楓の木を楽器に用いていた青年は、夜になってふと、マジスの楽器も香る木なのではと思いを馳せる。
モカには長く心を寄せる想い人がいた。三年前の春から首席トランペットに就いたレユニオン家の息子でブルボンという。気安くサントスと呼ぶと「ブルボン・サントス!」と必ず呼称を正す男で、威勢がいいが面倒見も良く、絶大な人気があった。
「キリはアイーダトランペットを聴いたことがある?」
「ああ、バンダで凱旋行進曲を演るのでしょう」
「さすがだね。一般のトランペットに比べてピストンバルブから朝顔までの管長があって……先の公演は僕が入団する前、彼もまだ研修生だったんだけど、ブルボン・サントスのアイーダトランペットは素晴らしかった。首席の先生に『師より巧く吹くな』って叱られたと聞いているよ。先生がお辞めになられた時に首席に就いて……きっと地球でも彼に勝る名手はいないね、そうだろう?」
ブルボンのこととなると殊更に饒舌になる友人に、キリマンジャロの心緒も自然と和む。そういえば近日、レスピーギのローマ三部作を演るのではなかったっけ。今になって首席のブルボンがバンダをするわけではないから、新鋭の若手が現れるかもしれない。そちらも楽しみだね、と微笑むと、モカは「ブルボン・サントスがいちばんに決まってる」と口を尖らせた。むきになったフルート吹きの言葉が、気配りの巧い人気者の耳に届くことをキリマンジャロは密かに祈る。
練習場の壁にあるミラーに寄りかかりふたりで話し込んでいるところへ、楽器を持ったクベルナがさらりと通り過ぎた。先にモカがぱっと姿勢を正して会釈する。
「おはようございます、マジス・クベルナ」
その日のリハーサルは日暮れから開かれる予定だが、シンフォニーエの面々は顔を合わせると何刻でも朝の挨拶をした。続けてキリマンジャロが挨拶をしようと口を開くと、咎めるような視線が先にそれを噤ませる。
「あんたには挨拶をされたくない」
穏やかならない言い様もさることながら、存外粗暴なその口調に、新人は面食らった。しかし、地球行きを二度決めた青年のこと、ただでは退かないのは当人がいちばんよく心得ている。そのまま立ち去ろうとするクベルナの前にすいと足先を踏み込んだ。
「あんたでも構いませんが、できればキリ、と。その方が短いので。マジス、僕はどうお呼びすればいいですか」
「きみ、さすがに失礼だよ。クベルナは無視をしたわけじゃない」
慌ててモカが腕を引いてキリマンジャロを下がらせる。その時にはもう一同が手を止め、沈黙の中でふたりを注視していた。ブルボン・サントスも演台の自席から腕を組んで見下ろしている。
「なぜ? ようやく僕と話をしてくれるつもりになったみたいなのに。師に繰り返し教え諭されました、オーボエはヴァイオリンと呼吸が合わなくてはならない、歩調も話し方も身振りも、相手のそれを知って己を体現せよ、と」
青年が胸に楽器を抱え、クベルナに向き直った。厳めしい表情のままキリマンジャロと対峙している容貌は音もなく端然と佇んでいる。神や天使といった類のものはこのメディカシステマの概念にふさわしくないが、衛星の中で生まれた精巧な美、と言われれば納得できるような、静謐な完全を持って生まれたひとだと思った。
やがてクベルナは襟足に手を当て、不機嫌な声でぼそぼそとキリマンジャロに謗言した。
「キリ、すべてにおいてあんたは譜読みが足りない」
「はい、すみません」
「怠慢の理由は」
「楓の木でオーボエ・ダモーレを造っています、クベルナ。メカニカの友人がいるのです。僕を今度の古楽のゼミナールに出させてください。スコレーでは古楽が首席でした」
キリマンジャロは、ただそれだけをずっと伝えたい一心で、入団から彼のひとを日毎目で追い続けていたことにその時ようやく気づいた。皆の前で憚りなく口上してしまったことに、青年は首まで真っ赤にしてしまう。友人もいたたまれなくなり、場を取り繕うことも許されず、そばで一緒になって赤面した。
「竪子だな」
クベルナはふっと相好を崩した。
「すみません」
キリマンジャロは深く首を垂れる。
「可愛いと言ったんだよ、キリ。あんたに俺をB(ビー)と呼ばせてやる」
ぽんと髪を撫でられ、顔をあげるともうクベルナは譜面台の前に屈み自席についていた。一群は瞬く間に平常を取り戻し各々言葉を交わしたり支度を進めたりしている。
何が起こったのか理解できないままのキリマンジャロがその場に立ち竦んでいると、隣のモカがそっと耳打ちした。
「聞いた? キリ、クベルナがひとに名前を呼ばせるなんて初めてのことだよ。しかも愛称で。よほどきみを気に入ったんだね、きっとすぐに食事へ招かれるよ」
友人に背を小突かれ、オーボエ吹きの体から徐々に熱が引いていく。
「ブルーマウンテン家に? まさか、さすがに冗談がすぎる」
モカはフルートの自慢の主管をクロスで丁寧に磨きながら、友人を演台の席へ促した。あとになって思い返せばとんでもなくばかなことをしてしまったと、キリマンジャロは唇を噛んでいる。ジャケットを脱いで背もたれにかける時、バルブにオイルを差しているブラジル・サントスと目が合った。やや細められた薄茶の双眼から、何か含みを感じさせられる。
港育ちの調子の良い友人の気ままな軽口と思っていたが、はたして本当に晩餐の誘いが届いたのは、それから二日後のことだった。
といっても、ブルーマウンテンの旧家に招かれたのではない。彼は家業を継ぐ弟たちに何もかもすっかり土地も家財も渡してしまっていて、今は自治区が管理するインスラという広い戸建てに住んでいた。古い言葉の通り、一軒ごとが小さな島のような丘の中に建っており、敷地には放牧された山羊や鶏が飼われている。
青年は厳格な母の口添えに従い、プルヌス・ムメの果実酒を持参してインスラを訪ねた。
門扉を開けて隙間からそっと邸へ入ると、出迎えの山羊にぺろりと履物を舐められる。裾を食べられるかもしれないと思ったのは、怖れではなく好奇心からだった。
「きみもミグラタスかな。地球の先祖と同じ顔をしているね。ひとりでは心細いから、どうかな、一緒に晩餐へ」
冗談で声をかけたキリマンジャロの後ろを、そのまま山羊は合点したというふうに随伴した。主人の代わりに道案内をするというわけでもなく、ただ後ろをかぽかぽと蹄を鳴らしてついてくる。ポーチが目の前のあたりで青年が立ち止まり、緊張に息を整えていると、山羊がまた青年の脚の上からべろりとやった。
「こら、くすぐったいよ」
振り返って毛むくじゃらの喉を撫でてやっていると、中から扉がぱっと開く。
「遅いと思ったら、道草か。ひとの家の中で」
「マジス、これは……えっと、おはよう」
動揺のあまり、挨拶の作法を間違えてしまった。シンフォニーエの中ではその日に対面すればいつでも朝だが、晩餐に招かれている今は違う。月の満ち欠けを修辞するのが習わしで、子どもでもできる当たり前のことだ。キリマンジャロ家は歴史も由緒もそれなりにあったが、さすがにこれはとんだ放蕩息子と言われても仕方ない。
恥じ入って目を伏せていると、今はブルーマウンテンの家の者でもクベルナでもない顔をした男が、そっとキリマンジャロの耳に手を当てた。親指の腹で耳の裏を擦って撫でる。年長の者が若輩を迎え入れる時にする仕草で、家主はそれを青年の両耳に施した。音楽の使いであるムジカの加護を祈るもの、と移民の子孫に教えられたことがある。不確かな伝承と希薄な信仰はメディカシステマではひとつの要だった。コントロールされた内紛の引き金のため、と政治的に言われているが、地球の景色を見た青年は、これまでの歴史をいつでも自由に可塑化させるためだと仮定している。
「ぼうっとしていると山羊に裾を食われるぞ」
「すみません……あの、あとでこの子に何かあげても?」
家主が軽く顎をしゃくると、山羊はバアッとひと啼きして、おとなしくテラスの方へ回った。ブルーマウンテンはすげなく戸を閉め「あいつは楽譜がいちばんの好物だぞ」とさらりと言う。
「本当に? じゃあ次は僕のを持ってきます。よく写譜をするけど、憶えたら捨ててしまうから」
「憶えたら、か」
「ええ、あなたもですか、マジス」
「まさか。山羊のことは嘘だ」
「あ……そんな。ねえ、待って」
教えられた名を呼ぼうとしても、喉に繭が詰まったように巧く声が出せない。ソロを吹く時だってこうまで上がったりしないのに、もちろん、彼がコンサートマスターを務める公演だって。楽器で喋った方がよほどまともな会話になるのではないかと思うくらい、今夕のキリマンジャロはどうかしている。
招かれた宴席では、色とりどりの葉菜に鶏肉のスープ、そして彼の肌によく似た重くてしっとりとした黒いパンでもてなされた。原料である穀類の種が豊富で、ブルーマウンテンはその成分や調合などパンを焼く過程についてもよく精通していた。
「家の手伝いに教えるのが面倒で、最近はひとりで焼くことが多い」
「ふふ、本当に? 器用なひとですね。僕は吹き口の、リードというんですが……それを作るのも苦手で、いつもメカニカに頼ってばかり」
キリマンジャロが持っていった果実酒は食前に一杯口にしただけだったが、食事が進むにつれ、客人は徐々に多弁になっていった。テラスで行儀良くしている山羊に手ずから葉菜を与え、仄かな酸味と香ばしさに誘われ自家製パンを何切れもいただき、口下手な家主が沈黙していると、小首を傾げて話を促してくる。クベルナは今までにここまで奔放で無作法な楽団員を知らなかった。勿論、それは怖いもの知らずの青年を褒めている。自分の顔色を窺ったり傅いたりすることはすべて無為な接遇だと考えていた。
新しい共産主義は経済も社会地位も何もかも均一に等配分されている。それは平和かつ不穏な制度であり、個として種族として、自らの優位性を担保できなければ、ヒトというものは不健全に機能してしまうことがよく知られていた。何の実にもならない矜持がこの社会では必要なのだ。それが家柄であり、祖へ続く種の根源であり、銘柄だった。
ブルーマウンテン家は没落を知らない盤石安泰な銘柄、父母ともに健在で弟たちがつつがなく家継の準備をしている。スコレーに通うことも高価な楽器を揃えてシンフォニーエで精魂尽くすこともあの家には何の負荷にならない。それは何の誇りにもならないことと同義だった。当然のこと、秀でることも尽くすことも呼吸と循環と同じだと言われ、穿った考えや鋭利な批評は忌避され哀れみの目を向けられる。自分のところのみならず、各家そうやって子を育て、それが大人になり、大人になったものがまた次の世代へ踏襲させるのだと思っていた。
若くして郷里を離れた青年は、狭い世界で僻んでばかりの自分よりよほど多くのものを見聞きしてきたのかもしれない。未だテラスの端で山羊と戯れていた青年に、ブルーマウンテンは「食後の一服でもするか」と声をかけに行った。
デッキの柱に手をかけ立ち上がろうとしたキリマンジャロが振り向いたとき、ふたりの目が合った。色白で華奢な青年の双眸が翡翠のように光って見えたが、向き合って瞬きすると、それは男の黒い目と同じ色に変わる。蝶の翅のように角度で色彩が変化するのではないかと思いつき、顔を引き寄せようと耳のあたりに手を当てると、オーボエ吹きは俄かに顔を紅くした。
「もう、歓待は、受けました」
「そうじゃない、あんたが悪いんだ」
細かにうねる黒髪に隠れた横顔を見て、青年は少し前にフルートのモカが同じ相貌を浮かべていたことを思い出し、ようやく肩を撫でおろした。
「ビー、教えて。本当はお茶やケーキじゃなくて、僕に話したいことがあるのでしょう。……少し、お酒を飲みすぎましたか。今日はもう遅い?」
キリマンジャロの手が褐色の肌を覆うすべやかな絹の袖を引く。双つの黒い目は不意打ちに二、三瞬きしてから、青年の後ろで啼く山羊を優しく追い払った。
黙って手を取られるままに足を進め、邸の回廊を行く。階段のない広い屋敷の端に大きな蝶番がみっつ掛かった部屋があった。教えられなくとも扉の向こうが楽器庫だと分かる。
青年の胸はざわざわと粟立った。何を見せられても動じないという居直りと、クベルナが長年鍵をかけてきた孤独を暴く心地を、忙しなく往来しながら、自分の手を引くブルーマウンテンの体温をひしと噛み締めた。
扉を開けると、隙間から漏れ出た空気が防虫草の香をまとって抜けていく。仄暗い庫内に男が入り、灯りのレバーを押し上げると、調度品を保護するための照度を整えた光源がぼうっと目を覚ました。昔の地球にはたくさん姿が見られたという、蛍の腹の光もこのようなものだろうかと、キリマンジャロはゆっくりと天井を仰ぎ見る。
穏やかに上昇した照度が落ち着くと、クベルナはひとつの大きな戸棚を開けた。中には立派な木箱が入っていて、肩より高い上段からそれをずり下ろそうとするのを、青年は慌てて手伝った。
「見てほしい、キリ」
薄く積もった埃を吹きながら、ブルーマウンテンは浅く溜息する。心もとない声を聞き、彼も未だその中身を目にしたことはないのではないかと思った。
「もちろん、喜んで。最後のひとつをビーが持っていたなんて……僕の手を握って。一緒に開けよう」
蓋の木板は年月を忘れてつかえなくすべり、中に眠るヴァイオリンを柔らかい光の下に表した。楓の木の中でもとりわけ美しいとされるシカモアで彫られたヴァイオリン、ストラディバリウス最後の一挺が、システマが生んだ子らの間で、ただ静謐に永い眠りの海に沈んでいる。
〈続〉
眠りの海の楓 丹路槇 @niro_maki
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