後編

 しばらく生徒会室でくつろいでいると、別の生徒が「失礼します」と言って入って来た。

 後輩ちゃんだろうか。眼鏡をかけた真面目そうな女の子だ。


 後輩ちゃんは、ソファに並んで座るわたしたちを一目見るなりギョッとして、あわあわと目を泳がせ、動揺をかくさないふるえる手で生徒会長に書類を差し出した。

 生徒会長はそれを受け取り、さっと紙面に目を通す。


「ご苦労様。ここを直して、後でまた持って来てくれる?」

「わっ、分かりました! 失礼しますっ!」


 後輩ちゃんはふたたび書類を手にすると、焦ったようにお辞儀をし、それから逃げるように部屋を飛び出して行った。


 ふたたび二人きりになり、生徒会長がジト目でボクに訴えかける。


「なーんか、君のせいですごく勘ちがいされた気がするんですけどー」


 たしかに、そんな雰囲気もあったね。

 でも、それってボクのせいだけかな?


「どうしてわたしのせいになるんです? 君がすっかりここに居座っているからいけないのでしょう? ――あっ、こら、勝手に出て行こうとしないでくださいっ。話はまだ終わっていないんですからねっ」


 迷惑だったかなと思って席を立とうとした瞬間、生徒会長がボクの手首を慌ててつかみ、引っ張ってきた。

 やむなく、生徒会長のとなりに座り直すボク。

 居座っていたら怒られて、出て行こうとしたらまた怒られて。

 いったいボクはどうすればいいっていうんだ。

 それで、話って?


「君の『幸せ』についてです。――いいですか。わたしは先ほど、誰かとつながることで得られる幸せがあるとお伝えしましたね。そこで、改めて君の身の回りをふり返って、よーく思い出してみてください。君とつながっていたいと願い、一途に尽くしてくれている女の子が身近にいませんか?」


 ぐぬぬ、と挑むような目でたずねてくる生徒会長。

 でも、ボクの周りにそんな子いたかな?

 ボクのそばにいるのは生徒会長くらいで、ほかの子は少しも思い当たらない。

 その肝心な生徒会長は、ボクといるとまるで聞き分けのない子供を相手にしているかのような、迷惑そうな顔をするし。

 はたして、生徒会長の言う女の子って、いったい誰のことを指しているんだろう?


「はあー、もういいです……。では、次の幸せについて考えるとしましょう」


 彼女はがっくりと肩を落とし、さらに続ける。


「いいですか。人が幸せになるために、心がけるべき大事なことがいくつかあります。まず、素直になること。先入観を持たないこと。感謝の気持ちを忘れないこと。そして何より、実際に行動に移してみることです。どんなに思慮深くても、行動に移さないのでは何も始まりません。とりあえず、心の赴くままに動いてみる――そんな身軽さが、君の未来を切り開いていくかもしれませんよ。そう、わたしがほんの軽い気持ちで選挙に立候補し、ほんとうに生徒会長になれてしまったみたいにね」


 生徒会長はそう言って、悪戯っぽい笑みをこぼす。

 たぶん彼女なりの謙遜で、生徒会長に立候補した時の気持ちはけっして軽くはなかっただろうけど。

 でも、きっと、生徒会長はボクを勇気づけようとして言ってくれているんだよね?

 ありがとう。

 こんなボクをいつも気づかってくれて、受け入れてくれて。


「ふふっ、どうしたんです? 急にしおらしくなって。まさか君から感謝を告げられるとは思ってもみませんでした。何者にも束縛されない、気まぐれで自由な子猫みたいな君はいったいどこへ行ってしまったんです? ――えっ? ボクだって周りにはそれなりに気をつかっている? うそばっかり。そういう人は生徒会室に毎日のように現れないし、お茶を要求したりしないし、たいてい人の好意にも気づくものです」


 悪かったね、鈍感で。

 ボクなりに気をつかってはいるつもりだけど、でもほんとうに嫌だったら、追い出してくれて構わないからね。


「もう、君を追い出そうだなんて思っていませんよ。君がわたしに襲いかかってきたりしない限りは、ね」


 だから、ボクはそんなことしないって。

 生徒会長にだけは嫌われたくないもの。


「安心してください。そう簡単に君のことを嫌いになんてなりませんから。……だから、ちょっとくらい強引でも……とりあえず動いてみることで、変わる世界もあるかもしれませんし……」


 生徒会長はごにょごにょと、赤面しながら独り言のようにつぶやく。


「とっ、とにかく! わたしは君に幸せになってもらいたいと思っていますし、できれば、わたしに君が幸せになるためのお手伝いをさせてもらえたらって思っているんです。余計なお節介かもしれませんけどね」


 生徒会長がそう言って、はにかんだ笑みをこぼす。

 ボクはじんと胸が熱くなった。

 生徒会長がボクの幸せについて真剣に考えてくれている。

 その事実だけで、ボクはこの先何年でも生きていけそうだ。


「……で、君には何か達成したい目標だとか、将来叶えたい夢だとかはあるんですか? ほら、目標の達成や社会的な成功がもたらす幸せもあるそうですから」


 生徒会長が好奇の目を輝かせて、たずねてくる。

 ボクは顎に指を当ててしばらく考え、やがて首を横にふった。


「えっ、もしかして何もないんですか? 将来やりたいこととか、夢とかですよ? ――へっ? しいて言うなら、この先もわたしとずっと一緒にいることが夢? こうして二人きりでいられる時間が永遠に続くのなら、他に望むものは何もない? もっ、もう! またそんなことを言って」


 だって、ボクの正直な気持ちだもの。

 生徒会長、さっきボクに言ったよね。

 幸せになるためには、まず素直になることが大事だって。


「た、たしかにそうは言いましたけどっ。でも、聞かされるこっちの身にもなってくださいっ。心の準備だってあるんですから……っ」


 生徒会長は赤らんだ顔で胸に手を当て、はーっと大きな息を吐く。


「そ、そもそも君はちゃんと分かっているんですか? 自分がいったい何を言っているのか。ずっと一緒にいたいとか、二人きりの時間が永遠に続けばいいだとか――それはもう、プロポーズの言葉なんですよ。そういう大事な言葉は、将来大切な人が現れた時のために取っておくべきでは?」


 ううん、ボクはそうは思わないよ。

 だって、ボクにとって大切なのは、今であって将来ではないから。

 だから、ボクは真剣な気持ちを瞳にこめて、今目の前にいる好きな人にじっと視線を注ぎこむ。


「あうぅ……っ、そんなに見つめないでくださいっ。さすがに照れてしまいます……っ」


 ついに生徒会長は可愛い顔からもうもうと白い湯気を吹き出し、恥ずかしそうにうつむいてしまう。


「……ずっと前から、君の好意は感じてきました。はじめは、もしかしてそうなのかな? くらいの気持ちでしたが、やがて君が毎日ここに現れるようになると、疑いはしだいに確信に変わっていって……。それからは毎日がドキドキの連続で、わたしは焦り、君と距離を置こうとし、それでも近づいてくる君にとまどい、かといって拒絶もできず流されるばかりで……」


 言葉を探しながら、ぽつりぽつり、と本音を打ち明けていく生徒会長。

 それから、ふたたび顔を上げ、うるんだ瞳でボクを見上げた。


「でも、ほんとうは、わたしも嬉しかったんです。君がこんなにもわたしを必要としてくれて、毎日のように訪ねてくれて。ほら、わたしは誰かに必要とされることに幸せを感じる性質たちですから」


 ああ、そうだったね。

 生徒会長は人に尽くすことに喜びを感じる、心の優しい女の子で。

 だから、きっとボクは彼女を好きになったんだ。


「……でも、わたしがどんなに気を許していても、君は絶対に最後の一線は越えてこないから、もどかしくもあって……。気づけば、いつしかわたしのほうが君の姿を目で追うようになっていました。寝ても覚めても、頭に浮かんでくるのは君の顔ばかり。おかげで生徒会の仕事もあまり手につきません。まったく、どうしてしまったのでしょうね、わたしは……」


 そうだったんだ。

 ごめんね、生徒会長の気持ちに気づいてあげられなくて。

 ボクは怖かったんだ。

 ボクがわがままを通した結果、生徒会長に嫌われて、この救いのような毎日を失ってしまうことが――。


「どうせ、そんなことだろうと思いました。……けれども、いったいどんな気持ちでわたしが君の訪れを待っていたのか。君に紅茶を淹れてあげるのか。どうしてわたしが生徒会の仕事の手を休めてまで、こうして君のとなりに座り続けているのか。どんなに鈍感な君でも、さすがにそろそろ気づくのではありませんか?」


 ボクを責めるような言葉。

 けれども、優しくたしなめるような、愛情に満ちたやわらかい声。

 おかげで、ボクもようやく思い知る。

 生徒会長が言っていた、ボクに好意を寄せている女の子がいったい誰なのかを――。


 ボクの腕が、しぜんと彼女のほうに伸びていく。

 生徒会長はボクに教えてくれた。

 心の赴くままに動いてみることで、開ける未来もあるのだと。

 素直になることで掴める幸せもあるのだと。

 だから、ボクは彼女に触れてみたいという衝動に素直に従い、手を伸ばす。

 けれども、彼女のおびえた目が、ボクに「待って」と訴える。


「……どんなに偉そうなことを言ったって、ほんとうは君と同じで、わたしも怖いんです。仮にわたしたちの思いが重なって、付き合ってみたところで、はたして二人は幸せになれるでしょうか?」


 生徒会長がしんみりとした声で続ける。


「今でこそ、君の瞳にはわたしだけが映し出されているかもしれない。……けれども、それは今の君に選択肢が少なすぎることの証明でもありますから。だから、君がこの先進んでいく未来に新たな選択肢が加わって、わたし以外の可能性に気づいた時――今ここでわたしを選んだことをいつか後悔する日が来るんじゃないかって。わたしはそれが一番怖いです」


 生徒会長の純粋な瞳が、涙で濡れている。

 ボクは指の背で彼女の瞳をそっと拭い、ふっと優しく微笑みかける。

 ううん、後悔なんかしないよ。

 生徒会長だって、さっき言っていたじゃない。

 幸せになるためには、実際に行動に移してみることが大事だって。

 どんなに思慮深くても、行動に移せないのでは何も始まらないって。

 だから、起こそう。ボクたちで、次の行動を。二人が幸せになるために――。


「もう、そうやって君はわたしの言葉を都合よくとらえて……。あれはただ、本にそう書いてあったってだけで……あっ……ちょっと待って……っ」


 ついにボクはとなりに座る彼女の細い身体を抱き寄せた。

 反射的に、彼女はボクの身体を押し返そうとする。

 けれども、その力はあまりに儚げで弱々しく、拒んではいないようで。

 生徒会長が火照った顔で、最後に意思を確かめるように、おずおずと上目づかいでたずねてくる。


「……ほんとうにいいんですか、わたしで。きっと障害の多い恋ですよ?」


 それも覚悟の上だよ。

 でも、先入観にとらわれないことも、幸せになるために必要な条件なのでしょう?

 だから、生徒会長も素直になって。

 男も女も関係ない。ボクと生徒会長が、お互い一人の人間として惹かれ合っている。ただそれだけだよ。


 やがて、ボクの真剣な想いが伝わったのか、彼女がついに覚悟を決めたように目を閉じる。

 ボクもまた静かに目を閉じ、二人の気持ちを確かめ合うように、潤んだ唇を重ねようとして――。




 ちょうど、その時だった。


「失礼します! 書類を直して持ってきました! キャッ!? 失礼しましたっ!!」


 なんと、後輩ちゃんが静寂を打ち破って弾丸のように飛びこんで来たかと思うと、ボクたちを見るなり跳ね返るように向きを変え、猛然と走り去って行った。


 あっけにとられるボクと生徒会長。

 ボクたちは身を寄せ合ったまま遠ざかる背中を見送り、それから目を合わせると、くすくすと笑い合った。




【完】

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君のことが、ずっと……。  和希 @Sikuramen_P

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