中編
校庭のほうから運動部のかけ声が聞こえてくる。
青春の渇きを満たそうとするかのような、生命力にあふれた必死な声。
ボクの視線の先には、生徒会長の美しい微笑があって。
ボクの心もカラカラになる。
「とっ、とにかく、用がないならもう帰って……えっ、のどが渇いた? なにか飲み物ちょうだい? ……まったく、君って人は。ぜんぜん帰る気ないじゃないですか。ちょっと待っていてくださいね。今、紅茶を
おもむろに立ち上がり、慣れた手つきで準備をはじめる生徒会長。
電気ケトルでお湯を沸かし、ティーポットで茶葉を蒸らす。そして、頃合いを見計らってスプーンで軽くかき混ぜ、ティーカップに紅茶を丁寧に注ぎこむ。
何気ない日常の、ささやかな一場面。
それなのに、生徒会長の所作があまりに洗練されていて優美で、ボクはつい見入ってしまう。
生徒会長、なんだかメイドさんみたい。
もし、こんな可愛いメイドさんが家にいてくれたら、ボクは用もないのに何度でも呼びつけてしまいそうだ。
「なっ、なんです? そんなに人のことをじっと見つめて。は? メイドさんみたい? やれやれ。いったい、いつわたしが君みたいな気まぐれなご主人様に仕えたっていうんです? えっ、わたしならきっといいメイドさんになれる? だからボクが雇ってあげる? ……はあ、どうして君は上から目線なんでしょうね。べつに君が紅茶を淹れてくれたっていいんですよ?」
彼女は呆れつつ、紅茶をボクの目の前にあるローテーブルへと運んでくれた。
ボクのとなり、空いてるよ?
目でそう合図すると、生徒会長は観念したように、ボクの横に腰を下ろしてくれた。
「美味しく淹れられたかどうかは分かりませんけどね。はい、どうぞ」
ツンとした声。でも、小さな棘があるようで、丸みも柔らかみもある、優しい声。
一口飲んでみると、たちまち紅茶のほのかな甘みが口いっぱいに広がった。
うん、すごく美味しい。
「よかった。君のお口に合ったみたいで」
生徒会長がホッとしたように表情をほころばせる。
ああ、彼女がメイドになって毎日紅茶を淹れてくれたら、ボクはどんなに幸せだろう。
そんな妄想をくり広げて、ボクはひそかに幸せのありかを確認した。
「可愛いですよね、メイドさんって。ちょっと憧れはあるんです。ああいう衣装に袖を通したら、こんなわたしでも少しは可愛く見えますかね? ――えっ、すでに十分可愛い? ぎゅってしたいくらい? も、もうっ。またそういうことを言って。ここから追い出されたいんですかっ?」
頬を赤くしてうろたえる生徒会長。
そういうとこだよ。
生徒会長は誰よりも可愛いし、メイド服だって何だって似合ってしまう。
うそだと思うなら、今すぐここで着てみない?
ボクの言うことが正しいって、すぐに証明できるから。
「うぅ……っ、今は無理ですけど……。でも、そうですね。君の前でだけなら、特別にいつか着てあげてもいいですよ」
やった。
「――ただし、君も一緒に着てくれるなら、の話ですけどね」
生徒会長が余計な言葉を付け足して、悪戯っぽい笑みをこぼす。
ずるい。
ボクが恥ずかしがって絶対に着ないことを知っていて、そういうこと言うんだもの。
「うふふっ。わたしなんかより、君のほうがよほどお似合いだと思いますけどね。どうです、一度でいいから、わたしと一緒に着てみませんか? 文化祭かハロインの時なんか、いかがです?」
生徒会長が目をキラキラさせながら前のめりに迫ってくる。
彼女にそんな趣味があるとは知らなかった。
でも、せっかくのお誘いだけど、遠慮しておくよ。
どうやらボクは別の幸せを探さなくちゃいけないみたいだ。
『幸せ』という言葉に思い当たって、ふと考えこむ。
生徒会長にとっての幸せの形って、どんなだろう?
「なんです、急に真面目な顔をして。えっ、わたしがどんな時に幸せを感じるか、ですか? あ、もしかして話をそらそうとしています?」
まあね。これ以上メイド服の話を引っ張っても、分が悪そうだ。
すると、彼女はくすっと笑い、それから真剣に答えてくれた。
「そうですね。美味しいものを食べている時とか、お風呂でゆっくりくつろいでいる時とか。テストで良い点が取れた時にも幸せは感じますよ。でも、わたしが一番幸せを実感するのは、やはり誰かのお役に立てた時でしょうか。わたしのしたことが他の誰かに喜ばれて、『ありがとう』って言葉が返ってきたら、それだけで胸が温かくなりますから」
人に尽くすことが好きなんだね。
根っからの生徒会長気質なんだ。
「ふふっ、自分でも損な性格だなって思います。誰かに尽くしたところで必ずしも見返りが得られるとは限りませんし、そもそも見返りを期待すること自体まちがっている気もしますし。それに、わたしがよかれと思ってしたことがただのお節介に過ぎなくて、ああ、余計なことしなきゃよかったなって落ちこむこともあったりして。――でも、誰かに必要とされるのは、やっぱり嬉しいことですから。この性格はしばらく変えられそうにありません」
ボクは素敵なことだと思うよ。
少なくともボクは生徒会長を必要としているし、お節介だってしてもらいたいと思う。
そう伝えると、生徒会長は照れくさそうに教えてくれた。
「君はこういう話を聞いたことがありますか? 『幸せ』には大きく分けて三種類あるのだそうです。一つは、心身の健康から来る幸せ。二つ目は、誰かとのつながりを感じる幸せ。そして三つ目が、目標を達成したり社会的に成功したりすることで満たされる幸せです。この三つの条件すべてがそろった時、人は最高に幸せな状態だと言えるのだと、図書室で借りた本に書いてありました」
そうなんだ。
じゃあ、今のボクは幸せとは言えないのかな。
だってボクには何かを達成したと胸を張って言えるものが何もないし。
人間関係も希薄で、教室でも浮いている気がするもの。
軽く落ちこむボク。
となりに目を移すと、なぜか生徒会長も一緒に落胆していた。
「はあ……君はまったく気づいていないんですね。わたしから言わせれば、君はけっこう幸せ者だと思いますよ」
どういうこと?
不思議そうに首をかしげるボクに、彼女はさとすように続ける。
「もっと身近なところに目を向けてみてください。幸せはいつだって、君のすぐとなりにあるんですから。ただ、その事実に君が気づいていないだけで……。だいたい、君は自分のことに無頓着すぎるんですよ。わたしには可愛いだの必要だのと言ってくれるくせに、自分の魅力には少しも気づいていないんですから。君はもっと自分を魅力を自覚するべきです」
ボクの魅力?
いったい、どんな?
「もう、それをわたしに言わせる気ですか? ちょっとは自分で考えてみてください。わたしは君にそこまで教えてあげるほど、お人好しではありませんよ。――でも、これだけははっきりと言わせてください。君は自分で思っている以上に、ずっと素敵な人ですよ。ほかの誰も持ちえない唯一無二の魅力にあふれた、素晴らしい人です」
そう教えさとす生徒会長の優しい微笑みは、ボクにはあまりにまぶしすぎて、たちまち目がくらみそうになる。
彼女はとまどうボクにさらに続ける。
「ふふっ、わたしの言うことが信じられませんか? それなら、一つだけ、特別に君にいいことを教えてあげます」
いいこと?
「はいっ」
生徒会長は声を弾ませて返事をし、さらに内緒話でもするかのように、ボクの耳元でそっとささやいた。
「……実は、君に好意を寄せている子がいるんです。気づきませんか?」
ボクはびっくりした。
そんな子がいるだなんて、ちっとも知らなかった。
いったい誰なの?
そう尋ねようとすると、生徒会長は茹でダコみたいに真っ赤に染まった顔を両手でおおって悶えていた。
「とっ、とにかくそういうわけですから、君はもっと自信を持つべきですっ! その子のためにも!」
少し怒ったような調子で、ボクに強く言い聞かせてくる生徒会長。
そんな有無を言わせない彼女の口ぶりに、ボクはつい首を縦にふらされてしまう。
すると、彼女はようやく気が済んだのか、拗ねたようにつけ加えた。
「わ、分かればいいんです。まったく、わたしが淹れた紅茶をあんなに美味しそうに飲んでおきながら、今さら幸せじゃないだなんて。そんなこと、絶対に言わせないんだから……っ」
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