藤は月の傍に
一
桐女王があやかしに取り憑かれた末に亡くなったことで、春花国は混沌としていた。
やらなきゃいけないのは、次の王を決めること。
そもそも神に楽を奉納することで都の守りの要となっているはずの神庭があやかしに乗っ取られている以上、結界の修復のためにも神庭の奪還を次の王の指揮の元でやらなければ駄目だけれど。
私は元々出家のために英才教育を一切受けていないから、当然ながら継承権がない。そもそも晦に番の呪いの上書きをされているとはいえど、私を番にしたあやかしがまだいる以上は族滅の危険があるため、こんな危険な人間を女王に据える訳にはいかないだろう。
しかし継承権のある王族の女性陣から難色を示されてしまった。
「桐女王があやかしに取り憑かれていた上に、神庭の現状を思えば、女性というだけで飼い殺されたり、憑き殺されるんです。しかも桐女王の醜態は都の民全員が知っていることですから、これで次も女王だったら、民の不安を払拭できないのでは?」
実際に自分たちがあやかしに取り憑かれやすい体に調整が施されていたなんて話を聞かされたら、即位しようなんて話は普通に怖いし、千年狐は討伐できたものの、他のあやかしに取り憑かれる恐れがあるんだから、そんな状態で神庭のあやかし討伐の指揮なんて執れないだろう。
それにはうちの左大臣も右大臣も黙り込んでしまったものの、そこから「いっそのこと」と声が上がった。
「元々、春花国は古くは春花秋月国と呼ばれておりました。春は花、秋は月こそ美しいという意味の雅な国名ですね」
「それはそうですが」
「現在でも我が国は、女性は花の名から、男性は月の名から名前を取ることが推奨されております。いっそのこと、昔と同じく男性を政治に参加させる時代に戻すというのはどうでしょうか?」
「しかし……ただでさえ、男性には陰陽寮や武官など、荒事を任せています。そこからさらに王まで男性に戻すというのは……」
元々、千年狐曰く、男性の体は醜いという身勝手な理由で女性にだけ取り憑き、一番偉い女王であれば好き勝手暮らせるという発想の元、男性を虐げていたという背景がある。それを払拭するためにも、一旦男女平等にしたほうがいいだろうが。
そんな中、うちの親戚一同があからさまに私を見てきた。
「あ、あのう……」
「藤花は女性ですが、陰陽師や民間の術士と協力しながら千年狐を討伐しました。男も女も関係なく、得意分野に励めるようにすればよいのでは?」
「そうですわね。しかし……結局玉座を誰に預けるか、ですが……」
「王族で、男性で、朝廷の中に詳しい人物……いましたね」
そんな都合のいい人っていたっけか。
私はほとんど武官たちに剣を習っていただけで、政治のことはほとんど親戚一同に任せていたから覚えがない。そう思っていたら、とんでもない人が挙げられたのだ。
****
「……私ですか?」
政治の場に呼び出されたお父様は、唐突な通達に困惑していた。
お父様からしてみれば、姉を失っていたことから喪に服したいところだろうに、唐突な玉座の譲渡で人のいい顔に混乱した様子を示していた。
「はい。二日月様でしたら、使用人たちからも覚えめでたい方ですし、桐女王の弟だった。そして、藤花が立派なあやかし斬りになれる程度にはあやかしに対して退魔の力を持ってらっしゃる……これならば、誰もが納得するのでは?」
「するんですかね……」
お父様は、それはそれはもう、縮こまっていた。
私はどう声をかけたらいいのかわからないものの、とりあえず声をかけてみた。
「お父様。私はお父様がいいと思います。お父様は、女性の痛みも、男性の嘆きも、双方聞いてらしたし、それに心を痛めてらっしゃる方ですから」
「藤花……お前を出家させたような情けない父でも、王になれると思うのか?」
「私は私を呪った番を殺しますもの。それができる伴侶もできましたし、それと一緒に殺しますから。族滅はさせませんし、むしろ私が殺します」
「……藤花。ずいぶんと図太くなって」
「お父様、そこはずいぶんと逞しくなってでは?」
私とお父様は、なんとも言えずにとんちんかんな会話を繰り返した。
本来ならば、即位は祭事頭が音頭を取ってもっと盛大に行われるものだけれど、今は女王が崩御したばかりで本来ならば一年は喪に服さないといけない上に有事の真っ最中だ。その有事をために、久々の男王だというのに、式は簡略化されて行われる下りとなった。
そのごたごたを手伝いつつ、私はやっと陰陽寮に向かうことができた。
筆頭陰陽師である晦も、神庭奪還戦のために慌ただしく各地へ書簡をしたためている真っ最中だった。
ほぼなし崩し的に婚約を取り付けた上に、久々に顔を合わせたというのに、びっくりするくらいに素っ気ない。
「晦」と声をかけると、いつもの飄々とした顔を一瞬だけ上げてから、すぐに書簡に戻ってしまった。ずっと晦も筆を取り続けていたのだろう。指先はすっかりと真っ黒に染まってしまっていた。
「ああ、やはり二日月様が即位されましたか。あの方くらいでしたからね。朝廷にそのまんましがみついて、女性も男性も取りまとめて話を伺っていたのは」
「まあ、そうかもしれませんね。お父様がそこまですごい人だったなんて、私も思ってませんでしたけど」
「まあ、いいじゃありませんか。二日月様がそれくらい偉くなくては、私とあなたの婚約に許可なんて出してくれないでしょうし。一番偉い人が許可出さなきゃ、平民からのなりあがりと出家予定だった王族の姫が婚約なんて、できませんし」
「……一応私の責任取ってくれる気あったんですね?」
「そりゃありますとも。あなたに最初に目を付けていたのは私だったのに、いきなり横からかっ攫われたら、普通は面白くありませんでしょう?」
「……は?」
なんだそれ。今初めて聞いたぞ?
あれ、でも。私は今更になって思い至った。
「桐女王の中にいたあやかしは、代々王族の女性に取り憑いて、婚姻統制で理想のあやかしのための器をつくり続けてたんですよね? そしてあなたは千年狐の……桐女王の先代の子ってことは、あなたも王族……だったんですよね?」
「まあ、そうなりますね。男でしたからポイ捨てされただけで」
「ならそもそも身分的にはなんの問題もないじゃありませんか」
「姫様。そうは言っても、この国も身分を破棄した人間には存外冷たいものですよ? 力を見せなければ、自分はこうしてこの場で筆を取ることすらできなかったんですからね」
私はそうきっぱりと言う晦を、なんとも言えない顔をして見ていた。
王族は本家からあちこちに降嫁したり王弟だからと傍流になったりとそこかしこにいるため、残念ながら私は彼を見た覚えが全くなかった。
本当にいつから彼が私のことを気にしていたのか、いつからあやかしを倒して私を奪うつもりだったのか、さっぱりわからない。
そして思ったことを尋ねてみた。
「あなたはそれでよかったんですか? 皆の前で桐女王……の前に取りついていた王族の子だと公表したんですから、あなたがそのまま王に志願しても……」
「嫌ですねえ、私が紫陽花区から離れられる訳ないじゃないですか。神庭鎮圧して、朝廷の結界修繕し直して、あやかしの脅威が去らない限り、私はあそこから離れる気はありません。なによりも、さすがに私も朝廷であなたの番を迎え撃つ気はありません。まだ神庭に住み着いたあやかしの脅威の残っている朝廷でだったら、どんな罠があるかわかりませんし」
私は不覚にもその言葉に、胸がときめいてしまった。
これから起こることがもりだくさんなのだ。私を番にしたあやかしは、晦が番の呪いを上書きしたことに間違いなく怒りを示すだろうから、襲いに来るだろうし。
紫陽花区は人手が足りずに常々後手に回っているから、晦や薄月が被害者を保護しなかったらにっちもさっちも行かないし。
彼は訳のわからない性格をしているものの、取りこぼしがないようできる限り手を広げていたいんだ。
私はそれに感動して、少しだけ晦に引っ付いた。久々に着た小袿姿は、髪が肩までの長さでも少しは様になっている。
それに晦は少しだけ目を細めました。
「どうされましたか、姫様。甘えたい気分ですか?」
「いえ。私、あなたのこと、最初は訳がわからん変な人だと思っていましたけど」
「いきなり失礼ですね」
「……でも、あなたのこう、全方向に優しいところは、割と好きですから。ときどき私に変な執着を見せますけど、私限定なら、まあギリギリ許容しましょう」
「おやまあ。それはそれはお優しい。まあ、ここは職場ですから。続きは家に帰ってからにしましょうか」
「……まあ」
「あまり私を誘惑しませぬよう。抑えが利かなくなりますから」
「好き勝手していた人がなに言ってるんですか」
「これでも、おぼこな姫様に合わせていたつもりですが」
この人には口で勝てる気もせず、結局は私は手を挙げて「はあい」と答えるのだけが精一杯だった。
****
思えば怒濤の半生だった。
幼少期にいきなり成人後即出家が決められたと思ったら、出家するその日のうちに魂を引っこ抜かれて胡散臭い陰陽師の式神にされて。
かと思ったらその陰陽師に番の呪いを上書きされて、婚約してしまったんだから。
この国だってやっと千年狐から解放されたばかりで、まだなにも解決してはいない。でも、なにもしないのもよくないから、私もできる限りはなんとかするつもり。
口先ばかりかと思ったら、意外ときちんと愛されていたから、その愛情をこれからちょっとは返していく予定。
道が閉ざされていたと思ったのに、今は真っさらな人生に、わくわくが止まらないのだ。
<了>
春花国の式神姫 石田空 @soraisida
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