終幕 神風よ、もう一度
終幕 神風よ、もう一度
花の香を運ぶ暖かな風の匂いを堪能するように目を閉じる。目を閉じると、音がいっそう、研ぎ澄まされて聞こえてくる。
あれから一夜明けた〈
紬は〈
「
その人の名前を呼んだ紬は立ち上がろうとすると、品木に止められた。長く白い髪が屋根につくのも構わず、品木は紬の隣に腰を下ろした。品木も、紬と同じように眼下の街を、ながめている。
「彼らの処罰はありませんよ」
その一言で紬は安堵の表情を浮かべた。
「……品木さん」
「ん?」
「最初から、分かっていたのですか?」
品木はほほえんで、空を見た。天にふたつの〈
「君は、どう思う?」
はぐらかした品木に紬は、あきれたような顔を向けた。
「品木さんとゆらはやっぱり兄妹ですね。なにも言わない所が似ています」
紬が皮肉をこめて言うと、品木は得意気な笑顔を見せた。
「そうだろう?」
褒めていないんだけどな、と思いながら紬は品木につられるようにして笑った。
「悪い意味で似ているんだよ」
頭上から声と共に影が落ちる。紬が顔をあげると、
品木に対して三ノ緒はあきれたような眼差しを向けている。
「あんた達、兄妹には負けたよ。あんたもあんただ。その為の権力かい?」
「ええ。権力というものは、そのために存在するのですから」
鼻を鳴らした三ノ緒は品木を無視して紬に顔を向けた。
「そうそう。紬。私はあんたに言いたいことがあって、来たんだよ」
三ノ緒は紬の目の前に移動した。眼前に広がる顔に圧倒されながら金色の目を見つめると、三ノ緒は大きな口をゆっくりと開いた。金色の鋭い歯が光る。
「あんた、またこの世界に来るよ。そのときは、覚悟しなさい」
「え?」
「また会おう」
挨拶する間もなく、三ノ緒は尾を揺らしながら北へとかけ抜けていった。とまどう紬に対して、品木は言った。
「三ノ緒様が言うなら、そうかもしれませんね」
「それは、困ります」
「困りますか?」
「はい。勉強しないといけないので」
紬の答えに品木は苦笑した。
「紬さん」
品木は軍袴が汚れるのもかまわず、屋根の上で姿勢を正し、正座した。
「あらためて、この国を救ってくださったこと、感謝する。〈光和之国〉の国民に変わり、〈光和之国〉帝国軍元帥としてお礼申しあげます」
品木は手をついて、深々と頭をさげた。白い髪が日に透けてきらきらと輝いている。
紬は慌てて姿勢を正し、正座した。品木と同じように手をついて頭をさげる。
「こちらこそ、助けてくださり、ありがとうございました」
救ったのは、自分ではない。ゆらの思いだ。それでも、紬は品木の言葉を受け入れた。ゆらに手向けた――品木の、妹に対する最後の言葉だからこそ、受け入れた。
〈光和之堂〉を出ると、
「紬さん。行きましょうか」
「はい」
紬は屋隈から鞄と旗を受け取るとうなずいた。
**
本来の〈
黒々とした穴はどこにもない。元に戻った、それでも、ボロボロになった姿の国がそこにはあった。
「これから、再建していきます。時間はかかるでしょうけれど、それでも、少しずつ、失った街を取り戻していきます」
屋隈は〈光和之国〉を見つめながら力強く、言った。
「……少しずつ、大変になっていくわね」
蓮香がぽつり、と零した。
「まあ、今は喜ぼうじゃないか」
日納が蓮香の背中を優しく叩く。紬は遠くの、きらめく海を見た。〈光和之国〉と繋がった海――。そして、気づいた。彼らはこれから、異国と繋がっていくのだ。
百年もの間、災厄により鎖された国は、ある意味、異国からの侵略に護られていた。今後、彼らは災厄ではなく、異国を相手するかもしれないのだ。
どこまでも広がる海の果て、水平線の向こうにも国はある。紬はわずかの間、祈るように目を閉じた。
長い飛行の後で降り立ったのは、彼らと初めて会った塔の跡だった。くずれたままの塔の前で紬は旗を手に立っていた。
紬は胸ポケットから〈
「紬さん」
蓮香に呼ばれ、紬はふり返った。
「〈
蓮香に言われて顕谷はああ、と頭をかいた。
「そう言えば、忘れていたな」
「忘れたら駄目だろう。あちらに戻ったときに紬さんが困ることになる」
日納は言いながら自分の手のひらを見た。紬は日納につられるようにして、手のひらを見た。二重の金環の上に放射状の光の筋を重ねた〈光和之国〉の紋様。まるで刺青のように刻まれた証を紬は見つめていた。
「紬さん。ありがとうね」
蓮香が差し出した手に紬は応えて握手をした。手のひらがじんわりと温かくなり、地面から風が優しく舞いあがった。そして蓮香は紬をそのまま抱きしめた。おどろく紬の耳元で蓮香はささやいた。
「あなたにだから、言うね。私、ゆらのこと、愛していたの」
ふられちゃったけどね――と言いながら蓮香は紬から体を離すと、ほほえんだ。
「いつかまた、〈
「はい。そのときは蓮香さん。ゆらとの思い出話を聞かせてください」
蓮香は目をうるませながら、うなずいた。握手を交わした手が名残惜しそうに離れる。蓮香の手のひらから〈光和之証〉は消えていた。
次に手を差し出したのは顕谷だった。大きな手と握手を交わすとさきほどと同じように、やわらかな風が地面から舞いあがった。
「……紬さん。ありがとう。激動の日々だったけど、まあ、楽しかったよ」
「私も、顕谷さんの背中に乗って国を見ることができて、楽しかったです」
「いつかまた、会えたら乗せてあげるさ」
いつかまた、と顕谷から手が離れる。〈光和之証〉が消えた傷だらけの手を見送って、次に紬の前に立ったのは日納だった。日納の骨張った手と握手を交わすと風は優しく頬をなでた。
「あんたも災難だったね。ゆらは結構、面倒だっただろう?」
「日納さんの苦労をうかがい知りました」
日納は嬉しそうな笑顔を見せた。
「それでもね、嫌じゃなかったんだ」
「――分かります」
日納は紬から手を離すと、〈光和之証〉が消えた大きな手で紬の頭をなでた。優しさに満ちた目を閉じて、日納は紬から離れた。
最後に手を差し出したのは屋隈だった。
「紬さん。今まで、ありがとうございます。どうか、お元気で」
「はい。屋隈さんも、どうか、お元気で」
握手を交わすと、風は花びらをのせて舞いあがった。
「
「え?」
おどろく屋隈に紬は笑顔で答えた。
「私の名前です。滝頭紬、です」
屋隈は一度、目を閉じて、うなずいた。
「滝頭紬さん。いつか、また」
「――はい」
紬は屋隈から手を離した。互いの手のひらから〈光和之証〉は消えていた。
そして紬は〈日見鏡〉を使って空を見た。天にふたつ浮かぶ〈日〉は今、ひとつになろうとしている。
紬は空から目を離すと、旗竿を肩で支えて、両手で〈日見鏡〉を屋隈に手渡した。だが、屋隈は受け取らなかった。
「あなたが、持っていてください」
紬は、ためらいながらも、うなずき、〈日見鏡〉を胸ポケットにしまった。そうして旗を両手でつかんだ紬は、右の手首の白い布を見てから、目を閉じた。
これは、祈りだ。
そして、繋ぐ命の、訪いを祈る言葉だ。
紬は目を開けて、最後の言葉を口にした。
「――神風よ、どうか、もう一度」
地面から風が舞いあがり、墨色の旗が空にひらめく。二重の金環の上に放射状の光の筋を重ねた〈光和之国〉の紋様が輝いている。体の中を流れる清らかな気配に命が繋がれたことを感じ取った紬は安堵した。
そうして紬の体は〈
ふり返ると、屋隈が、顕谷が、蓮香が、日納が紬を見送っている。そして一瞬にして花びらが目の前をさえぎり、紬は目を開けていられなくなった。
**
花びらの気配がなくなり、紬がそっと目を開けると、いつもの河川敷が目の前にあった。夢見心地のようにぼんやりと風景を見つめた紬は空に視線を移した。満開の桜の隙間から見える群青の空を、ながめながら、紬は、ほほえんだ。
そうして、スクールバッグを持ち直した紬は、前を向いて歩き出した。
紬の右の手首の白い布が、しゅるり、とほどけたと思うと、〈日見上花〉の花びらに変わった。肉厚で大きな白い花びらは、地面に吸いこまれ、消えていった。
〈了〉
神風の子 白原 糸 @io8sirohara
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