この身体は誰が為
天川
ため息が止まらない
はぁ………
何度目だろう、もう数えるのも馬鹿らしいほどのため息が漏れる。
仰向けに伸ばした手から力が抜けスマホがするりと抜け落ち、肋骨に当たる。
「痛っ……」
ごつっ、という色気のない擬音を発して角をぶつけたスマホは弾みもせずに寝そべった身体の脇に滑り落ちた。
自虐的な笑みがこぼれる。
この作中の70Fなら……ぼよんっ、と弾んで顔面にヒットするのだろうな、と。
いつもの投稿小説サイトに、知り合いの新作が投稿されたことを示す通知が届いた。いつも読んでもらって、交流している人だ。お礼の意味も兼ねて読んでおこうと思った結果がこれだった。
それでも、彼女は件のサイトで一大派閥を形成する文学集団の一角を成す存在。ここで印象の良いコメントの一つも書いておけば、もしかしたら私の作品に迷い込んでくる読者もいるかも知れない。
姑息ではあるが、もはや人気作家以外は目も向けられないような、この世界。姑息だろうとなんだろうと、読んでもらわなければ始まらないのだ。一人でも多くのフォロアーを、それが今のあたしにできる唯一の方法。
だが、作品の内容が良くなかった。
いや、作品自体は素晴らしいのだが書かれている内容の一部分が私には辛かった。
もちろん、素晴らしい作品であることに異論は無い。少なくともあたし以外の読者なら、ちゃんと狙い通りに心を動かしたことだろう。ひどく無造作に書かれているようで、押さえるところはちゃんと押さえている。改行しまくりの文章なのに素人臭さが全く無い。読みやすいし、ちゃんと内容もある。現に、星の数はうなぎのぼりで既に三桁を突破している。あたしの方は、交流のある作者さんにお情けで貰った忖度星の77が最高値だと云うのに……ほかは30も貰えてないのに……!
「はぁ………」
ため息が、止まらない。
読みながら、自分でも気づいていた。胸がコンプレックスみたいにコメントで面白おかしく書いて自分をごまかしていたけど、本音は違う。
彼女は、あたしとは違うんだ。
都会暮らしで社会に順応して、ちゃんと人並みに生きている。胸が大きくなくたってきっと男の人から声をかけられるだろう。彼女が魅力的であることは間違いないのだ。
彼女は男を捨てた。
別れたのではない、捨てたと言っていた。
捨てる男がいるというなら、それはとても羨ましいことだ。
あたしには、そんな選択肢があったことなど一度も無い。言い寄ってくる男が居たらダボハゼにように飛びつかなければ、幸運は何度も訪れない。たとえ相手がどんな男であろうとも。
一度、誘いを断ったことがあるが、その顛末は酷いものだった。次の日から、お高く止まっているだの、何様のつもりだだの、選ぶ権利があると思ってるのか、などと陰口を叩かれることになった。付き合った数だけはそれなりにあるから余計にそう思われるのだろう。節操の無い不細工でスケベなだけの女というレッテルは一度付いたら剥がれることはない。そもそも、あたしにそれ以外を求めてくる男なんか皆無だった。
あたしは胸は平坦だがお尻だけは何故か大きく、声をかけてくる男は必ず背後から忍び寄ってきた。正面から来る男なんていなかった。後ろから追い抜くように振り向いて、あたしの顔と胸を確認して、失敗したような顔して通り過ぎていく男さえいたくらいだ。
嗚呼、胸さえあれば。
せめて手のひらで包み込めるほどの膨らみがあれば。
いつもそう願っていたが、成長期は既に遠く過ぎている。
もみもみと育乳に励んだこともあったが、気持ちが良いだけで効果は無く、変なため息が漏れただけだった。
諦めてはいたんだ。望んでも叶わないことを追い続けるほど、現代で嗤われることはない。何か別な魅力を創出しなければ。
そうは思っても、世来の意欲の低さのせいでどれもこれも長続きしなかった。
なんのことはない。
あたしは胸のせいにしてたけど、原因は他のところにあるんだ。
そんなの分かってた、わかってて気づかないふりをしていた。
彼女の作品は、そんなあたしの醜さに光を当てただけのこと。
美しい言葉で霞がかった
そんな彼女に、お似合いの彼だ。
所作も気遣いも素晴らしい。
洗濯代はおろか、新しい服まで。
そんな気遣いのできる男なんか、あたしは一度も縁が無かった。ホテル代を割り勘にしてもらえれば御の字だった。避妊も避妊具も全部あたし任せ。タクシーで迎えに来いなんていう男もいたくらいだ。妻子持ちもいた。まともに付き合うつもりなんか最初から無い男ばかり。でも、それでもいいと、ずっと思っていた。
まるでお見合いの席のような丁寧な言葉づかいでお互いの性事情を語り合う二人。猥談のはずなのにぜんぜんそんな空気が感じられない。
『───――───――』
一方の私は、気紛れで男が連れて行ってくれた居酒屋で、奢り分の元を取るかのように投げつけられた言葉を思い出していた。
愉快な物語を読んでいる筈なのに、何故か涙がこぼれた。
あたしとは、何もかも違う。
胸が無いのが哀しいんじゃない。
あたしは、普通の愛が欲しかったんだ。
頑張れ、頑張れ、蝉たちよ
持てる彼女はエールをくれた。
もういいよ、頑張れなんて言わないで
無理なことって、あるんだよ
………………
唐突に、スマホが鳴動する。
珍しく電話だ、あたしにかけてくるような相手は両親の他には一人しかいない。……少なくとも、今は。
「……はい」
気だるげに返事をすると、電話からは予想通りの声が聞こえてくる。
「ねー、暇? 暇だよね? ちょっとお茶しよ? いいお菓子貰ったの、一緒に食べようよ」
名前も名乗らずに一方的に用件を伝えてくるこの相手は、ちおりん。
まさに天啓とばかりに付き合いが始まり、今ではお互いの家を行き来する事も多い。
「んー……。いいけど、あたしのうちはだめだよ? 今片付けてないから……」
あたしは、部屋を見回してからそう答えた。部屋には洗濯物が所狭しと干されている。雨続きだったために外干しが出来ないのだ。ごうごうという除湿機の音が鬱陶しく響く毎日だった。
「私の部屋だって同じようなもんだよ~。まぁ、それでもいいなら、うち来て、待ってるから」
そう、一方的に告げて電話は切られた。
これもいつものこと。
あたしがそう言う所作を一切気にしない人間だということは彼女も分かっているのだろう。そう言う意味では、彼女もこれまでの男とあまり変わらないのかもしれない。でも、それでいい。男女間の打算とは違う、自然体の付き合い。あたしはこれが気に入っているのだから。
訪れた、ちおりんの部屋はあたしほどではないがそれなりに雑多だった。でも、ちゃんと生活していることが感じられる、好ましい散らかり方。掃除はされているし、洗濯物が干してある以外はちゃんと片付いている。扉を閉めて靴を脱ぎ、部屋に入るとふわりと彼女の匂いがした。
「適当に座ってて~、お茶入れるから。あ、珈琲の方が良い?」
ちおりんが台所からそう声をかけてくる。
「なんでもいいよ、ちおりんと一緒で」
「じゃあ、どくだみ茶ね」
「それは嫌」
どくだみ茶なんて一般家庭で用意してあるのかな。
そんな軽口を言いながらも、日本茶のいい香りがしてきた。
テーブルに置かれたのは文明堂のカステラと不二家のケーキ、どちらも定番だったが自分で買うことは少ない。いただきものでもらうことのほうが多いくらいだった。
「
箱を開けながらりおりんが尋ねてくる。
箱の中にはチョコケーキとミルクレープが入っていた。どちらもあたしの好きなものだった。……貰い物と言っていたけど、このケーキは多分ちおりんがわざわざ買ってきたものなのだろう。
「うーん……」
私は困った。
食べ物に関しては妥協ができないのだ。これを聞かれると30分は悩む自信がある。……これが原因で、男に振られることは多い。だから人前では悩むことを自ら禁じている。こんな風に自由に悩めるのも、ちおりんの前でだけだ。
くだらないことに真剣に悩むあたしを見て、ちおりんは笑いながら、
「じゃあ、半分ずつ食べよ。今切るから待ってて」
そう言って、彼女は台所から包丁を持って戻って来た。いつも思うけど、彼女はとても包丁が似合うと思う。家庭的で、とても好感が持てた。
包丁をコンロで軽く炙ってから三角のケーキに差し入れていく。三角のショートケーキの形状が、よりハイレグ味を帯びて細長くなる。
「じゃあ、いただきます」
「うん、たべよたべよー」
彼女は、包丁についたクリームをぺろりと舌で舐め取っていた。
お茶を飲みながらケーキを食べて談笑する。
件の作品を、あたしに紹介したのはちおりんだった。だからきっとコメント欄で暴れてるんじゃないかと思って、連絡してみたというのだ。そんなことのためにわざわざケーキまで用意して。いつもながら、がさつなようで気遣いのできる子なんだ、彼女は。
「巨乳ネタがでると、いつも暴れるからね~」
つまり、そういうことだ。
あたしを気遣って、こんなお茶会を開いてくれたのだ。
食べ終わると、またどちらからともなくスマホでサイトを開く。
新着通知が来ていた。みると、ちおりんの新作。
「あれ? 新しいの上げたの?」
「うん、ふふふっ」
なんだか思わせぶりな笑い。
あたしは、その新作を開き、読み進めた。
なるほど、彼女なりのアンサーと云うか、気遣いと云うか仇討ちと云うか。
あたしを想像しながら書き上げたことが、一発で分かる内容。ファンタジーテイストであり、謎の薬で周囲の女の胸を小さくしようと画策する女のお話だった。
「──でもね」
「うん?」
あたしは、ちおりんに向き直る。
「別に、あたしは他の人の胸が小さくなっても嬉しくはないんだよ?」
「あれ、そうなの?」
そうなのだ。
『妬みはすれど、人の不幸は喜ばぬ、それがあたしの貧乳道』
どどんっ!
と、頭の中で和太鼓の音が響き渡った気がした。
「ぷっ」
くすくすと、ちおりんは笑っている。
まあ、羨ましいのは事実だ。
でも、他の人のおっぱいが小さくなったからといって、自分のものが大きくなるわけでもない。他人を小さくしたところであたしの気持ちは浮かばれないのだ。
そこであたしは、ちおりんの胸に視線を注ぐ。
最近知ったが、彼女はDほどもあるらしい。そんな彼女のお胸だが、なにやらいつもより揺動量が大きいし、乳頭部が──
目の前には、色とりどりの下着が干されている。……全部洗濯しちゃったのかな。
ちおりんの下着は上下揃いのものが多い。その点でも羨ましさが募る。
あたしは、上が小さく下が大きいので一般の上下揃いのセットでは、ほとんど選択肢が無いのだ。
サイズでいえば、上がLで下が3L~4L。イビツな組み合わせになってしまうので大抵は上下別々に買うことになる。
胸の大きさは品揃えがいいのにショーツの方はワンサイズのみ、なんてことも多い。
男も下着も、あたしに選択肢なんて無いんだ───
ちょっと心に、どろどろしたものが渦巻いてきて、その衝動に任せてちおりんの胸に手を伸ばす。
「ひぇっ!?」
驚いて、
ちおりんはこっちを見る。
「揉ませて」
あたしは、少しすねたように頼んでみた。
「も…!? ふ、普通にさわるんじゃダメなの?」
ちおりんは、両腕で胸をかばうようにしながら問い返す。
「ダメ、揉みたい。てか、揉ませろ」
「急にどうしたの!?」
その言葉には答えずに、背中に回り込んで後ろから鷲掴みにする。もちろん優しくだ。あたしは過去の男達みたいに乱暴に自分本意にすることはしない。
自分で何度も試して知っている。
女の身体は……女のほうが知っているんだ。
南半球に手を添えて、ゆっくり持ち上げるようにしながら中央に向けて寄せるように揉み解す。
自分の物とは明らかに違う、重さと弾力。
その感触に些か嫉妬を覚えながらも、攻める手を止めない。
「ちょ……ねぇ? なんか、さわり方変じゃ……ない?」
ちおりんは戸惑っているけどあたしはそのまま攻め手を緩めない。やがて頭頂部も転がすように指先で弾いて、反応を伺う。
ため息が──
ため息がこぼれていた。
あたしじゃない、誰かの口から。
あたしは、その反応に言い知れぬ悦びと勇気を得る。
あたしが聞きたかったのは、きっとこれなんだ。
押し止めようとする彼女の手を躱して、
あたしの手は、脚の間に滑り込んでいった。
この身体は誰が為 天川 @amakawa808
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