五条比佐子似の女性

判家悠久


 日本のネットのスクープ記事で知ったが、何でよにもなる。


【トレンディ俳優生島魁斗、赤坂のホテル不倫密会。お相手はミュージカル女優五条比佐子似の女性。】


 うん、魁斗。そりゃあ付き合っていたわよ、9年前。ただ当時、お互い大きな事務所同士で、公認したら互いのバーター出演の調整がしずらいで、都合4ヶ月で終止符。SEXの相性は良かったが、その先の愛情の積み重ね直前で、別れさせられたので、キャリアに何ら上乗せ出来る経験でもありゃあしない。

 魁斗はその後に、事務所にあてがわれたか、エッセイストのタレント辰宮響子と結婚した。共通の趣味がサーフィンで意気投合した。そこは、ちょっと違うでしょう。長髪長身がお好みで、前戯に時間を掛けるのが、魁斗の性癖とマッチしただけ。まあ、響子の方が年中日焼けしてて、そりゃあ、健康的で気持ちも高まるでしょう。


「でもね、比佐子。魁斗は今も比佐子の方が好きなのよ。そうよね、年2回の浮気なら許すわ。だから、私に魁斗を譲ってね」


 まあ、合コン幹事の響子に、切にお願いされたら、私も嫌とは言えない。


 改めて、ネット記事のスクープ写真を見る。生島魁斗、相変わらずのロン毛で、シトラスのフレグランスもつけているのだろう。そして、決まって15歩後ろに女性を歩かせ、万が一の写真対策もする。

 その後ろの女性、私が長髪だった頃の私に良く似ている。本当女子大生好きもいい加減にしなさいな。でもね、これ、この女性、私そのままなのよ。

 不意に、個人事務所社長で同年齢のマネージャーの鍋島富士子が、タブレットを覗き込む。


「本当、比佐子に似てるわよね。これで都合3回目、香緒里ちゃんも、比佐子に寄せてデートする事ないのにね」


 二瓶香緒里は、ランウェイモデルで世界を股に掛けているブランドのミューズ。確かに顎のラインは似ており、お笑い番組でも姉妹やんけーが落とし所とされる。まあ実質、仲はそのまま姉妹ではあるけど。ただ、香緒里は日本にいる事は半年もなく海外のコレクションに出演しているので、写真は知らないとトークで返される。


「ねえ、富士子さん。何より香緒里は、私の男女関係は何も知らないから、こうピンポイントにデート出来る筈もないのよ」

「それじゃあ、比佐子、ゲロしちゃう。これ全部私だって。それ本当きついわね。不倫の活動自粛って、比佐子のプライベート事務所だから、干上がちゃうわよ。この際、香緒里さん引っ張っちゃおうかしら。モデルより、タレントの方が、ステイタスとギャラは良いって」

「まあ、香緒里の移籍のお誘いは良いと思うわ。ただ、くれぐれも言うけど、これ、絶対に私じゃないからね。ここ、ニューヨーク、ブロードウェイ、No.42シアターの観客席、日々お客の入りを確認して、ヒーヒー言ってるのに、どう日本に帰れるのよ」


 私の喉は然程高級な方ではない。音程はボイトレで安定しているが、抜群にオクターブは広くない。ただ、野太い声が直接観客席に届くので、先生に、君は舞台向きだねと諭され、若手女優のヒエラルキーから離れて、ミュージカルの舞台に立つ。

 そして、とうとうオフ・ブロードウェイのNo.42シアターの3ヶ月公演「Orange Soft Runaway」を、融資銀行に拝み倒して夢を叶えている。そして公演折り返し。ここからリピーターが来てくれないと、私も富士子さんも破産する。そもそも、恋愛も結婚もしてる余地は、一切無い。


 それじゃあ、この若い頃の女性そのままは誰。私と富士子さんは、どんどん首をもたげる。



 ◇



「Orange Soft Runaway」ラストスパート。観客は週末で何とか埋まってる。あとは父兄無料招待dayのコマも捌き、口コミ宣伝も上々になり、前売り券も右肩上がりなので、経理上で若干特別損失が出るが、期待予想値の着地予想。まあ、事務所を畳まなくて済みそうだ。


 そんなある日の事、先生が、均一の取れたバラの花束を持って表敬訪問してくれた。


「流石は比佐子君。平日でも八分も入りは上出来です。私が慧眼と呼ばれる理由も分かって貰えるかね」

「もう、先生ったら、分かるも。今、ここ、女性としての栄達この上無いです。ありがとう先生!」


 私は、先生斎明寺大恩に無邪気にしがみつく。

 斎明寺大恩は能役者で西庚申流宗家その方だ。壮年だが見た目は年齢不詳で、初見では踏み込めない。ただ、その役への没入感と学術的な所作から、配役その人生を演じ切る。能もこなすが俳優もこなすスケジューリングは、ただ頭が下がる。

 その八面六臂の働きも、まだまだ能楽で素敵な女性と出会う機会が少ないからね。この率直さに、末弟としては痺れる訳よ。よくぞ出会って下さいましたね。


 先生は態々、私のオフ・ブロードウェイに表敬訪問してくれた訳ではない。先生自身の西庚申流の「道成寺 五大陸公演」で、ニューヨークで鉢合わせただけだった。なんだーも。海外で出会う弟子で、伸び代があるのは比佐子君だけだと、お褒めを貰う。筆頭じゃなくて、伸び代が、まあ、事実そんなスキルしかないけど。

 私が、ゆっくり肩を下げると。先生は、おいおいと言いながら、スーツのポケットから、とても小さな包みを差し出す。ピアスかな。


「先生、ありがとうございます。舞台は、広島産のオレンジを、ニューヨークに叩き売りに来る、痛快なミュージカルだから、辛うじてピアスは大丈夫です」

「そうかな、もっと、ハッとするけどね」


 私は包み紙を3つ剥くと、小豆色の編み込まれた小さな筺が現れる。分かる。これは非常にまずい何かだ。


「先生、ご冗談を」

「その直感凄まじく、果たして、弟子は弟子たる縁かな、縁かな。そして、問いましょう。あの不思議写真は、比佐子君は誰あろうと」

「うん、まあ、そのう。私しかいないかなと、でも、」

「惜しいかな、切なかな。あれは間違いなく、五条比佐子君、君の写し身でもある。日本語に置き換えると長くなるが、西洋研究も受け入れるべきは受け入れましょう。それはドッペルゲンガーと端的にお答えしょう。はい」

「えっつ、待って、これまさか、この中に、それがあるんですか、えっつ、どうやって」

「正解、それも正解。飲み込みが早いとは良い事です」

「えっつ、私死んじゃうんですか」

「まあ、暫しお話をお聞きなさい。人間の欲望とは、律していても、分離はならぬもの、受け入れざるを得ないのです。私は日々澄みやかに生きるべしとは言ってますが、それは何が何でも我慢しなさいと言うことではありません。比佐子君は律儀に守りすぎて、反魂して、過去の恋人に会いに、遥々会いに行った。それがドッペルゲンガーの潮流です」

「まあ、ここにいる私の事は分かりますけど。このドッペルゲンガーを、どうやって捕まえたのですか」

「あい、申す。結城荘次朗とは健気な男子でございます」


 先生は、一番の笑みを讃える。唐突に結城荘次朗の名前が出てきたが、同じ能楽の西庚申流派の次男坊で個性派俳優を主に生業としている。先生のお稽古では、いつも一緒になる。まあ、私としては苦手な方に入る。

 結城荘次朗は、自ら個性派と称して、若手俳優では一目置かれる。寡黙で不器用な癖に、演技はいい楔を打つ。苦手な人物だが、はにかんだ顔を見せると、胸に込み上げるものがある。女性受けがイマイチなのは、それを中々見せないからなのよ。

 私が、もっと笑いなさいよと、強く2回釘を刺すがさっぱりだ。荘次朗は、え、なんでとも聞き返さない。


「そう、不肖の縁戚荘次朗も、仕掛りは出来る弟子です。比佐子君を捕まえましょう。さてさて、如何に荘次朗。僕が、比佐子さん好きですのお百度参りしますと。健気かな、あな愉快かな。果たして、その叶うその日の夕刻、京都臼賀茂神社にて、出会うかな、出会うかな、比佐子君のドッペルゲンガー。かしこみ、かしこみで、小豆小筺に結印致して候や。果たして無事成就たる」

「はあですよ。そう言うところ嫌だな、荘次朗。好きなら、面と向かって言うべきでしょう。いや、待って、私のドッペルゲンガーを、結印って、呼び出せるの、えっつ!」

「そう、愛あればこそです」


 あら嫌だ。身体を張って、私の為に頑張れるって、やたらめったらいるものじゃないわ。いい奴じゃん、荘次朗。


「さて、何時迄も閉じ込めては張りがなくなるので、そろそろ御霊返しをしましょうか。比佐子君、基本は出来ていますから。自ら作法を行い、心を整えましょう」


 私が、斎明寺大恩先生のお稽古で徹底的に学んだのは、あるべき所作だ。人間は自然に呼吸をする。では体幹は。その挙動、その仕草は如何に。その全ては祭礼に所以し、芸能の台詞も所作も、洗練な動きを見せる。

 私が、先生のお稽古に呼ばれたのは、単純に人柄ではなく、その所作にまとまりが見れたらしい。確かに幼い頃バレエはしていたから、体幹は出来上がってる。

 そして、その時はふーんだったが、所作のこれを徹底的に叩き込まれた。芸能は祭礼。そして陰陽も司る者である。邪気を立ち止まらせるには、印を結ぶ。これも、そうなんだなと覚えたら、いいね出来てますね。いや基準が分からない。

 そしてつい、邪気を払う所作も伝授して貰う。邪気を、掴む、取捨する。邪気を掴む故に、日頃から物忌は心掛ける事、清く正しくある事。まあ無茶な合コンは出なくなった。日々、これも未だ感触が掴めないが、あとは実践だねと、尚も基本を叩きこまれ続ける。

 これが遠因か分からないが、お稽古の発表会で、舞踊の空間把握をしっかり理解していると、知らないお偉い方々に褒められた。そして、大手事務所と物別れし、独立の際には助けて貰った。芸は身を助けるとはそんなものかなと。


 さて。私は、腹式で全ての空気を吐き出し、新たに循環させる。そして二礼すると、かしこみ。小豆小筺の蓋を取ると、うっすら赤い小さな霊体が、ふわり浮かぶ。見えるものなのか。


「結い」


 私は、その赤い小さな霊体を掴むと確信した。この勝気さ、間違いなく私だ。そして、赤い小さな霊体を、自らの胸に当てると、身体が忽ち蒸気する。すると忽ち活力が戻って来る。

 いつの頃から分からないが、夜になるとスタミナ切れ起こしていたのは、まあ30代突入したしで済ませていた。そうか反魂していたら、半身が無いとそれは疲れるでしょうし。

 そして、小豆小筺をテーブルにそっと置く。私は、両手を合わせ、より魂を身体にフィットさせて行く。律動する呼吸。それを整える事7分。ははー、と笑顔に戻ると。先生が、祝詞を明瞭に歌い、結びの印を丁寧に組む。かしこみ候。先生の所作も終えたようだ。


「流石は先生。日本一の陰陽師ですね」

「そこは五本の指でしょう。ここのやや難しいお話は、日本に帰って宴会の際にでもしましょう」

「宴会!いい、凄くいい、私も借金決済出来るから、宴会、私が持ちます」

「但し、」

「但し、ねー」


 そう、宴会ともなると呼ぶわよ、結城荘次朗。お百度参りで比佐子さん好きですを百回言ったとなると、嫌いになる要素は無い。いやむしろ、宴会冒頭にシラフの状態で、比佐子さん好きです百回を是非とも所望する次第です。はい。




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五条比佐子似の女性 判家悠久 @hanke-yuukyu

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