非ずの間

双町マチノスケ

怪談:非ずの間

 怖いというよりは……ただ不気味で、不可解で。


 今でもずっとモヤモヤしてる、そんな話。




 何年か前の夏。両親と共に、九州の田舎にある祖父母の家へ泊まりに行った時のこと。どういう成り行きだったのかは覚えてない。社会人になってからは初めての訪問で、たぶん十年ぶりくらいだったと思う。絵に描いたような大きい日本家屋である祖父母の家は、最後に行った時とほとんど変わっていないように見えた。車で行って午前中のうちに着いたあと、みんなで喋ったりテレビを見たりして。ひとしきり落ち着いて手持ち無沙汰に携帯をいじっていた時……ふと、思い出したことがあった。






 あの部屋って、どうなってるんだろう。


 祖父母の家には、この手の話によくありがちな「開かずの間」みたいな部屋があった。木製の引き戸がついている、いかにもな外見をした部屋。祖母曰く「もともと物置として使っていたけど、戸の立て付けが悪くなったせいか突然開かなくなった」とのこと。特に大事なものが入ってたわけではなかったから、そのまま放っておいてるんだそうだ。別に変なこととか不幸なことが起きたわけでもなく、ただそれだけの部屋だと聞かされていた。そして記憶が正しければ、その部屋は少なくとも最後にここに来た時点では開いてないままだった。思い出深い部屋でもなんでもないし、見に行ってどうするつもりもなかったんだけど、一旦思い出すと妙に気になってしまった。場所は何となくだけど覚えていたから、私は「トイレ行ってくる」と嘘をついて、みんながいる居間を抜け出してその部屋へ向かった。











 ──開いていた。


 ずっと開いてたんじゃないかってくらい、自然に開いていた。




 ただ……戸は開け放たれていたんじゃなくて、絶妙に中が見えないような半開きだった。まるで誰かが部屋を覗こうと開けて、そのまま閉め忘れたみたいな。祖父母の家が古い日本家屋だから全体的に薄暗いのもあって、今思えばすごく不気味な雰囲気だった。でも、その時の私は怖いというよりも「あ、開くようになったんだ」っていう気持ちしかなくて。それで……何が置いてあるんだろうっていう単純な好奇心が湧いてきて、私は隙間に顔を近づけて中を覗き見たんだ。






 ……………











「何してんの」


 私はびっくりして叫びそうになった。




 いつの間にか、祖母が後ろに立っていた。


 私は慌てて「いや、ここ開いてたんだなって。ほら、ここ物置だったけど開かなくなったんでしょ?」みたいなことを言ったと思う。でも祖母はそれを聞くとキョトンとして。


「……そんな部屋じゃないよ。そこは小さいけど座敷、ほとんど使ってないけどねぇ。たぶん、何かの拍子に開いたんでしょう」って言って、戸をぴしゃりと閉めた。




 ──あれ、そうだっけ?


 たしかに子どもの頃、祖母は「あそこは戸が開かなくなった部屋」だと言っていた記憶がハッキリとある。座敷なんて話は聞いたことがない。なにか別の記憶とごっちゃになっていたのだろうか。でも何と?あの部屋以外に、他の場所で似たような部屋があったとか似たような部屋に行った記憶はない。それに、私自身そういう類の怪談みたいなのを好んで読むような人間でもない。間違えるようなものが入り込む余地なんてないはずだ。色々と腑に落ちなかったけど、その時は何かと勘違いしたんだと無理やり自分を納得させて、その場を離れた。それからは、特に何事もなく夕方になった。みんなで晩御飯を食べて、また適当に喋ったりテレビを見たりして、そのまま寝た。






 これで話が終わりだったら、そのまま忘れちゃってたと思う。


 その夜、トイレにいきたくて目が覚めた。携帯を見ると夜中の三時くらいだった。廊下の電球をつけて便所までいって、用を足して寝室にそのまま戻ろうとした時……ふと昼間のことが気になって、またあの部屋のところにいった。戸は閉まっていた。多分、昼間に祖母が閉めてからそのままなんだろう。私は部屋の前で立ち止まって、色々と考えを巡らせた。でも、違和感は拭うことはできなかった。


 やっぱり、私の勘違いだったんだろうか。


 子どもの記憶って、曖昧だし。


 でも、たしかに……











「そこの部屋、気になる?」


 私は再び叫びそうになった。


 またいつの間にか、祖母が後ろに立っていた。


 話を聞く限り、私と同じくトイレに起きたらしかった。戻ろうとしたら廊下に私が立ってて気になって声をかけたと。でも、物音ひとつしなかった。考え込んでいて聞き逃したのだろうか。私は内心ビクビクしつつも、とりあえず祖母が昼間言ってたことに話を合わせることにした。


「……この部屋なんだっけ、座敷だっけ」


 そしたら、また祖母はキョトンとして。


「……そんな部屋じゃないよ。アンタが子どもの時よく話してたでしょう、忘れちゃった?そこは物置だったんだけど突然戸が動かなくなっちゃった部屋だよ」




「それでね。戸が開かなくなってからね、変なことが起こるようになったって話もしてたでしょう。部屋の前に黒い影が立ってたり、夜中に部屋の内側からバンバン叩く音が聞こえることがあったり。特に害はなかったから放っておいてたけど、アンタは聞いて凄く怖がってたねぇ」






 ……おかしい。昼間と言ってることが違う。


 また「開かずの間」の話になってる。しかも、今度は変な尾ひれがついてるし。私をからかっているのだろうか。でも、祖母にそんな様子は一切なかった。なにより、そんなことをするような人じゃない。私は途端に怖くなった。祖母の純粋に不思議がっている顔と、懐かしみながら話している顔が本当に恐ろしくなった。私は半ば強引に話を切り上げて、逃げるようにして寝室に戻った。




 戻る時、ちらっと振り返った。






 一瞬だったけど、はっきり見えた。











 たしかに閉まっていたはずの戸が、少し開いていた。




 布団にもぐったあとは、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されるような気持ち悪さが襲ってきた。昼間とさっきの出来事が脳裏にこびりついていて離れなくて、何が本当のことなのか分からなくなって。次起きた時には……自分の知っている他のありとあらゆることが、訳の分からないものになっているんじゃないかって。とてもじゃないけど、眠れたものではなかった。でも……ここに来るまでの長旅で疲れていたのもあって、いつの間にか寝てしまっていた。

 目が覚めた時にはとっくに朝になっていて、両親が帰る支度をしていた。夜中に布団の中でガタガタ震えていたのが嘘みたいに、穏やかで平和な朝だった。皆んなで朝食を食べて、また少し喋ったりした。それから玄関先で挨拶を済ませて、あとは帰るだけになった。




 きっと、夜中のことは夢だ。


 きっと、部屋の話も私の勘違いだ。


 そう思い込めばよかったのに。


 そのまま、帰ればよかったのに。






 どうしても、受け入れることができなかった。


 私は「居間に忘れ物をした」と嘘をついて。

 吸い寄せられるように、またあの部屋に行ってしまった。
















 ──消えていた。


 戸がなかった。いや、それどころか何もなかった。

 昨日祖母と話した時、たしかに部屋があったはずの場所には。

 ざらざらした、黄土色の土壁しかなかった。











「こんな所にいたの、何してんの」




 後ろから祖母の声が聞こえた。


 いつの間に来たんだろうか。


 恐怖で固まっていた私の身体は、操られるように祖母に向き直って。


 気がつけば口が勝手に動いて、震える声でこう聞いていた。






「ここって部屋……なかったっけ」


 すると、また祖母は昨日のようにキョトンとして。

 でも少し薄ら笑いを浮かべたような表情で、こう言った。











「……そんな部屋、最初からないよ」






 その後のことは、よく覚えていない。多分そのまま戻って、普通に両親と帰ったんだと思う。あれから祖父母の家には行っていないけど、その後なにか起こることはなかった。両親は相変わらずだし、祖父母も元気にしている。電話とかメールとかの連絡も、普通に取り合っている。でもそのことが却って、あの日の記憶をより一層異様なものにしている。結局……どこまでが本当にあったことなのか、あの部屋はなんだったのか、今でもよく分からないままだ。もしかしたら、全部が白昼夢のようなものだったのかもしれない。記憶が徐々に曖昧になってきて、そんな気さえしてくる。「もうこのことは忘れろ」ということなのだろうか。











 ……ひとつ、言いそびれていたことがあった。


 記憶が薄れていく中で、これだけはハッキリ覚えてるってこと。


 今考えれば、なんであの時なにも思わなかったんだろうってこと。


 忘れた方がいいんだろうけど、たぶん一生忘れられないと思う。




 あの日、戸の隙間から部屋を覗き込んでいた時。
















 中から数えきれないほどの目が、ずっとこっちを見てた。

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