記憶考 

安江俊明

記憶考


 記憶というものが、最初記憶力がいいとか悪いとかの文脈で、幼い頃からボクの脳裏にまつわりついている言葉なのは、確かにそういう節がある。

 一橋大学教授・岩田一男先生の著作『英単語記憶術』(光文社 カッパブックス)はボクに英単語の記憶法をしっかりと植え付けてくれた有難い本であった。それ以来、記憶は小説などの執筆テーマとして三十年くらい前から自分の中にある。

 思いつくだけでも、マルセル・プルースト著『失われた時を求めて』を真似て原稿一万枚を超える超長編小説に挑戦している執筆中の作品では、登場するイギリスの情報機関・MI6のスパイが敵地に乗り込むうち後頭部を殴られ、記憶喪失に陥るストーリーを書き、中国で公安警察に追われる日本人が、仲間と共謀して公安警察隊員を一時全員記憶喪失に陥れるため薬剤を盛るシーンを書いた。

 記憶喪失と言っても、頭を強く殴られたり、交通事故で頭を轢かれたりして脳障害や異常を起こし、通常記憶が残ると思われる二、三歳の頃から後の記憶を全て失う場合と、特殊な薬剤により、ある事柄にまつわる記憶のみを抜き取られる場合があると想定し、公安警察隊は後者のケースとして描いたのである。

 二〇一六年晩夏、中国・シルクロードを訪れた際、想起したミニサスペンスを長編化した『記憶を捜す少年』ではズバリ記憶喪失の中国人少年を主人公に仕立てた。彼は敦煌・莫高窟の第五十七窟におはす菩薩が夢に現れる微かな記憶を頼りに、第五十七窟を日参し、菩薩のお陰で記憶を回復する。

 小説『非情の魔宮』では、半島で対峙する南北国家のうち、北の国に渡った歌姫が父母の仇とする北の国の主席を暗殺するために宮殿入りし、信用させるために一年間忍耐した上で、主席暗殺を実行する。その手段として使ったのは服用五日後に体内で急激に効き目を現わす特殊な毒薬である。半島で北の国と対立する南の国を裏で動かす強力な組織が首謀者であるこの暗殺事件は、暗殺実行者である歌姫とそれに手を貸した恋人の記憶を南の国で行われた手術で抜き取り、暗殺を封印した。

 最近カクヨムで募集のあった『黒歴史放出祭』では『恥ずかしい記憶』というタイトルで、キリスト教宣伝隊のあとについて行って迷子になり、暗闇を彷徨っているうちに自転車で警ら中の警察官に保護され、泣きじゃくった意地悪っ子という小学校時代の記憶を辿る小品を書いた。

 最近観た映画でも、振り返れば、アルツハイマー型認知症で記憶障害に悩む殺し屋が最後の仕事を請け負う『メモリー(記憶)』(リーアム・ニーソン主演)やゲイ男性が幼い頃交通事故で死別した両親と巡り合い、「和解」を果たすというロウファンタジー作品『異人たち』も過去の記憶にまつわる映画だった。

 生きたまま認知症で記憶障害あるいは記憶喪失になり、余生を送るのか、あるいは死んで全ての記憶を永遠に忘れ去るという形になるのか今もって分からないが、どちらにせよ、人間は死ぬまで記憶と深く関わり続ける運命にある。角度を変えれば、「記憶と記録」というテーマ立ても出来る訳で、記憶というのは間違いなく超高齢化社会における小説の大きなテーマであろう。


                         了

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