七章 誕生! ヒーロー令嬢Z!

 「あなたが見境なしにバラまいてきた愛は……無駄ではなかった」

 感極まったほたるのその呟きにかぶさったもの。それは、影だけを映す純白の薄絹の向こうから伝わってきた大気の震え。

 「おのれえ~、有象無象どもがあっ!」

 大気を振るわし、吐き出されるは怒り。

 噴き出すものは憎悪。

 自らの本拠地に攻め込まれたその屈辱が怒りと憎悪となって渦巻き、おぞましき毒素となって大気中に放たれる。その毒素を浴びて、戦闘員たちすら溶ける、溶ける、溶けていく。

 声にならない悲鳴をあげ、その全身で苦痛を訴えながら火の灯る蝋燭ろうそくのように溶けて、くずれて、床に呑まれて消えていく。

 戦闘員たちですら耐えられないほどの、おぞましき毒素。人間たちをその毒素から守っているものは、ヒーロー令嬢の圧倒的な輝きか。

 その輝きを打ち消さんとするかのように、純白の薄絹の向こうから大首領の怒りの声が飛ぶ。

 「無礼者どもめえっ! たかが人間相手と思い、手加減してやっていればいい気になりおってっ! こうなったらもう容赦はせん! コンヤ・クゥ・ハッキの全力をもって叩きつぶしてくれる!」

 その場の空気すべてを自らの肺に送り込み、真空状態を作り出そうとするかのような深呼吸。その反動として鋼鉄の塊となって吐き出された空気に込められた叫び、それは、

 「出でよ! 大仏人・禍哭代かながわ!」

 その叫びを受け、病み色の闇を割って巨大な頭部が表われる。闇の割れ目に向かって、病み色の闇が轟々と音を立てて流れ込む。滝と化した闇の流れに逆らい、浮かびあがってきたもの。それは、見上げるばかりに巨大な人体。

 「だ、大仏……⁉」

 花恋かれんはその巨人を見上げ、思わずそう呟いていた。

 そう。病み色の闇を割って表われたもの。

 それはまさに、大仏を思わせる巨人だった。

 勝利を確信した、大首領の高らかな笑い声が病み色の闇のなかに響く、ひびく。

 「そのとおり! こやつこそ惑星制圧用最終兵器を手本に開発した我が切り札! 我が婚約破力のありったけをそそぎ込んで作りあげた大仏人・禍哭代かながわなり!」

 すでにして勝利に酔いしれた大首領の叫び声。

 その声に誘われ、大仏姿の巨人は一歩、前に進んだ。ただ、それだけで大地が、否、惑星そのものが揺れ、恐怖に震えた。

 「禍哭代かながわが動き出した以上、もはやとめられぬぞ! そやつは、真に惑星規模での破壊活動を行うための怪物。我が野心が叶わなかったとき、この惑星そのものを道連れにするために用意した禁断のカードだからな! その力に踏みつぶされ、己の愚かさを悔やむがいい!」

 病み色の闇を震わせ、大首領がわらう、わらう。

 そのなかで大仏人・禍哭代かながわは一歩、また一歩と近づいてくる。

 着実に迫ってくる。

 なんと言うことだろう。

 その圧倒的な力感。

 凄まじい圧力。

 ただ、その場にいて、歩いてくる。

 それだけで、その場の空気が圧縮され、分厚い壁となって叩きつけてくる。

 もし、その身ひとつで超音速で飛行したならば、そのときに感じる空気抵抗とはこういうものか。

 そう思わせるほどの凄まじい圧力。呼吸すらできず、窒息の恐怖に襲われるほどのものだった。しかし――。

 「婚約破棄流活殺術! 嬢王会心撃!」

 その叫びと共に大気をぶち抜いて表われたるは横殴りの渦、いや、竜巻、いや、空気の姿の竜そのもの。

 竜と化した渦巻く大気が大仏人・禍哭代かながわの胸に直撃し、その巨体をグラリと揺らめかせた。

 「その技⁉ まさか……」

 おお、まさか、この世の最大の魔、究極の腐敗にして完璧なる堕落の徒たるコンヤ・クゥ・ハッキの大首領。その大首領がおののきの声をあげるときが来ようとは。

 しかし、たしかに、その叫びにはおののき、たじろぎさえする思いが込められていた。

 ズシリ、

 ズシリ、

 ズシリ。

 重い足音も高らかに、大地を揺るがし、病み色の闇の奥から表われ出ずる、それはなんとも可愛らしい女子校の制服を着たオーガ族の女子高生。

 それはまぎれもなく婚約破人のひとり、そのなかでも最強と目される一体、崩壊童ほうかいどうJKだった。

 「崩壊童ほうかいどうJK⁉」

 花恋かれんと大首領、ふたりの声が同時に響いた。

 グワッ! と、音を立てて崩壊童ほうかいどうJKは両腕を雄牛の角の形に掲げてみせる。

 得意のフロントダブルバイセップスのポーズに血の流れが荒れくるい、怒濤の勢いのパンプアップ。ふくれあがった筋肉に耐えきれず、その身を包んでいた女子校の制服がちぎれ飛ぶ。

 現役女子高生の柔肌も露わに、崩壊童ほうかいどうJKは病み色の闇に向かって叫んだ。

 「ヒーロー令嬢、花恋かれん・カリオストロ! 鬼も一八、番茶も出花。花も恥じらう女子高生、この崩壊童ほうかいどうJK、義によりて助太刀いたす!」

 「崩壊童ほうかいどうJK! きさま、裏切ったか⁉」

 大首領の純粋な怒りの声が響きわたる。

 「申し訳ござらぬ、大首領。なれど、我はヒーロー令嬢と約定やくじょういたした。我の得意お菓子であるラズベリーミルフィーユタルトのクランベリーソース和えをふるまうと。その約定やくじょうを果たすまで、ヒーロー令嬢に倒れられるわけにはいきませぬ」

 堂々たるその宣言に、ヒーロー令嬢、花恋かれん・カリオストロは思わず破顔。ウインク交じりの笑顔を贈る。

 「さすが、崩壊童ほうかいどうJKちゃん。そういう義理堅いところ、大好きよ?」

 と、語尾に?マークをつけて言ってのける。

 花も恥じらう女子高生はついつい頬を赤らめ、目を閉じてうつむいた。

 その様子を見た、すっかり視聴者ポジションに移っているほたるは両手を腰につけて、半ば感心し、半ばあきれたように呟いた。

 「かおるお嬢さま。実はかなりのたらしですね」

 崩壊童ほうかいどうJKが恋に恥じらう令嬢おとめとなったとしてもほんの一瞬。すぐに本来の戦士たる自分に戻った。

 顔をあげ、両目に力を込め、まっすぐに前を見た。大仏人・禍哭代かながわの巨体を見上げた。

 「大仏人・禍哭代かながわ。一度は、おぬしと本気で戦いたいと思っておった」

 「それは重畳ちょうじょう。実はそれがしもそう思っておった」

 「それはすばらしい。どうやら、我らふたり、運命の赤い糸で結ばれていたようだ。現役女子高生同士、楽しい女子会と洒落込もうではないか」

 崩壊童ほうかいどうJKはそう言い放ち、改めて両腕を雄牛の角の形に掲げてフロントダブルバイセップスを決めてみせる。

 「婚約破棄流活殺術奥義! ダイ王牙オーガ!」

 その叫びと共に崩壊童ほうかいどうJKの屈強な筋肉がさらにふくれあがり、巨大化する。たちまちのうちにその肉体は大仏人・禍哭代かながわに匹敵する巨人と化した。

 一方、大仏人・禍哭代かながわも戦いの儀式をはじめている。高層ビルのような太くて長い両腕を胸の前で交差させ、満月を描いて振りあげ、顔の前で回転させる。

 「大仏人、仁王面!」

 その叫びと共に大仏人・禍哭代かながわの形相が一片。慈悲の光によって衆生を導く仏の顔から、怒りをもって衆生を救う仁王の顔へと変貌する。

 そして、はじまるは巨大化した崩壊童ほうかいどうJKと仁王と化した大仏人・禍哭代かながわの殴り合い。

 大地を踏みならす足音だけで、世界そのものを破壊しようとするかのようなその戦いはまさに、神々の戦い。

 その足元では援軍に駆けつけた人間たちと、コンヤ・クゥ・ハッキの七人の婚約破人と戦闘員、そして、その他三名の戦いが繰り広げられている。

 そんななか、ヒーロー令嬢、花恋かれん・カリオストロはただひとり、その場にすっくと立っている。

 そのまわりには誰もおらず、ただそこだけが乱戦渦巻く戦場のなかで空白の無人地帯となっている。まるで、この血生臭い戦いですらヒーロー令嬢の輝きを汚すことを恐れ、自ら遠ざかっているかのように。

 花恋かれん・カリオストロは可憐な指をビシッ! と、突きつけ、純白の薄絹の向こうに潜む大首領に宣告した。

 「見なさい、大首領! これが人の世の愛。あなたがいくら愛の絆を破壊しようとしても、人と人の愛の絆は決して失われはしない。わたしたちは……」

 花恋かれんは前に突きつけた指を可憐にもちあげ、天を指し示した。

 「愛の絆と共に戦っている」

 その一声に――。

 光の届かぬはずの星の内奥、病み色の闇に支配されたその場に愛の光があふれはじめる。その輝きは可憐に広がり、病み色の闇を駆逐していく。

 その光景を前に薄絹の向こうから伝わる震え。

 それは恐怖か、

 屈辱か、

 それとも……。

 「愛の傷で結ばれたわたしたちを前に勝ち目はないわ。潔く降伏しなさい、大首領。おとなしく降伏するなら言い分ぐらいは聞いてあげるわ」

 「おのれえっ、ヒーロー令嬢!」

 怒りと憎悪、そして、屈辱とがあふれかえった言葉と共に吐き出され、影を映す純白の薄絹をバラバラに吹き飛ばした。

 「なにが愛だ! 愛など認めぬ!

 我は大首領!

 退かぬ!

 びぬ!

 かえりみぬ!

 大首領に降伏などないのだあっ~!」

 その叫びと共にちぎれ飛んだ薄絹の向こうから表われたもの。

 それは、大仏人・禍哭代かながわよりもさらに巨大な一頭のヘビ。

 いや、その姿は『一匹』とは言えても『一頭』とは言えないだろう。万の時を経た古木のように太い胴体。その先の頭部は一〇〇にわかれているのだから。

 一〇〇の頭部がザワザワとうごめくその姿。

 それはまさに一匹にして一〇〇頭、自然の掟に反する禍々しき存在だった。しかも――。

 その一〇〇の頭部の先端はすべて、一糸まとわぬ人間の女の上半身となっていた。

 そして、その胴体。内部をくりぬけば、そのまま地下鉄の通路として使えそうなほどに太く、長い蛇身には無数の傷がついている。

 高層ビルのように巨大な刃物で斬りつけられたかのようなその傷からは、常にジクジクと血膿がにじみ出ており、地面にたれて、広がって、ムクムクと盛りあがっては戦闘員の姿となっていく。

 病み色の闇と愛の光とが拮抗するその空間に、正体を表わした大首領の笑い声が響きわたる。

 しかし、その声にはもはや勝利の美酒に酔いしれた思いはない。

 その笑い声に込められていたもの。

 それは、純粋なまでの悲しみ。

 「見たか、ヒーロー令嬢。これこそ我が正体、我が本身。我こそは婚約破棄に呪われし赤子なり! 一〇〇度にわたり死に戻り、そのたびごとに婚約破棄され、断罪され、生命を失ってきた宿命の子なのだ! 一〇〇度の生のなかでいくら抗おうと運命に飲み込まれ、婚約破棄され、断罪されてきた。だから、決めたのだ! 我自ら婚約破棄の化身となり、すべての人間に婚約破棄をさせてやろうと!

 その果てに、すべての愛と絆を失った人間どもの上に君臨し、永遠に支配してやろうと!

 この身についた傷は、一〇〇度の婚約破棄によって受けた我が心の傷そのもの! その傷の痛みが、そこから流れる我が恨みの血膿が戦闘員を、そして、婚約破人を生む。我の恨みあるかぎり、コンヤ・クゥ・ハッキは不滅なり!」

 そしてまた、婚約破棄も不滅なのだあっ!

 豪! っと、音を立てて空気が震え、大首領の叫びを世界の果てまで伝えていく。そのときの惑星の震えをいったい、誰が感じとったろうか。

 しかし――。

 大首領のおぞましきその正体。

 一目見れば目が潰れ、

 ふため見れば心がむしばまれ、

 三度見れば魂までが決して救われぬ腐敗と堕落の極みに堕ちていく。

 そんな大首領の姿を前にしながら、ヒーロー令嬢の可憐な顔に浮かぶもの。それは、悲しみの表情だけだった。

 「……なんて、悲しい人」

 「なに⁉」

 「誰よりも愛深きゆえに、愛を求めつづけ、九九度の裏切りにあいながらも『今度こそ』と愛を信じ、そのために一〇〇度もの婚約破棄をされる羽目になったのね。その悲しみはよくわかる。でも!」

 と、ヒーロー令嬢、花恋かれん・カリオストロは可憐な瞳に限りない力を込めて叫んだ。

 「いくら自分が深い悲しみに囚われているからといって、その悲しみを世に広めることを許すわけにはいかない! 大首領! その話を聞いたからには、ますますもって放ってはおけない!

 このヒーロー令嬢が世のため、令嬢おとめのため、そして、あなた自身のために、あなたをとめる!」

 「ほざくな! すべては無駄なこと。歴代のヒーロー令嬢の誰ひとりとして、我を滅ぼすことはできなかったのだ! きさまもまた同様だあっ!」

 ボタボタと血膿を吐き出しつづける傷だらけの蛇身をくねらし、大首領が迫る、せまる。

 しかし、ヒーロー令嬢は動じない。

 「いいえ、大首領。わたしにならできる。なぜなら、わたしだけが歴代のヒーロー令嬢のなかで、誰からも愛されないつらさを知っているから。そして、だからこそ、自分を愛してくれる存在がいることを知っているから」

 「黙れえっ! 我を愛するものなど、どこにもおらぬのだあっ!」

 「教えてあげるわ、大首領! この世に響く愛の歌を!」

 ヒーロー令嬢はそう叫び、腕を高々と掲げて、天を仰いだ。可憐な唇がいっぱいに開き、花恋かれんにして力感に満ちた言葉があふれ出した。

 「わたしはいま! 婚約破棄との戦いを終わらせる最後のヒーロー令嬢、ヒーロー令嬢Zとなる!」

 その叫びに――。

 花恋かれんの全身を清らかなユリの花を思わせる白い炎が包みこんだ。陽炎のようにゆらめく背景に浮かびあがる可憐なる『Z』の文字。

 おお、世界よ。

 感じるか。

 星のわななきを。

 聞こえるか。

 星の泣く声が。

 それは、婚約破棄との戦いを終わらせる宿命の戦士の誕生に喜び、むせび泣く星の姿。

 いまここに、まぎれもなく、婚約破棄との戦いを終わらせるヒーロー令嬢『Z』が誕生したのだ。

 「みんな! あなたの愛をわたしにわけて!」

 両腕をいっぱいに掲げて叫ぶ。

 ほたるが、

 愛謝アイシャが、

 金夢キムが、

 望良ノーラが、

 夕海子ユミコが、

 笑美エイミが、

 結衣ユイが、

 高雅こうがが、

 美優ミユウが、

 朱玲シュレイが、

 凜花リンファ(と、凜花リンファに尻を蹴りとばされた伊達夫ダテオ・ブシードと三人の取り巻き)が、

 そして、その場に駆けつけたすべての人間たちが、その顔に愛の花を咲かせて腕を掲げた。

 そこから放たれた愛の光がヒーロー令嬢Zの身に集まっていく。吸い込まれ、ひとつになっていく。

 「ヒーロー令嬢Z! か・ん・ど・り・の舞ぃ~!」

 人々の愛をその身に受けて――。

 史上、もっとも可憐なる神の鳥は飛び立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

血戦! ヒーロー令嬢vs婚約破棄!《最終話+番外編開始》 藍条森也 @1316826612

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画