人魚の母神様は、先の見えないハッピーエンドに涙する。

Haika(ハイカ)

人魚の母神様は、先の見えないハッピーエンドに涙する。

 青く澄んだ海。

 雲が流れる空。

 温かい日差し。


 浜辺は、もうすぐ干潮を迎える。泳ぐのはそれからだ。



 クリスタルに突如封印され、異世界へ転移してから、もうどれくらいの月日が経過したのだろう?

 封印されずに転移した仲間に拾われ、クリスタルから無事、解放されて、それから――


 ヒナはそう、今日もぼんやりと大海原を見つめていた。

 いつでも泳げるよう、動きやすい軽装で、岩礁の上で静かに腰を下ろす。


 金髪青目の色白で、両親が日米ハーフの美しき女性。

 この異世界へ転移する前から、彼女は海水に当たると人魚に変身する特殊な力をもっていた。人には言えない「秘密」だった。


 現代日本で、人魚になる特異体質なんて、悪い大人に目を付けられるかもしれないから。いじめられるかもしれないから。と、父親の意向で山奥へ引っ越し、そこで大人になるまで暮らし続けてきた経緯がある。

 だけどそんな自分を、1人の男性が、伴侶として受け入れるといってくれた。

 その人もまた、誰にも言えない「秘密」があったからこそ、許した自分がいるのだろう。


 その人とは、元きた世界から、良好な関係を築き上げてきた。


 自分が、そう思っているのかも、しれないけど。



 「あら、母神様。はじめまして。お会いできてとても光栄です」


 岩礁へ、1人のハーフリング族の若い女性が、手に花を持って歩いてきた。

 潮の引いた白昼。砂浜の色と同化するように白いダリア。左手薬指の指輪の光が反射する。


 ヒナが穏やかな表情で、挨拶を返した。


 「はじめまして。母神様の逸話はご存じなの?」


 「はい。その、今日までご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした。私、ずっとケガの治療で医者に外出を止められていたのですが、最近ようやく歩けるようになりました」


 「そうだったのね。退院おめでとう」


 ヒナはこの異世界に転移して以来、先住民達から「母神様」の敬称で親しまれている。

 母なる海は生命のゆりかご。その守護神として、人魚が崇められているわけだ。


 現実世界では人魚に変身できる機会なんてないから、当然今みたいに崇められる事はなかったけど…

 まさか、この異世界で自分が神格化されるとは、思ってもいなかった。

 ヒナが自分でいうのも変な話だが、ファンタジーで「金髪美女の人魚」というありがちなイメージが偶々一致して、母神様が本当に現れたと騒がれた時は困惑したものだ。


 だけど、今となっては人の目を気にすることなく、自由に人魚へ変身できるこのスローライフも、悪くないと思っている。


「みんな、私のことを『母神様』って呼ぶけど、異世界から飛んできて突然の事だから、いまいち実感が湧かないんだ。未だに、自分が本当に『母神様』かどうかも分からない。だから、それが判明するまでは『ヒナ』と呼んでくれて構わないよ」


「ありがとう、ございます。でも、ごめんなさい。すぐに慣れるか分からなくて」


 「無理にとは言わないから、大丈夫。ところで、とても素敵な花を持っているのね」


 女性が単身この岩礁へ訪れた理由を尋ねるべく、ヒナは話題を変えた。

 白いダリアの花言葉「感謝」にちなみ、明るい理由で海を眺めにやってきたと予想したからだ。女性は、ぎこちない笑顔でヒナの横に立ち、海を眺めながらいった。



 「私、好きだった人へ、さよならを告げに来たんです」



 少し、意外な返事だったかもしれない。

 ヒナは静かにはっとなった。大海原を見つめる女性の視線が、少し、儚く感じる。


 「少し前に、この国が敵からの襲撃に遭った際、私は負傷しました。でも、辛うじて一命をとりとめた―― 彼が、助けに来てくれたお陰です。その人へ、お礼をしたく」


 女性の見つめる先に、その「好きだった人」と思しき影は、見当たらない。

 海上の構造物も、家も何もない方角。ただ広い地平線が伸びているだけ。


 もしかして―― というヒナの予想は当たっていた。


 「かの襲撃では、多くの人々が命を落としました。彼も、その1人です。自らの命と引き換えに、私に、『生きて幸せになってくれ』と」


 「そうだったの… 辛い思いをしたんだね」


 「ケガが治るまでに、時間はかかりましたが、今こうしてやっと普段通りの生活が出来る様になったのも、彼のお陰です。でも、本当に、これで良かったのかなって」


 「…その感じだと、結婚の報告、かな?」


 ヒナは、女性が左手薬指にはめている指輪について聞いてみた。


 「はい」


 そう頷く女性の頬が、ほんのり赤く染まったような気がする。女性は更に続けた。


 「でも私、その人と上手くやっていけるか、分からなくて… ごめんなさい。母神様の前で、こんな後ろ向きな話をしてしまって」


 「ううん。いいの。辛くなければ、続けて?」


 ヒナは、女性が誰かに自分の悩みを聞いてほしいのだと悟った。

 女性は照れ臭そうな表情を浮かべた。


 「その人とは、両家が決めた結婚でして。小さな村なら殆どの人と顔見知りだから、まだ受け入れられるのですが、遠方で初めてお会いした方なので、少し不安なんです」


 「遠方――」


「両親が、私がいつまでも死んだ彼の事を引きずってはならないと、見つけてくれた人なんです。もちろん、その人とは何回かお会いしてきて、とても素敵な方だとは思っているのですが… 私、何もかもが初めてすぎて、そんな両親達の期待に応えられるかどうか」


 そのケジメとして今日、この大海原へ、亡き人への別れを告げに来たのだろう。

 ヒナはそう解釈した。確認のため、彼女は質問する。


 「両親は、その方やそのご家族とお会いして、話し合った上で結婚を決めたのよね?」


 「はい。そう聞いています」


 「なら、大丈夫なんじゃないかな。あなたの為を思って探してくれたのなら、その新たにご主人になる人の事も、あなたとの相性も、ご両親はとても良く考えてくれているはずだよ」


 「そうなんですか? じゃあ…」


 「もちろん、このまま一生平坦な幸せを歩める、とも限らないけど」


 「え!?」


 女性にとっては、意外な追伸だったに違いない。

 ヒナはなお、穏やかな笑顔でこう続けた。


 「ほんのちょっと―― 本当に、ほんのちょっとだけ、夫婦の『壁』にぶつかる事はあるかもしれない。文化の違いだったり、ちょっとした言い争いだったり、いつか2人の間に出来る子供の成長につれて、親としての悩みが増えてきたりね。

 それでも『この人と一緒にいて良かった』と思える日々の方が多くなって、当時は辛かった事も、いつか笑い話として受け入れられる様になると、私は思うの。


 結婚してから、ご主人との恋愛をはじめたっていい。最初は相手を好きかどうか分からず、形だけの夫婦関係だったとしても、お互いを知る機会が多くなるにつれ、気が付けば本当に恋に落ちていた… なんて事はよくある話だよ? だから、そんなに心配しないで」


 あなたなら、きっとうまくいく。そういわんばかり、ヒナは笑顔を向けた。

 その表情から、女性より遥かに恋愛を熟知しているような余裕がある。しかも相手は母神様。そんな御方からの有難いお言葉を頂いたとばかり、女性は悔い改めた。


「…はい。ありがとうございます! 私、今のでとても心が軽くなりました。もしかしたらきっと、ずっと誰にもこの事を言えなくて、モヤモヤしていたのかもしれません」


 「そう? なら良かった」


 「改めて、決心がつきました。ここで、今は亡き彼に別れの祈りを捧げます。約束通り、『生きて幸せになってみせる』と」




 それからの数十秒間。

 女性は花を持ったまま、静かに祈りの手を捧げた。

 波の音が聞こえる岩礁の上で、瞼を閉じ、心の中で「別れ」の挨拶を告げる。


 ヒナも、ここは静かに大海原を見つめた。

 全ての生命の“はじまり”―― その者達が遺してきた言霊が、まるで、波の音となって話しかけているかのよう。




 「ありがとうございました。では、そろそろ新居へ戻る時間なので。失礼致します」



 女性は祈りを終えると、ヒナに一礼し、この場から去っていった。

 ヒナは最後に「お幸せに」と告げる。


 この時の女性の顔は、心の内にあった大きなわだかまりが取れ、最初よりもスッキリとした笑みを浮かべていた。


 これでよかったのだろう。ヒナはそう、内心ホッとしたようであった。


 「いつか、笑い話になる―― そうだよね。私もいつか、“彼”との思い出が笑い話に」



 ヒナは岩礁からゆっくり立ちあがった。

 岩の間を川のように形成する、僅かな白い砂を足場に、少しずつ海水へと足を進めていく。太陽の光を浴びた水面みなもが、ヒナの全身に、ゆらゆらと反射して映った。


 絹の様に滑らかな肌が、みるみるうちに、青くて光沢のある魚の皮膚へと変わっていく。


 耳はヒレ状に変化し、歯はサメのように鋭く変形し、足は尾ヒレの如く癒着していった。

 海水によって、体が変質し、人魚の姿へと変身したのであった。



 「ふぅー」


 ざぶん、と、小さな水しぶきが舞う。

 ヒナが海中へ潜り、立派に変化したヒレを使い、すいすいと大海原を泳いだ。


 熱帯魚が群れを成して泳ぐ姿。揺れる昆布に、色鮮やかなサンゴ礁。

 途中には… カップルだろうか? ウミガメが2匹横並びになって、泳いでいる。


 あんな風に、周りの目を気にせず、好きな人と寄り添っていけたらいいのに。と。


 「――。」


 ヒナの表情が、少しだけ、悲しそうであった。

 下唇が、僅かに震えている。



 ヒナは―― 自分でも、良く分かっているのかもしれない。


 こうして毎日のように、人魚の姿になっては、海へ潜る本当の「理由」を。



【完】

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