【09】事件―その後
翌日県警本部において、
彼は既に
「まずお訊きしたいのは、あなたは何故、岡部綾香殺害について、裁判の途中で容疑を認めたのかという点です。
取り調べの最中、あなたは一貫して容疑を否認していた筈だ」
竹本はその質問に一瞬戸惑ったようだったが、やがて諦めたように口を開いた。
「脅されたんです」
「脅された?誰にですか?」
「はっきりとは分からないのですが、恐らく<雄仁会>という暴力団だと思います」
「分からないとは、どういうことでしょう?」
「直接僕にそのことを伝えたのは、澄香でした。
相手は僕と澄香の関係を知っていて、僕が綾香殺しを認めないと、次は澄香を殺すと脅されていると言ったんです。
澄香に助けて欲しいと泣いて頼まれて。
僕は仕方なく罪を認めました。
彼女まで失う訳にはいかないと思ったんです。
まさか澄香が、綾香殺しに関わっていたとは思わなかったから」
そう言って竹本は沈痛な表情で俯いた。
「どうしてそのことを、警察に訴えなかったんですか?」
その言葉を聞いた竹本は、少し顔を歪める。
「取り調べ中に、まったく僕の言い分を聞いてくれなかった警察を、どうやって信じろと言うんですか」
彼のその恨み言には、鏡堂も納得できる部分があった。
当時の捜査一課長によって、竹本を犯人とする捜査方針が強引に進められていたことは、彼もよく知る事実だったからだ。
そしてその過程で、当時の相棒だった
鏡堂は胸の奥で眠る微かな傷が、竹本の言葉で少し疼くのを感じた。
「それに、澄香から言われたんです。
彼女を脅していた連中が、警察に助けを求めても無駄だと言ってたって。
この県を牛耳っている人がバックに付いてるから、警察を押さえるのなんて簡単だと」
その言葉を聞いて、鏡堂は頭に血が上るのを感じた。
――朝田正義は、どれだけの闇をこの町にばら撒いたんだ。
しかし鏡堂は、冷静になれと無理矢理自分自身に言い聞かせると、質問を変えた。
「分かりました。
それでは次の質問に移ります。
あなたは最初の事件、
その質問に、竹本は首を横に振る。
「いえ、後で澄香、いえ綾香に聞いただけです」
「そもそもあなたは、どのようにして岡部綾香に支配されたんですか?」
「分かりません。
僕が刑務所を出た時、澄香が迎えに来てくれたんです。
そしてそのまま、彼女の名義で借りたアパートで、一緒に暮らすようになった。
最初は澄香が綾香に支配されているなんて、全然気づかなかったんです。
でも一緒に暮らしているうちに、いつに間にか綾香に支配されて、逆らえなくなっていた。
怖かったです。
初めて澄香の口から、綾香の声を聞いた時は。
自分というものがありながら、妹の澄香と関係していたことを、彼女は酷く怨んでいた。
その恨み言を、澄香の口から聞かされるんです。
たまったもんじゃなかった」
そう言って竹本は顔を伏せた。
その時の恐怖を思い出したのだろうと、鏡堂は同情の目を向ける。
しかしその時、取調室の壁際のデスクで記録をとっていた
「あなたは何故、岡部綾香さんと付き合っていながら、妹の澄香さんと関係を持つなんてことをしたんですか?
それがなければ、二人ともあんなことには、ならなかったかも知れないじゃないですか」
その言葉に竹本は、少し怯えたようにたじろぐ。
――女性の立場からすれば、許せないことなんだろうな。
鏡堂も天宮の剣幕に少し驚きながら、そんなことを思った。
「あの頃の綾香は、もうかなり常軌を逸していたんです。
スタジアムの反対運動にのめり込み過ぎて、周りが全く見えていないようでした。
生活のすべてが、反対運動に注がれていて。
僕にも澄香にもそれを強要するくらい、過激になっていました。
運動に参加していた他の人たちも、かなり引いていたと思います。
僕はそんな彼女を、何とか普通に戻そうとしたんですが、無理でした。
まったく聞く耳持たないという感じでした。
それで僕も澄香も疲れちゃって。
お互いを慰め合っているうちに、何となく関係を持つようになっていたんです。
でも澄香が、綾香を殺そうとするなんて思いもよりませんでした」
最後は消え入りそうな声で、竹本は呟くのだった。
それを聞いても天宮は不服そうだったが、それ以上は口を挟まず、パソコンに目を戻す。
その様子を見て鏡堂は、竹本に次の質問を投げた。
「瀬古慎也の事件や、富〇町の事件、あの
「瀬古さんという方のことは知りません。
あのビルの事件も、僕は後から知ったんです。
あの時僕と澄香は別行動をしていて、澄香が攫われた現場にはいなかったんです」
「岡部澄香だけが攫われたというのは、事実だったんですね?それから?」
「僕は澄香、いえ、綾香に後からあのビルに呼び出されたんです。
行って見たら、もう全員殺された後でした。
びっくりしましたよ。
床に大勢の死体が転がっているんですから。
澄香はまだあの時、自分の意識を保っていたから、恐怖でぽろぽろ泣いていました。
でもその口からは、綾香の笑い声が聞こえるんです。
僕はその様子が恐ろしくて、その場から逃げ出したくなりました。
でも既に綾香に支配されていたので、彼女の言うがままに、刑事さんに連絡したんです」
「何故岡部綾香は、わざわざ私たちを現場に呼び出すようなことをしたんですか?」
「澄香が連れて行かれるのを誰かに見られているかも知れないので、捜査を混乱させるんだと言っていました。
フードを頭に被った男というには、自分がその前の事件の時に、その恰好をしていたことから思いついたんだと思います」
「そして昨夜の事件の時に、私たちを呼び出したのもあなたですね?」
鏡堂は竹本に最後の質問を投げる。
「はい、申し訳ありませんでした。
でも、どうしても綾香には逆らえなくて。
綾香はあのビルの事件の時に、刑事さんの心を読んだと言ってました。
そしてあなたが、僕や澄香に疑いを向けていると知ったんです。
せっかく捜査を混乱させようとしたのに、失敗したと怒ってました。
なので先手を打って、刑事さんを殺すと言っていたんです。
だからあの日、病室に見張りの警官の方を呼び込んで、綾香が声を使って気絶させて、病院から抜け出したんです。
後は、刑事さんがご存じの通りです」
そう言って俯いた竹本は、消え入りそうな声で鏡堂に訊く。
「僕はやはり、何かの罪に問われるんでしょうか?」
「罪に問われるかどうかは、私には判断出来ません。
あなたから聴いた内容を持って、送検するかどうかを、決めることになると思います。
そう言いながら、鏡堂は思った。
――こんな話を検察が信用するとは、到底思えんな。
そして鏡堂の答えを聞いた竹本は、ぽつりと呟く。
「やはりそうですか。
僕は仮釈放中だから、有罪になったら刑務所に逆戻りですね。
あの姉妹に引っ掛かってしまった、僕の運が悪かったんでしょうね」
その言葉を聞いて激高しそうな天宮を、鏡堂は眼で制する。
そして制服警官を呼ぶと、
彼が部屋を出て行くのを見送った鏡堂は、まだ不服そうな顔をしている天宮を嗜める。
「そんなに怒るな。
奴も無実の罪で服役していたんだ。
察してやれよ」
それに対して天宮は、「別に怒ってません」と言って、パソコンに向かった。
――最近こいつ、やたらと自分の感情を表に出すようになってきたな。
天宮と最初に出会った、<雨男>事件の頃を思い出しながら、彼はそんなことを考える。
そしてあることを思い出した。
「そう言えばお前、昨日あの猫を<タッちゃん>て呼ばなかったか?」
それを聞いた天宮は、あからさまに「しまった」という表情をしながら答えた。
「そんなこと言いましたっけ?」
「誤魔化すんじゃないよ。
俺ははっきり聞いたぞ。
お前まさかあの猫に、<タツヤ>なんて名前をつけてないだろうな」
そう問い詰められた天宮は、狼狽え気味に反論する。
「別に私が猫にどんな名前を付けようと、私の勝手じゃないですか。
わたし、藤〇竜也さんのファンなんです。
だから、そこから名前を採ったんですから、変な誤解しないで下さいね」
そう言って不貞腐れたような表情をする彼女を見て、鏡堂は頭を抱えそうになった。
***
スタジアムの事件があってから、二か月が過ぎた、ある日曜日。
天宮於兎子は非番を利用して、
表向きの訪問目的は、彼女が<タツヤ>を連れてきて、<鬼哭>から自分と鏡堂を救ってくれた礼を述べるためだった。
しかし本当の目的は、ずっと気になっていたことを桜子に訊きたかったからだ。
黒衣の占い師は、相変わらず背後の黒い緞帳に溶け込むようにして、端然と座っていた。
そして礼を述べる天宮に向かって、微笑を浮かべながら訊いた。
「何か気に病んでおられることが、おありのようですね。
よろしければ占わせて頂きますが、いかがでしょう?
もちろん天宮様から、お代を頂戴するようなことは致しませんから」
そう言われた天宮は、少し躊躇しながらも彼女の提案を受け入れる。
「いえ、料金は支払いますので、占って下さい」
それを聞いた桜子は、式盤に手を翳すよう天宮に言って、彼女の手に自身の手を重ね合わせた。
暫くそうした後、手を戻すと、桜子は静かな口調で天宮に語りかける。
「なるほど、あなた様の<雨神>と、あの猫の<
それはご尤もです。
一般に火と水は相克関係にありますから。
しかし天宮様とあの猫の、依り代同士の相性が非常に良好ですので、それほど心配なさることはないと思います。
おそらくあの猫に付けたお名前が、水火の間の相克を緩和しているのでしょうね。
天宮様と鏡堂様のご関係と、名前を通してよく馴染んでいるように、お見受けします」
そう言って嫣然と笑う桜子を見て、天宮はホッと胸を撫でおろした。
そして彼女が料金を財布から取り出して手渡したその時、外で「パン、パン」という音が鳴り響く。
その音を聞いた天宮は、反射的に拳銃の発射音だと悟る。
そして桜子に向かって、「ありがとうございました」と早口で例を言うと、<占い処>から飛び出して行った。
その後姿を眼で追いながら、六壬桜子は背筋が凍るのを覚えた。
――今外で、強い力が解き放たれたような。
――何か途轍もない災厄が起こるかも知れませんね。
そう思い、桜子は顔を曇らせるのだった。
了
きこくー鏡堂達哉怪異事件簿その四 六散人 @ROKUSANJIN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます