【08-3】事件の結末(3)
澄香は相変わらず涙を流し続けている。
それを見た鏡堂は、澄香の中にいる岡部綾香に問いかけた。
「あんたの妹は、どうしてさっきから涙を流してるんだ?」
『この糞女はね、ちゃんと意識はあるのよ。
魂を支配されているから、私の命令には逆らえないけどね。
だから悔しくて泣いてるんじゃないの?
いい気味だわ。
それは瞬も同じよ。
こうやって罪の意識に怯えてるの。
私を捨てた罰よね。
刑事さんもそう思うでしょう?』
その余りの残酷さに、鏡堂と天宮は言葉を失ってしまった。
しかし岡部綾香の声は、楽しそうな色合いさえ帯びている。
『私は殺されてから8年間、ずっとこの糞女の魂の中で、ひっそり耐えていたの。
いつか復讐の機会が巡って来るだろうって。
そうしたらね、いつの頃からか私の魂の力が強くなるのを感じたの。
それは日に日に強さを増していったわ』
――
綾香の言葉を聞いて、鏡堂は咄嗟に思った。
『そしていつしかこの糞女の魂を支配して、こいつの口から私の声を出せるようになったのよ。
それと同時に、私の声が人を狂わせることを知ったの。
嬉しかったわ。
だってこの力を使って、私を殺した連中に仕返し出来るんだもの』
声の独白は続いた。
それを聞きながら、鏡堂は何とか岡部綾香の意識を逸らすことが出来ないか、考え続けていた。
それが無駄だと分かっていても、そうせざるを得なかったのだ。
『もう一つ私にとって幸運だったのは、私と同じように悔しい思いをして死んだ人の魂が集まって来て、私を助けてくれたこと。
その人たちは協力を得て、私の声の力が途轍もなく強化されたのよ。
相手を狂わせるだけじゃなくて、一瞬で殺せるくらいに強くなったの。
そのことを知ったのは、小谷の奴を殺した時よ。
どうして初めに小谷を狙ったかって?
だってこの糞女の記憶には、あいつのことしか残ってなかったから。
最初は私、あいつを狂わせるだけで済まそうと思ってたの。
でもあいつの顔を見たら、急激に怒りが込み上げて来て、思わず叫んでいたのよ。
《きゃあああ》って。
そうしたら、その場にいた子分もろとも死んじゃったのよ。小谷の奴。
嬉しかったわあ。
小谷の魂から聞いた情報で、私を殺した連中の名前も素性も分かったし。
後は殺すだけじゃない』
その時鏡堂は、
先程まで流し続けていた涙も、今はもう乾いている。
『あら、この糞女。
とうとう壊れたみたいね。
詰まんないわ。
こいつは私の意のままだから、まあ、いいけどね。
瞬の方は、まだまだ持ちそうね』
そう言いながら
もはや心まで、姉の綾香の亡魂に支配されてしまったようだ。
「あんたはこれから、どうする積りだ。
もう復讐する相手はいなくなったんだろう?」
鏡堂は亡魂の器に過ぎなくなった、岡部澄香の抜け殻に向かって訊いた。
その声には怒りよりも、姉の怨念の対象となった、目の前の女性に対する憐憫の情が込められている。
『復讐は終わってないわ』
しかし岡部綾香からは意外な答えが返ってきた。
「何を言ってるんだ。
あんたを殺した連中は、もはや死に絶えただろうが」
そう言い募る鏡堂に、澄香の顔をした綾香は嘲笑を浮かべる。
『あなた、私が何故殺されたか忘れてしまったの?
この馬鹿げた建物の建設に反対したからよ。
でもこの無意味なコンクリートの塊は、出来上がってしまった。
あの美しい銀杏並木を、根こそぎ切り倒してね。
何て愚かなんでしょう。
それを止められなかった奴らなんか、生きてる意味がないじゃない。
そう思うでしょう?
だから私はこの力を使って、この町の連中を根こそぎ殺してやるわ。
あの銀杏並木のようにね。
幸い私には、見方をしてくれる魂たちが沢山いるの。
この人たちも皆、この町の誰かを憎んでいるわ。
だから皆で協力して、この町をぶち壊してやるのよ』
「何を馬鹿なことを言ってるんだ!
そんなことは絶対させんぞ!」
鏡堂が叫んだ時、後ろから天宮が彼の服の袖を強く握りしめた。
彼女が<雨神>を発動させようとしていると咄嗟に感じた鏡堂は、振り向いて止めようとする。
天宮の考えは、岡部綾香に筒抜けであると考えたからだ。
そして彼の考えは的中した。
天宮が突然耳を塞ぐようにして、その場にしゃがみ込み、苦しみ始めたからだ。
「貴様、こいつに何をした!?」
絶叫する鏡堂には聞こえなかったが、彼女は今、ある亡魂の声に
それは昨年亡くなった<雨男>、
<雨男>事件の際に、自らが降らせた雨水の中で溺死した富樫は、強い恨みを抱いた亡魂として彷徨っているうちに、この地の瘴気を受けた。
そして岡部綾香の亡魂に呼び寄せられて、澄香の魂の中に宿ったのである。
『於兎子、於兎子、於兎子、於兎子、…。
お前のせいで、お前のせいで、お前のせいで、…。
お前が親父を殺したせいで、母さんは苦労して死んだんだぞ。
お前が親父を殺さなければ、母さんは死ななくて済んだんだ。
僕も死ななくて済んだんだ。
全部お前のせいだぞ。
分かってんのか?この親殺しが。
親殺し、親殺し、親殺し、親殺し、…。
お前も死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、…』
その声は天宮が耳を塞いでも、僅かな隙間から入り込んで、彼女の魂に直接響いて来るのだった。
いつ果てるとも知れないその怨嗟の声に、彼女の精神は崩壊しつつあった。
その様子を、薄ら笑いを浮かべて見ながら、岡部綾香の声は鏡堂に向かって宣告する。
『刑事さん。この方が、あなたに聞いてもらいたいことがあるそうよ』
その瞬間、鏡堂の耳にある男の声が聞こえてくる。
『鏡堂さん、何で僕を殺したの?
何で?何で?何で?何で?何で?何で?
僕はあんたに何もしてないじゃん。
なのに何で?何で?何で?何で?何で?何で?
熱かったよ、あの火。
苦しかったんだよ。
何で僕に、あんな酷いことしたのさ?
何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?』
「お前にそんなことを言う資格があるか!
お前に殺された畑野さんや生田さんは、もっと苦しい思いをしたんだぞ!」
耳を塞ぎながら鏡堂は、見えない赤松に怒りをぶつける。
しかし返ってきたのは嘲笑だった。
『あはははははは、ばっかじゃないの。
そんなのあんたに関係ねえだろうが。
あんた、あいつらの親でもねえだろう。
それよりも、何で僕にあんな酷いことしたんだよ?
説明しろよ。説明してみろよ』
その戯言に苛まれながら、鏡堂は天宮を見た。
彼女は地面に倒れ、白目をむいて苦しんでいる。
――不味いな。このままでは天宮が
そう思った鏡堂は、歯を食いしばって岡部澄香の抜け殻に向かって進み出そうとした。
すると、それを察したように、澄香の口が開く。
――不味い。<鬼哭>を発動させるつもりだ!
その時だった。
岡部澄香の体を、薄赤い靄のようなものが、揺らめきながら包んでいった。
そしてその全身をすっぽりと包み込んだ瞬間、眩い閃光を放って発火したのだ。
<
鏡堂が周囲を見回すと、暗闇から鮮やかな茶虎模様の猫が姿を現す。
猫はゆっくりと天宮に近づいていった。
彼女は既に意識が戻ったらしく、「タッちゃん」と言いながら猫を抱き上げるのが見えた。
彼女に纏わり付いていた亡魂も、赤松俊樹の亡魂も、そして岡部綾香の亡魂も、岡部澄香の体とともに燃え尽きてしまったらしい。
「どうやら間に合ったようですね。重畳です」
その時<タツヤ>が現れた暗闇から声がした。
声に続いて、黒衣を纏った影が、忽然と姿を現す。
近づいてきた彼女に向かって、鏡堂が声を掛ける。
「どうしてあなたがここに」
すると桜子は、微笑を彼に向けた。
「わたくしの知人の風水師から、本日ここで<鬼哭の器>と暴力団の皆さまが相見えるとの情報を聞いたのです。
風水師はどうやら、その暴力団にすり寄って、何やら画策しているようですの。
困ったお方です。
わたくしは、そのお話を聞いて、ふと予感めいたものがありましたので、僭越ながら鏡堂様と天宮様を占わせて頂きました。
すると卦が<凶>と出ましたので、微力ながら何かお手伝いしようかと思いましたの。
されどわたくしの力では、<鬼哭の器>を制圧することは叶いません。
そこで駆け付けるべきか躊躇しておりましたところ、偶然その<火の神>の依り代と巡り合ったのです」
「ではあなたが、その猫をここまで連れて来てくれたんですね?」
鏡堂の問いに、黒衣の占い師は笑みを浮かべながら肯いた。
そして複雑な表情を浮かべる鏡堂に、問いかける。
「何か、お心に障りがございますか?」
「いや、結局この女性、岡部澄香を死なせてしまった。
別にあなたやあの猫を責めている訳ではないし、実際私と天宮は助かったのだが、他に方法はなかったかと、今更思っているだけです」
その言葉を聞いた桜子は、憐憫の表情を浮かべる。
「鏡堂様のお立場であれば、そうお思いになることは、重々理解できます。
しかしながら、<鬼哭の器>となり果てた者は、やがて己の魂を失い、亡魂の集う器そのものになると聞き及んでおります。
そうなった者は、世に害をなすのみの存在になり果てるかと。
果たしてそのような者が、人として生きていると言えますでしょうか?」
鏡堂には、それに返す言葉が見つからなかった。
涙を流して苦しんでいた岡部澄香は、最後は己を失くしていたのだ。
そして鏡堂は、目の前に横たわる惨たらしい焼死体と、その横で正体を失くしたように座り込んでいる
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