【08-2】事件の結末(2)

『きゃああああああああああああああああ』

その声を聞いた瞬間、鏡堂達哉きょうどうたつやは意識が遠くなるのを感じた。

隣を歩いていた天宮於兎子てんきゅうおとこが、その場に倒れ込むのが眼に入る。


彼は路面に膝をついて、何とか意識を失わずに堪えたが、すぐには体を動かすことが出来ない。

――あれが<鬼哭>なのか?

――何というおぞましい声なんだ。

――天宮は大丈夫なのか?


数分経って漸く体を動かせるようになり、立ち上がった鏡堂は、まだ路上に倒れたままの天宮の背中を持ち上げ、声を絞り出す。

「大丈夫か?しっかりしろ」


その声に応えて、天宮が薄っすらと目を開けた。

「鏡堂さん」

それを見た鏡堂は、ホッと胸を撫でおろす。

やがて天宮は地面に手をついて、起き上がろうとするが、まだ体に力が入らないらしく、その場に座り込んでしまった。


「お前は歩けるようになるまで、ここでじっとしていろ。

歩けるようになったら、すぐに車に戻って立ち去るんだ。

いいな?」


「鏡堂さんは?」

立ち上がろうとする鏡堂の腕を掴んで、天宮がか細い声で訊いた。

「俺は向こうの様子を確認してくる」

そう言って天宮に笑いかけると、鏡堂は彼女の腕をそっと外して立ち上がった。

そしてまだ覚束ない足取りで、10番ゲートを目指して歩き出す。


あれから一切の音は止み、周囲は再び静寂に包まれていた。

そして鏡堂が10番ゲートに辿り着く頃には、漸く体に本来の力が戻っていた。


そこで彼が眼にしたのは、地面に倒れ伏した十数人の男と、彼らを見下ろしている

岡部澄香おかべすみかだった。

彼女の隣には、竹本瞬たけもとしゅんが、彼女に額づくように控えていた。


――岡部澄香が<鬼哭の器>だったのか。

スタジアム外周の灯りに照らされた岡部は、何故か涙を流していた。

そして隣に跪いた竹本も、手で顔を覆っている。


『漸く来てくれたのね?刑事さん。

待ってたわよ』

その時岡部澄香の口から発せられたのは、先程聞いた悲鳴と同じ種類の、世にもおぞましい声だった。


よく見ると彼女の口は開いたままで、まったく動いていない。

開いたままの口から、その声が聞こえてくるのだ。

それは澄香の中にいる別の者の声が、彼女の口を通って出てきているようだった。


「君は、岡部澄香さんじゃないのか?」

鏡堂は口を開いたまま涙を流し続けている、その女に質した。

彼の問いに答えたのは、やはり悍ましい声だった。


『この糞女は澄香よ。

でも私は綾香あやか


この糞女のせいで殺された、こいつの姉よ。

知ってるでしょ?刑事さんも』


「綾香?岡部綾香か?8年前に亡くなった」

声の答えに鏡堂は驚愕する。


『そうよ。8年前にそこに無様に転がってるヤクザどもに殺された、岡部綾香よ』

「その連中は<雄仁会>の組員なのか?

あんたが殺したのか?」


『そうよ。私が叫んで殺してやったのよ。

私の叫び声はね、こうやって誰でも殺せるのよ。


あなたも見たでしょう?

毒島とかいうチンピラも、瀬古とかいう屑も、小谷とかいうヤクザもね。


そしてそこに転がってる鶴岡とかいうヤクザも、皆私を殺した一味なの。

だからこの声の力を使って、復讐してやったのよ』


その声はとても楽しそうだった。

岡部澄香の泣き顔との対照が、声の悍ましさを一層強調しているようだ。

鏡堂は背筋が寒くなるのを覚えた。


「8年前に一体何があったんだ?」

辛うじて絞り出した彼の問いに、声のトーンが怒りに変わった。

『私にあの時の話をしろと言うの?

あの恐ろしくて、悔しくて、悲しかったことを思い出せと?』


しかし声はすぐに鎮まる。

まるで自分の感情を持て余しているかのようだった。

『ふん、まあいいわ。

私が8年前に、この下らない建物の建設反対運動をしてたのは、知ってるでしょう?』

鏡堂は無言で肯く。


『本当に腹が立ったわ。

あの美しい銀杏の木を切り倒して、何の意味もないコンクリートの塊を造ろうなんて。

しかも自分たちが儲けるためだけに。


そんなこと許せるはずがないじゃない。

あなたそう思わない?』


そう問いかけながらも、声は鏡堂の答えを待たずに語りだした。

声自身が自分の声に酔っているようだった。


『瞬はね、最初は私の考えに賛成してたの。

でも途中からついてこれないとか言い出して。


しかもよ。

この糞女の澄香が、瞬にちょっかい掛けてきたら、あっさりそれに乗ったのよ。

信じられる?』


声を発する澄香自身を罵りながら、声は徐々に興奮し始める。

口を開けたままの澄香は、苦しそうに涙を流し続けていた。

その痛ましい光景は、この世のものとは思えなかった。


『そしてこの糞女は、私を消そうとしたの。

私から瞬を奪うために。


こいつ何をしたと思う?

あの小谷とかいうヤクザに持ち掛けて、私を殺させたのよ。

実際に私に手を掛けたのは、そこに転がってる鶴岡と、この間殺した毒島だったけどね』


声の興奮はピークに達しようとしていた。

しかし鏡堂は冷静さを取り戻している。

――どうすればあの悲鳴を回避して、この化け物を止めることが出来るだろうか?

――声帯を潰すしかないのか?

――そもそもこの声は、澄香の声帯を使って発せられているのだろうか?


『でもこの糞女の計画は、結局ヤクザどもに利用されただけだったの。

愚かよねえ。

自分の姉を殺そうとするからよ。


あの瀬古とかいう屑とヤクザどもはね、反対運動が思いの外盛り上がっているのを、苦々しく思っていたのよ。

だから何か事件を起こして、その空気を変えようとしてたの。

その時この糞女が私を殺すよう持ち掛けてきたものだから、連中にとっては渡りに船だったようね。


でもこいつにとって誤算だったのは、連中が瞬を犯人に仕立てたこと。

だって少し考えれば分かるじゃない。

連中が直接私を殺したことが世間に知れたら、反対運動の火に油を注ぐようなものでしょう?』


「綾香さんか。

あんたはどうして、そんな具体的なことを知ってるんだ?

あんたには知り様のない情報も、混じっているような気がするんだが」

『小谷を殺す直前に、奴の魂に直接聞いたのよ。

だから確実な情報よ』


その答えを聞いた鏡堂の顔に、驚愕の色が浮かぶ。

――不味いな。それが事実なら、こいつには俺の考えもすべて見通せるということか。

――だとすると、こいつを攻撃しようとしても、すべて見透かされるということか。


『その通りよ。

あなたの考えなんかすべてお見通し。

だから無駄なことは考えないことね』

予想通りの言葉に、鏡堂はほぞを咬む。


『今の私なら、あなたの魂を支配することだって出来るのよ。

この瞬のようにね。


あなたが受け取ったIMは、私が瞬に命令して出させたの。

あなたは色々と知っていそうで邪魔だったから、死んでもらおうと思って。


あなたの相棒の女刑事も来たみたいだから、丁度よかったわ。

まとめて殺してあげるわね』


その言葉に鏡堂が振り向くと、そこには青い顔をした天宮が立っていた。

「鏡堂さん」

「お前、何しに来たんだ!

車で立ち去れといっただろう!」

「でも…」


「まあ、お熱いことね」

その様子を見た岡部澄香の口から、哄笑が鳴り響く。


それを聞いた鏡堂は、心の中で決意を固めた。

――何とか天宮だけでも逃がさなければ。


しかし彼のその決意も、岡部綾香に見透かされていた。

『分からない人ね。

無駄だと言ったでしょう』

彼らが置かれた状況は、絶望的だった。

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