【08-1】事件の結末(1)

「鶴岡さん、あの胡散臭え野郎は誰なんです?」

舎弟に訊かれた鶴岡康夫つるおかやすおは、組長の部屋から出てきた地味なスーツ姿の男を横目で睨んで顔を歪める。


「あれは高遠とかいう野郎だ。

<風水師>とか名乗ってる、インチキ臭い奴だよ」

「風水師?何ですそれ?」

「俺もよく知らないが、占い師の類じゃねえのか。

姐さんが嵌っちまってな。

最近は組長まで、手懐けられてるみてえだ」


そう言って鶴岡はさらに険しい表情を造った。

彼は半ぐれ集団<阿奈魂蛇アナコンダ>の元リーダーで、現在は<雄仁会>の幹部の一人だ。


元々<阿奈魂蛇>は<雄仁会>の傘下組織で、二年前に組長の盃を受けて直参組員になったのだ。

そして<雄仁会>の一員になって以降も、<阿奈魂蛇>への影響力はしっかりと残していた。

<阿奈魂蛇>時代からの集金システムも、今尚しっかりと握っていたのだ。


鶴岡にとっては、<力>イコール<金>であった。

今時、他組織との抗争で力を示してのし上がるなどという方法は、彼に言わせれば最低の手段で、そんなものにしがみついている古参幹部は、軽蔑の対象でしかなかった。

これからのヤクザは、いかに暴対法を潜り抜けて金を稼ぐかで決まるというのが、鶴岡の信念だったのだ。


実際彼の集金能力は組内では頭抜けていて、そのおかげで組長の覚えも目出度い。

その結果、組に入って僅か二年で、若頭補佐の地位にまでのし上がることが出来たのだ。

そのことをやっかむ古参幹部が多いことも認識しているが、気にも留めなかった。

そんな連中は、やがて淘汰されて行くのが眼に見えていたからだ。


しかし最近、彼の集金能力が危機的状況に陥っている。

資金源である、<阿奈魂蛇>が壊滅状態になってしまったのだ。

彼の後を継いでリーダーになった毒島洋ぶすじまひろしと主要幹部たちが、何者かによって殺害され、メンバーがバラバラになったのが原因だった。


そして組織を立て直そうにも、殺人事件に絡めて警察の大々的な捜査が入ってしまったため、今は手を付けられない状態だった。

当面の組への上納金は確保しているが、近い将来ジリ貧になるのは眼に見えていた。


そんな鶴岡の状況を、面白がって見ている古参幹部たちも多い。

出世争いで彼に後れを取った逆恨みだというのは分かっているが、だからと言って、組内に庇ってくれる人間が殆どいない彼には、どうすることも出来ないのだ。


「このまま放っとく訳にもいかねえだろ。

<阿奈魂蛇>潰しに掛かってる奴からは、お前がきっちりケジメ取らなきゃな」

事情を報告した時、組長からはそう言われてしまっている。

そんなことは言われるまでもないのだが、しかし相手が誰なのかさえ分からない状態だった。

そういう訳で、鶴岡の苛立ちは日々募る一方だったのだ。


その時彼の携帯電話が鳴った。

インスタントメッセージが入ったようだ。

鶴岡がスマホを見ると、IMは死んだ毒島の携帯電話からだった。


――毒島を殺った野郎からか?

急いでIMを開くと、短いメッセージが書き込まれている。

《今夜12時、<フォーゲートスタジアム>10番ゲート前》


メッセージを読んだ鶴岡は、怒りに任せてメッセージを返した。

《てめえ何もんだ、こんなことしてタダで済むと思ってんのか》

しかし返事は返って来ない。


「鶴岡さん、どうしたんです?」

彼の様子がただ事でないことに気づいた舎弟が声を掛けても、返事すらしなかった。

鶴岡の顔は、怒りで真っ赤に膨れ上がっている。

――見てろよ。必ずぶっ殺してやるからな。

その時鶴岡は、自身が死地に足を踏み入れようとしていることに、まったく気づいていなかった。


***

鏡堂達哉きょうどうたつや六壬桜子りくじんさくらこの元から県警本部に戻った後、彼女の言葉をずっと考えていた。


――声で人を殺す<鬼哭の器>、もしそれが事実であれば、最後の事件の時に岡部澄香おかべすみかだけが無事だったのは何故だ?

――<鬼哭の器>の声は、相手を選ぶのか?


――いや、それはない。もしそうであれば、第二の事件で目撃者たちが巻き込まれたことと矛盾する。

――だとすると、岡部澄香が<鬼哭の器>ということになるのか?

――それが事実であれば、何故彼女は<鬼哭の器>なったというのだ。


――いや、待てよ。竹本瞬たけもとしゅんが<鬼哭の器>ということはないのか?

――彼は、岡部澄香だけが拉致されたと言っていたが、そのことは確認が取れていない。竹本の証言だけだ。


――もし二人とも拉致されとして、例えばあのビルの別の場所に連れていかれた竹本が、そこで5人を殺害したことも考えられる。

――そうであれば、岡部が無事だったことも説明出来る。


――そして5人の死体を岡部のいる部屋に運び込んだ後、警察に通報したとしたらどうだ。

――彼がすぐに警察に通報しなかったこととも辻褄が合う。

――そしてフードを被った男が竹本だったとしたら、彼女の証言とも整合性が取れる。


その時鏡堂の携帯電話が鳴った。

彼が確認すると、非通知の相手からのIMだった。

鏡堂は一瞬躊躇した後、IMを確認する。


《彼女を止めて下さい。今夜12時、<フォーゲートスタジアム>10番ゲート前》

――竹本瞬たけもとしゅんだ。

鏡堂は直感的に思った。


――だとすると、やはり岡部澄香が<鬼哭の器>だったのか?

――いや、まだ断定できない。竹本が彼女に罪を擦り付けようとしている可能性も考えられる。


――行って見るしかないな。

鏡堂がそう決断した時、隣の席から「鏡堂さん」と声が掛かった。

天宮於兎子てんきゅうおとこが、真剣な眼差しで彼を見ている。


「鏡堂さん、何をなさる積りですか?

携帯電話を見て、鏡堂さんの顔色が変わりました。


何があったんですか?

私にも説明して下さい」


彼女の口調は妥協を許さない、断固としたものだった。

その表情を見て、鏡堂は激しく迷う。

――事情を説明して、天宮を伴うべきか?


今の状況で、他の刑事の応援を頼むことは不可能だ。

容疑者は<鬼哭の器>などと説明して、理解を得られるとは到底思えなかったからだ。

そして現場で不測の事態が生じた場合、正直言って天宮の<雨神>の力は頼りになる。


しかしその一方で、<雨神>の力は無暗に使うべきではないという六壬桜子の言葉が、鏡堂の脳裏を過っていた。

さらに上月十和子のことも彼の心に突き刺さる。

――天宮を、彼女のように危険な目に合わせてよいのか?


「鏡堂さん、一人で何かしようとしていますね。

駄目です。

絶対私も連れて行って下さい」

そう言って一歩も引く気配のない、彼女の真剣な眼差しに、鏡堂は折れざるを得なかった。

そして彼の考えと、すべての状況を天宮に語って聞かせるのだった。


その夜、12時少し前。

鏡堂と天宮は<フォーゲートスタジアム>の駐車場に、車を乗り入れた。

駐車場はがら空きで、周囲には数台の車しか停まっていない。

そしてスタジアム周辺に人影はなく、不気味な程静まり返っていた。


車を降りて10番ゲートに向かう二人の脳裏には、昨年末の事件の記憶が蘇っていた。

連続爆破犯の漆原亨うるしばらとおると、ここで対決したことが昨日のことのように思い出される。


高階の許可を得ていない捜査であったため、もちろん二人は拳銃など携行していない。

そのため鏡堂はここに来る車中で、何かあった場合は<雨神>の力を使わず、すぐに逃げるよう天宮に口を酸っぱくして言い含めていたのだ。


10番ゲートは駐車場からスタジアムを挟んで、ちょうど反対側にあった。

間もなく12時になろうとしていたため、二人は自然と足を速める。

その時、静寂を切り裂いて、世にもおぞましい声が鳴り響く。


『きゃああああああああああああああああ』

それは聞く者の魂に、直接突き刺さるような声だった。

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