【07】六壬桜子

「鏡堂さん。

あの六壬桜子りくじんさくらこという方に何を訊こうと思っているんですか?

あの占い師の言葉は危険だと思うんです。

だから止した方が…」


そう言って心配する天宮於兎子てんきゅうおとこに、鏡堂達哉きょうどうたつやは照れたように笑った。

「特にこれを訊こうと思うことがある訳ではないんだがな。

藁にも縋るというやつだ。

我乍ら情けない話だが」


ゲームセンター脇の階段を上がって、二階にある装飾の施された扉を開けると、室内は以前訪れた時と同様に、仄暗い照明でそれらしい雰囲気が醸し出されている。

そして扉の正面に張られた漆黒の緞帳の前に、これも依然と同様に黒一色の洋装を纏った女占い師が座していた。


鏡堂たちが来意を告げようとすると、その機先を制するように六壬桜子が口を開く。

「これは鏡堂様、天宮様。

お待ちしておりました。

どうぞお掛け下さい」


席を勧められた二人は、彼女の前に並んで腰掛ける。

「お待ちしておりました、ということは、我々が来ることを、既にご存じだったということですか?」

「天宮様に依る<雨神>の気配がしましたので」

鏡堂の問いに答える桜子の表情は、相変わらず得体の知れない笑顔に包まれている。


「本日はどのようなご用件でしょうか?

まさか鏡堂様が、卜占のために来られたとは思いませんが」

その言葉に毒気を抜かれた鏡堂は、一つ咳払いして彼女に尋ねる。


「商売の邪魔をして申し訳ない。

仰る通り、占ってもらおうというのではないんです。

漠然とした質問で恐縮なんですが、最近この近辺で何か異変が起こっていませんか?」


それを聞いた桜子は、間髪置かずに答えた。

「それはもしや、一昨々日さきおとといの騒ぎのことでございましょうか?

それでしたら恐らく、<鬼哭きこくうつわ>の所業と存じます」


「きこくのうつわ?何ですか、それは?」

「きこくとは鬼がくと書きます」

「鬼が哭く…」

そう繰り返して不審気な表情を浮かべる鏡堂に、黒衣の占い師は言った。


「元々の語源を辿りますと、<鬼>という字は、死者の魂を意味するのだそうです。

本邦での鬼のイメージは、角を生やした地獄の牛頭馬頭の様なものが一般的ですが。


しかし元来大陸では、<鬼>とは死者の魂を指し、<鬼哭>とは死者の哭声なきごえを意味するものなのです。

お分かり頂けましょうか?」


「つまりそれは霊魂のようなものですか?

霊魂が泣き声を上げると。

それと事件と、どのような関係があるんでしょう?」


「この地は本邦に幾つか存在する、瘴気湧く地―忌地いみちの一つなのでございます。

そしてわたくしの知人の風水師が申しますには、瘴気を押さえるべく、この地の四方に配された封印のうち、南北の二つが解けておるとのこと。

その結果、中央の后土こうどの力が弱まり、瘴気が湧き始めているのだそうです」


その説明に、鏡堂も天宮も困ったような顔をする。

別世界の言葉を聞いているような気がしたからだ。


その表情を見た桜子は、仄かに笑み浮かべる。

「これは手前勝手な言説を弄しまして、大変失礼いたしました。

先に基礎となる事柄をご説明すべきでしたね。

少し長くなりますが、お聞き頂けますでしょうか?」


その言葉二人の刑事は無言で肯いた。

そして黒衣の占い師は、静かに語り始める。


「先ずは古代中国に端を発する五行説をご存じでしょうか?

万物は木火土金水もっかどごんすいの五元素からなるとする、言わば自然哲学と申すものでございます」

その問いかけに鏡堂は尚も首を傾げ、天宮は辛うじて頷いている。


「一方で、古代中国の神話時代に存在したとされる八王のうち、三皇を除いた五帝が、この世界の東西南北及び中央の五方を司るとされています。

そしてその五帝と五行を重ね合わせ、それぞれの呼称が定められているのです。


即ち東方の木帝、南方の炎帝、西方の金帝、北方の水帝、中央の黄帝がそれでございます。

更にこれらの五帝を補佐する者として、五佐の神々が定められております。


先程申しました風水師によりますと、この地の瘴気を封じるために、いつの頃か五方の封印が施され、五佐の神々の眷属がそこに配されていたようなのです。

天宮様に依る<雨神>は北方水帝の佐である玄冥げんめいの眷属、そして天宮様とご縁のある<の神>は、南方炎帝の佐である祝融しゅくゆうの眷属となるのでございましょう」


「それは四神とは異なるのでしょうか?」

「天宮様が仰る四神とは、青龍、白虎、朱雀、玄武のことでございますね?」

桜子の問いに天宮は肯く。


「まったく異なる訳ではありません。

ともに古代中国に端を発する思想でございますので、長い年月の間で融合し、互いに補完し合っておるのも事実です。


ただ厳密に申しますと、四神は天の四方を司る霊獣であり、天上の二十八宿の星を七宿毎に纏め、その星座を組み合わせたものを霊獣の姿に見立てたものと言われております」


そこで鏡堂が、堪りかねたように口を挟んだ。

「申し訳ないが、私はまったくついていけていない。

その四とか五とかいうのが、今回の事件とどんな関係があるんですか?」


それを聞いた桜子は、思わず口元を押さえる。

「これは大変失礼いたしました。

これまでお話したことを前提に、今回の事件について、わたくしが愚考します事柄を、ご説明させて頂きます」

そう言われた鏡堂は、少しホッとしたようだった。


「先程申しましたように、この地では南北の封印が解除され、中央で瘴気を押さえていた后土こうどの眷属の力も衰えておるようです。

その結果、湧き出た瘴気に当てられた鬼どもが、活発に動き始めているのです。


とは申せ、所詮は実体なき亡魂。

それ単独では、左程の悪行は成せません。

そこで妄念を抱く鬼どもは、<器>を求めてそこに宿るのでございます」


「それが<鬼哭の器>なんですね?」

鏡堂が念を押すと、桜子は静かに首肯した。


「じゃあ<鬼哭の器>になったとして、その後はどうなるんでしょうか?」

鏡堂に替わって、天宮が桜子に問うた。

既に二人とも、彼女の<言霊ことだま>に乗せられつつあるようだ。


「器に収まった鬼は、その声を借りて哭すると言われております。

その声は陰々滅々として、聞く者を狂わせるのだそうです」

「聞く者を狂わせる」

天宮が占い師の言葉を静かに反芻する。


「狂わせるというか、その声で人を一瞬にして殺すようなことが出来るんでしょうか?

今回の犯人は、どうやら一瞬で外傷も与えることなく、相手を殺害している」

鏡堂の問いに、桜子は小首を傾げた。

「残念ながらそのような事例は、耳にしたことがございません」


「そうですか」

そう言いながら鏡堂は、六壬桜子の言葉を噛みしめていた。

――1年前の俺なら、頭から信じなかっただろうな。


「さて、わたくしから申し上げることは以上となりますが、お役に立ちましたでしょうか?」

そう言って嫣然と笑う桜子に、鏡堂が問いかける。

「最後にもう一つ質問させて下さい。

あなたは何故、一昨々日の事件が<鬼哭の器>だと思ったのですか?」


「ああ、そのことですか。

実は以前、その者がここを訪れたことがあるのです。

その時と同じ気配を感じましたので、<鬼哭の器>と察したのです」


「以前訪ねてきた?

顔は憶えてますか?」

勢い込んでそう訊ねる鏡堂に、桜子は悲し気に首を横に振った。

「以前お伝えしましたように、わたくしは人様の顔を記憶することが出来ないのです」


「ああ、そうでしたね。これは失礼しました」

残念そうにそう言った鏡堂は、桜子との話をそこで切り上げることにした。

「今日は突然お邪魔して申し訳ありませんでした」


「少しは手助けになりましたでしょうか?」

微笑を浮かべて問う桜子に、鏡堂も笑顔を返す。

「大変参考になりました。ありがとうございます」

そして隣で頭を下げる天宮を促して、彼女の元を後にした。


その後姿を見送りながら、黒衣の占い師は謎の笑みを浮かべている。

――人を一瞬で殺す程の強さを持つ鬼哭とは、興味深いですね。

――果たしてそのようなことが、あり得るのでしょうか。


――そう言えば、<鬼哭の器>が成ると、数多の鬼どもがそこに集うとされていましたね。

――そして妄念持つ鬼が集えば、その力が増すのも道理。


――そう言えば、声で人を殺すという話がありましたね。

――確かあれは西洋の<アルラウネ>でしたか。


――天宮様の<雨神>は、果たして<鬼哭>に打ち勝てるのでしょうか。

――これは先が楽しみですね。

そのように思考を巡らす彼女の笑顔は、邪悪そのものだった。


一方、六壬桜子りくじんさくらこの元を後にした鏡堂は、県警本部に戻る車中で、彼女から聞いた話を反芻していた。


――本当に<鬼哭の器>なんて者がいて、人を殺しているんだろうか?

――だとしたら、それは誰なんだ?

――そもそも声で人を殺すなんてことが出来るのか?

――事実なら、目撃者が聞いた<悲鳴のような音>には合致するようだが。


無言で考え込む鏡堂を時折横目で見ながら、天宮は自身も無言で車を走らせるのだった。

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