【06】失踪

事件現場から救急搬送された岡部澄香おかべすみかは、特に体調に問題はなく、外傷も負っていなかった。

しかし拉致されたことによる精神的ショックが懸念されたことから、一晩入院して様子を見ることになったのだ。


一方現場の検分を終えた鏡堂は、詳しい事情を聴くために竹本瞬たけもとしゅんに同行を求めた。

しかし竹本が岡部に付いていたいと希望したため、翌日改めて事情を聴くことにし、一旦県警本部に帰庁することにした。


デスクに座って報告書をまとめる鏡堂の脳裏には、様々な疑問点が渦巻いている。

その様子を見ていた天宮が、隣のデスクから彼に問いかけた。

「鏡堂さん、何か不審な点があるんですか?」


「お前はどうだ?今日の状況を見て、何か不審に思う点はあるか?

もちろん殺害方法を除いてだが」

彼女の問いに、鏡堂は質問で返す。


天宮は頷いて手帳を取り出すと、メモを取った内容を確認しながら彼の質問に答えた。

「まず竹本さんですが。

彼は何故岡部さんが拉致された後、すぐに警察に通報しなかったんでしょう」


その疑問に鏡堂も頷いた。

「そうだな。

気が動転していたとも考えられるが、行動としては確かにおかしい。

他はどうだ?」


「岡部さんは、現場から逃走した人物が、何故男だと分かったのでしょう。

確か彼女は、相手がフードを被っていて、顔は見えなかったと証言しています。

背の高さも分からないと。

それなのに何故、その人物が男だと断定出来たのでしょう」


「お前もそう思うか。

確かに彼女は、確信をもって男だと言っていた。

それについて、何か考えがあるか?」


そう訊かれた天宮は、一瞬口籠ったが、意を決して自分の意見を述べる。

「もしかしたら岡部さんは、その人物を知っていたんじゃないかと思うんです。

だからつい、男だと断定的に言ってしまったのではないかと」


それを聞いた鏡堂は莞爾と頷いた。

「予断は禁物だが、その考えはいい線だと思う。

その二点は明日、竹本と岡部に確認する必要があるな」


「鏡堂さんは、他に何か気になる点がありますか?」

天宮の質問に鏡堂は、「音だ」と短く答えた。

「音ですか」


「そうだ。前の二件で証言のあった、<悲鳴のような音>が今回も聞こえたのか。

もし今回音が聞こえていなかったのならば、事件とは関係ない可能性が高い。


しかし今回も音が聞こえていたならば、前の二件と合わせて、その音が殺害方法と関連してるんじゃないかと思う」


「確かにそうですね」

天宮は彼の言葉に頷いた。


「それに加えて、竹本と岡部澄香の関係だな。

亡くなった綾香の妹というだけでは、説明出来ないような親しさを、二人の間に感じたんだが、お前はどう思う?」


「あの二人は恋人関係にあると思います。

二人の間にどういう経緯いきさつがあったかは分かりませんが、澄香さんが竹本さんを<瞬さん>と呼んでいたのが、その証拠だと思います」

「確かにそうだな」

その意見に鏡堂も同意する。


「まあ、いずれにせよ、明日の事情聴取で確認することになるがな」

鏡堂はそう締めくくってパソコンに向き直ると、報告書の作成に戻った。


翌日午前中に行われた捜査会議では、今回の事件の被害者たちに関する情報が捜査員たちに共有された。

被害者は半ぐれ集団<阿奈魂蛇アナコンダ>現リーダーの毒島洋ぶすじまひろしと中心メンバー4名だった。


死因は何れも急性心停止で、それに至った原因はこれまでの二件と同様に不明ということだった。

そして被害者から外傷や毒物反応が検出されなかったことも、前の二件とまったく同様だった。


事件性については、岡部澄香の目撃証言から、何者かによる殺人事件と断定された。

そして前の二件に遡って、合計9人が犠牲になった連続殺人事件として取り扱われることになったのだ。


今回の現場付近の訊き込み捜査では、岡部の証言にあった<黒いコートを着た男>の目撃者は見つかっていない。

周辺に設置された防犯カメラの映像にも、それらしき人物は映っていなかった。


最後に当面の捜査方針として、竹本、岡部からの事情聴取と彼らの周辺調査、そして半ぐれ集団<阿奈魂蛇>に対する調査が、高階から捜査員たちに指示されたのだ。


その日の午後、鏡堂と天宮は、約束通り岡部澄香おかべすみかが入院する病院に向かった。

二人を県警本部に同行して、事情聴取を行うためだ。


しかし彼らが病院に到着した時、岡部が入院しているフロアで騒ぎが起こっていた。

岡部澄香と竹本瞬が病室から姿を消し、念のために彼らの警護に当たっていた制服警官が、病室の中で意識を失った状態で発見されたのだ。


それを知った鏡堂たちからの連絡で、即座に非常線が張られることになった。

そして鏡堂は、暫くして意識を回復した制服警官から、二人の失踪当時の状況を確認する。


警官は岡部澄香の個室前に立って、彼女の警護に当たっていたのだが、何故か突然気を失ってしまったらしい。

殴られたり、薬物のようなものを使われた訳ではないようだった。

実際彼の体からは、その様な痕跡は見つかっていない。

つまり彼が失神した原因は、まったく不明だったのだ。


彼が失神している間に、室内にいた岡部と竹本は、自ら進んで行方を晦ましたらしいことが、周辺の職員たちへの訊き取りで確認された。

しかし何故二人が病室から逃げ出したのか、理由はまったく不明だった。

そしてそのことによって、捜査本部は著しく混乱することになったのだ。


対応に苦慮した捜査本部では、竹本と岡部の捜索が最優先で行われることになり、併せて現在分かっている半ぐれ集団<阿奈魂蛇>の拠点への一斉捜索が行われた。

しかしそのいずれもが、空振りに終わったのだ。


竹本、岡部両名の行方は杳として知れず、二人の関係者への訊き込みからも有益な情報は得られなかった。

そして<阿奈魂蛇>の拠点からも、二人の失踪に関連するような証拠は一切発見されなかった。


<阿奈魂蛇>は今回の事件で、リーダーの毒島洋ぶすじまひろしを始めとする主要幹部を失った結果、壊滅の危機に瀕しているようだった。

そして拠点の捜査時に逮捕されたメンバーの中には、何故毒島たちが岡部澄香おかべすみかを拉致したのか、理由を知る者は一人もいなかったのだ。


そのような状況の中で、鏡堂は上月十和子こうづきとわこを思い出していた。

8年前の岡部綾香おかべあやか殺害事件の時、彼女は竹本以外の犯人がいることに確信を持っていた様子だった。

鏡堂は、彼女の考えをはっきりと聞いた訳ではなかったが、彼女の態度から十分そのことが察せられたのだ。


上月が<阿奈魂蛇>のチンピラに殺害されたことと考え合わせると、彼女は岡部綾香殺害犯が、<阿奈魂蛇>のメンバーの中にいると考えていたのではないだろうか。

そして核心に迫りつつある上月を排除するために、あの中村翔なかむらしょうというチンピラが使われたのではないだろうか。


――やはり今回の事件の根は、8年前の事件にあるんじゃないのか?

それは鏡堂の予断に過ぎないのだが、彼の中では確信に近づきつつあった。


もう一つ鏡堂には、気になる点が残されていた。

三件目の事件の時に、例の<悲鳴のような音>が鳴ったかどうかということだ。

そのことを確かめるために、その日鏡堂は天宮を伴って、事件現場周辺の訊き込みを行っていた。


しかし事件が起こった時間帯と合わせて訊き込みを行ったにもかかわらず、果々しい成果は得られなかった。

事件現場のビルは<阿奈魂蛇>の主要拠点であったため、彼らを敬遠して、周辺に近づく人が極端に少なかったのだ。


――無駄だったか。

鏡堂が諦めかけてそう思った時、彼の眼に<占い処>と書かれた窓が飛び込んできた。

それと同時に、何かが彼の脳裏を刺激する。

――今日は水曜日だ。

鏡堂は天宮に声を掛けると、自分の直感に従って、あの<黒衣の占い師>の元を訪れることにしたのだった。

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