episode: 009『02 帚木アンダーナイト ~平安京で繰り広げられる恋のかけひき~』

 第9話 「左馬頭さまのかみ、過ぎし日々を語る」


 左馬くんは、遠い目をして昔を思い出すように話し始めた。


「ずっと昔、まだペーペーの役人だった頃の話なんだ。その時、俺に愛人がいたんだ。見た目はあまり魅力的じゃなかったから、若くて浮気性の俺は、『この子と一生を過ごす』なんて思ってなかった。妻だとは思ってたけど、なんか物足りなくて、他にも女を作っちゃってた。


 その子、すごく嫉妬深くてさ。『もうちょっとクールに振る舞ってくれればいいのに』って思いながらも、うるさく責められすぎると、『俺みたいなヤツをどうしてそこまで思ってくれるんだろう』って、逆に可哀想になっちゃって。そうしてるうちに、自然と身持ちが良くなっていったんだ。


 この子さ、自分にできないことでも、『この人のために』って頑張るタイプなんだよ。教養が足りないのも自分で勉強して、恥ずかしくないようにしてくれて、めっちゃ献身的に世話してくれた。俺の機嫌を損ねないように、強気な性格もあんまり出さなくなって、俺にだけは従順な女になってくれたんだ。


 容姿も、俺に嫌われないように化粧に力入れるし、『この顔で人に会ったら旦那の恥になる』って思って、来客にも近づかない。とにかく良妻賢母になろうと頑張ってて、一緒に暮らしてるうちに、その賢さに惹かれていったんだ。


 でも、唯一の欠点が嫉妬癖。これだけは、本人も直せない厄介なもんだったんだよね」


 左馬くんは、少し恥ずかしそうに続けた。


「その時、俺はこう考えたんだ。『この子、めっちゃ俺のこと好きなんだから、ちょっと懲らしめてやって、嫉妬癖を直させてやろう』って。『もう嫉妬にはうんざりだ、いやでたまらない』みたいな態度を取れば、これだけ俺のこと愛してる子なら、うまくいくだろうって。


 そんな感じで、ある時わざと冷たくして、例によって嫉妬し始めた時にこう言ったんだ。


『こんな醜い嫉妬するあんたとなら、どんなに深い縁があっても別れる覚悟はできてる。この関係を壊してもいいなら、今みたいな妄想でも何でももっとやればいい。でも、将来も夫婦でいたいなら、ちょっとくらいつらいことがあっても我慢して、気にしないようにしろ。そして嫉妬しない女になったら、俺がどれだけあんたを愛するかわからないぞ。俺が出世して偉い役人になる頃には、あんたが立派な正妻になれるんだからな』


 なんて、自分でも『うまいこと言ったぜ』って思いながら、結構身勝手なこと言っちゃったんだ。


 そしたらさ、その子がちょっと笑って言ったんだ。


『あなたが貧乏な時代を我慢して、そのうち出世するのを待つのは、待ち遠しくても苦痛じゃないわ。でも、あなたの女好きを我慢して、いい旦那さんになるのを待つのは耐えられない。だから、そんなこと言うってことは、もう別れる時が来たってことね』


 って。すごく悔しそうに言って、俺を怒らせようとしたんだ」


 左馬くんは、少し恥ずかしそうに話を続けた。


「そしたらさ、その子も我慢できなくなっちゃって、俺の手を引っ張って指にガブッと噛みついちゃったんだよ。俺は『いてぇ! いてぇ!』って大げさに叫んで、『こんな傷付けられたら、もう外に出られないよ。お前に侮辱された下っ端役人なんて、もう出世なんてできっこないんだ。俺、もう坊主にでもなるしかないな』なんて脅かして、『じゃあ、これでお別れだな』って言って、指を痛そうに曲げながら家を出ちゃったんだ。


 俺が『指を折って会った回数を数えたら、これ一回だけじゃないよな。もう言い訳できないでしょ』って言ったら、さすがに泣き出しちゃって。『辛い思いを一緒に数えてきたのに、こんな時に手を離すの?』って反抗的に言ってきたんだ。


 でも本当は、俺たちの関係が終わるわけないって分かってたんだけどさ。それでも何日も何日も連絡一つ寄越さずに、俺は好き勝手な生活してたんだ。


 ある日、加茂の臨時祭りの音楽の催しが宮廷であってさ。夜遅くなって、みぞれが降ってる夜だったんだ。みんなが帰る時に、『俺の帰る家ってどこだろう』って考えたら、あの子の家しかないんだよね。宮殿の宿直室で寝るのもみじめだし、恋愛ごっこしてる宮仕えの女の子んとこ行くのも寒そうだし。


『あいつ、どう思ってるかな』って様子見がてら、雪の中を歩いて行ったんだ。ちょっと気まずかったけど、『こんな夜に来てやれば、あいつの恨みも消えるだろう』って思って。


 家に入ってみたら、薄暗い灯りを壁の方に向けて、暖かそうな綿入れの着物を大きな火鉢に掛けて、俺が寝室に入る時に上げる屏風も上げてあって。『こんな夜には絶対来るはず』って待ってた感じだったんだ。


『やっぱり俺のこと待ってたんだ』って、ちょっと得意になっちゃったんだけど、肝心の彼女がいないの。女中さんたちだけが留守番してて、『ちょうど今夜、お父さんの家に引っ越しました』って言うんだよ。


 艶っぽい歌も残さないで、気の利いた言葉も残さないで、あっさり行っちゃったもんだから、なんかつまらない気分になって。『あんなにうるさく嫉妬してたのも、俺に嫌われるためだったのかな』なんて、イライラして変なこと考えちゃったよ。


 でもさ、よく考えてみると、用意してあった着物とか、いつもより丁寧に準備されてるし、そういう点ではすごく親切だったんだよね。俺と別れた後のことまで世話してくれたってことは、結局別れる気なんてないんじゃないかって、ちょっと調子に乗っちゃって。


 それから手紙でやり取りし始めたんだけど、俺のとこに帰る気がないわけじゃなさそうだし、完全に姿を消すわけでもないし、かたくなに反抗的な態度を取るわけでもなくて。『前みたいな関係じゃ耐えられない。生活態度をガラッと変えて、一夫一婦制を守るって言うなら』って言ってるんだ。


『そんなこと言っても、結局折れてくるだろう』って自信満々で、しばらく懲らしめてやろうと思って、『一夫一婦制にするよ』なんて言わずに、話をズルズル引き延ばしてたんだ。


 そしたら...すごく精神的に苦しんで、死んじゃったんだよ。だから今でも自分を責めてるんだ。家の奥さんって、あの子くらいじゃなきゃダメだなって、今でも思い出すんだよね。趣味のこともマジメな話も一緒にできたし、家事だってなんでもこなせたんだ。染物の名人にもなれたし、織物の名人にもなれたってわけ」


 左馬くんはそう語って、亡くなった奥さんのことを本当に恋しそうにしていた。


 とうくんが言った。


「単なる織物の上手な人じゃなくて、永遠の愛を誓う七夕の織姫みたいな人だったらよかったですね。染物の神様も俺たちには必要だし。旦那さんにダサい服着させる奥さんはダメだよね。そんないい人が早く死んじゃうんだから、本当にいい奥さんって見つけるの難しいってことになっちゃうね」


 とうくんは、指を噛んだ女のことを褒めちぎった。


 しんみりとした空気が部屋を包んだ。

 窓から差し込む月明かりが、4人の男子たちの影を静かに壁に映し出していた。


(つづく)

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