サイコパスに欠けたもの

物音の正体

 なんだか素っ気ない友人を元気づけるために、己の大学生活で培った話題という話題を出し尽くした俺は、講堂の後ろ扉から入り込んできた謎の液体音にすがりついた。


「正体の分からない物音って怖くね?」


「そう?」


「急に茂みががさついたりさ、後ろからピチャって音がしたり、誰もいない部屋で物が落ちたりとか。」


「神経質すぎだよ。」


「でもさ、その音の正体が俺を狙ってる殺人鬼とかだったらどうするよ。超怖くね?」


「なんか狙われるようなことしたの?」


「何もしてないからこそ怖いんだよ。ああいう殺人鬼って基本サイコパスだろ?何考えてるか分からない怖さがあると思うんだよな。」


「サイコパスねぇ。」


「お?なんか含みがあるな?」


「A君はさ、サイコパスには何が欠けてると思う?」


「そりゃ人の心だろ。共感力とかでも可。」


「僕はそうじゃないと思うんだ。」


「ほう?」


「これはここ最近の話なんだけどね……」


・・・


 僕は誰にも引けを取らないほどの怖がりでね、特に周囲の物音には敏感だったんだ。通学路を歩いてる最中に後ろから聞こえた足音に怯えてみっともなく逃げた後、その音を誰が出したのか確認して安心するというのを繰り返したせいで、その道を通る人全員と顔見知りになってしまったほどだ。通行者には変人として記憶されていただろうけど。

 

 ある日、いつものように僕が変人ムーブをかましていると、1人の男が僕の側で足を止めた。いつもは、なるべく僕に関わらないようにそそくさと脇を通り抜けいく人ばかりなのに、その男は僕のことを近くで凝視し続けた。


「あ、あの、し、失礼なことをしてしまって、あの、すいませんでした!」


 いつかはこういう日がくると分かっていたから、念のため謝罪の言葉を練習していたのだろうけど、それが無に帰すほどの圧だったみたいだね。


「不公平だ。」


「え?」


 その男はそう言ってその場を去った。


 その次の日、というか今日なんだけど、いつもと同じ通りを使って大学へ行こうとしたんだ。階段を下りる前にまず通りの状況を確認するようにしてるんだけど、そしたら、その通りの手前にその男がいるのが見えたんだ。まるで手提げを握るかのように包丁を握っているから、脳がバグってしてしまったらしい。階段を1段下りかけた態勢のままで呆然としていたよ。

 

 すると、左側からいつも通りを使う人の1人が歩いてきたんだ。男は、その人からは見えないぐらいにはT字路から下がっていた。だから、左側から歩いてきた人が角を曲がるまでその男を認識できなかったのは仕方ないことだった。包丁を持った男と鉢合わせたその人は、反射的に体を仰け反らせた後、安心したように笑みを浮かべようとしていた。その姿が癇に障ったんだろうね。次の瞬間には、その人は血まみれになって倒れていたよ。「なん……で……」って呟きながらね。

 

 ただでさえいっぱいいっぱいだった僕の体は、その男がこちらに向かってきたことによって動き出したんだ。外開きの玄関ドアの内側に、意味もなく家具を積み上げて立てこもった。鉄製の階段をカンカンと昇る音が近づいてくる。「なんでなんでなんでなんで。不公平だってなんなんだよ」って、頭を抱えてた。違う、警察を呼ばなきゃと思った途端、ガチャガチャガチャガチャ!!!って乱暴にドアを開けようとする音が鳴り響いた。鍵が破壊されるのも時間の問題だと感じるほどに力強くドアを唸らせ続けた。その振動で積み上げてた家具が倒れてけたたましい音を立てるものだから、もう一周回って怒りが湧いてきたみたいでね、


「なんなんだよ!!どっか行け!!消えろ!!」


 って、叫んだんだよ。そしたら、ガチャガチャという音が鳴り止んだんだ。その後すぐにドアへ体をぶつけたような鈍い音が一度だけ鳴ったんだけど、ほんとに一度だけだったんだ。タックルでドアをぶち破ろうとしているわけではなかったみたいでね。その後1分も経てば、さすがに1割ぐらいは平静が戻ってくる。警察に通報して、いつでも遠くに逃げられるように防災リュックを背負ったんだ。今度は窓から来るんじゃないかと思って、意味なく積み上げた家具をおっかなびっくり整理した。玄関からも逃げられるようにしときたくてね。そしたら、玄関にどす黒い液体が広がってるのに気づいたんだ。外側から侵入してきたその液体の端のほうは凝固してて、純粋な液体って感じではなかった。


・・・

 

 ピチャ、という音がした。ドアの奥、外のほうで。プールサイドにできた小さな水たまりを踏んだ時のような音だった。謎の液体に波紋が広がったのを見て、外で誰かがこの液体を踏んだのだと理解した。咄嗟にドアから距離を取る。今度は廊下に続く道にバリケードを作って、ドアのほうをジッと凝視した。ピチャ、ピチャ、と音が近づいてくる。極度の緊張のせいだと思いたかったが、その音は、明らかに室内側から響いていた。そして、その何かが近づいてくる音は、廊下のフローリングを踏む固い音に変わった。訳が分からなかった。何もいないのに、確実に何かがこちらへ近づいてくる。きっと僕がおかしくなったんだ。今外に出るほうが危ないに決まってる。そう願いながら、耳を塞ぎ、目をつぶった。自分の震えだけしか感じられない世界で、目を背けたい未来に意識が向かう。それを振り払うように全身を悶えさせたが、意識は変わらず廊下のほうへ向かい続けた。

 

 心身ともに疲れ切りもう諦めてしまおうかとよぎった瞬間、廊下のほうを向いていた足の先から自分のものではない振動が伝わってきた。全身が総毛立った瞬間、自分の魂に何かが入り込んだのが分かった。自我が飲み込まれていく。本を好きだった人間が本そのものを忘れてしまうような、何かを見るという行為そのものが世界から消えていくような、生命活動を送るということが無かったことになるような、自分の核だった何かが消えていき自我が深淵に投げ出されるような感覚。どんどんと消えていく。恐怖だけが……、なにも……。


・・・


「不公平だ。」


 恨みのこもった声でそう言った後、Bは何もなかったかのように話し出した。


「思うに、サイコパスというのは恐怖心が欠けているのではないかと。刑罰を受ける恐怖、人の輪から弾かれる恐怖、そして命を失う恐怖。そんな彼が恐怖心を持っている人間を見たとき、どう思うのか。」


「だから、不公平だってことか。」


「そういうこと。なんで君にはあって僕にはないのか、その恨みの結果相手の心に潜り込んで恐怖心を奪おうとするのも無理はないよね。」


「ほ~ん。」


「どう?この話怖かった?」


「サイコパスという存在に対する考察としては面白かったけど、怖くはなかったな。」


「そう。」


「……。」


 気まずい沈黙の中、ピチャ、と講堂の外から音が聞こえた。


「なぁ。」


「うん?」


「お前はその男に自我を乗っ取られたんだよな?」


「違うよ。」



「僕は元々サイコパスさ。」



・・・

 

 ピチャ、ピチャ、と2つの水音が講堂に響いていた。きっと数秒後の俺は、数秒前の自分が抱いた恐怖心を羨んでこう言うんだろう。


「不公平だ。」


・・・

 

 『今日の午後5時、○○大学にいた人々が立て続けに自殺する事件が起きました。まだ捜索は続いていますが、現在確認できている情報によると、5名を残して全員自殺したとのことです。今世紀最大の怪事件。引き続き情報をお伝えしていきたいと思います。』


「はい、OKで~す。」


「お疲れ様で~す。」


 全く、何なのよこの事件。気味が悪いったらありゃしない。メンタルを正常に保つ為に一呼吸置こうとベンチに腰掛けたら、背後の茂みが、ガサガサッ、とうごめいた。


「ばあっ!!」


「うひゃあ!!」


 出てきたのは、この後取材予定の生き残った学生さんだった。


「ちょっと~、何やってるのよ~。」


「あはは、ごめんなさい。やっぱこういうの怖いですよね。」


「怖いに決まってるじゃないの~。どんだけ人が死んでると思ってるの?」


「そうですよね。怖いですよね。」


 そう言った彼女は、おもむろに刃物を取り出すと自身の喉に突き刺した。


「は?」


 彼女が倒れこんだのと同時に、四方八方から物音が近づいてくるのが分かった。森はざわめき、大量の魚が打ち上げられたかのように血の水面はびしゃつき、大学内からは備品の壊れる音が鳴り響いていた。



・・・



 『どうでしたか?先ほどの映像は怖かったでしょうか?……そうですか。』



『不公平だ。』




作者です。

 お楽しみいただけたでしょうか。きっと様々な謎が残っているのではないかと思います。それらについてはお好きなようにお楽しみください。


 ただ一点だけ、決して恐怖心だけは抱かないでください。それを羨んで彼らがやってくるかもしれません。あるはずのない恐怖心の器を満たすために、無数の姿無き物音として、あなたのもとへ。

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サイコパスに欠けたもの @idakisime

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