メッセージ

西奈 りゆ

メッセージ

大学生の頃に体験したお話です。


当時私は、他県の大学に通いながら、バイトをしていました。


家からバイト先までは自転車で30分ほどの距離を通っていたのですが、さまざまな飲食店、雑貨屋、学校があり、その中に一軒の古本屋がありました。


古本屋と書きましたが、店名にこそ『本』の意味が記されているのですが、どちらかというとホビーショップメインのおもむきのお店でした。

だいぶ前に潰れてしまいましたが、当時は近場の高校の生徒が、制服姿でふらっと立ち寄る。そんな場所だったと思います。


とはいえごく少数ですが文芸書のコーナーもありました。

品ぞろえが変化することはほとんどなかったのですが、それでもたまに新刊に近い状態の本が「こんなに安く」という値段で売っていることもあり、高校生のころからどっぷり本の世界にはまっていた私は、バイト帰りに思い出したようにそちらに立ち寄ることがありました。一度など、どこが古本なのか分からないような新刊が、定価の4分の1以下の価格で売られていました。どういう価格設定だったのか、謎です。


ああ、もちろんラノベなどの鉄板ものも置いてあり、そちらのコーナーは大きくスペースが設けられ、そこそこに賑わっていたように記憶しています。

対して、文芸コーナーに人が立っているところを、私は見た覚えがありません。

そういえば、一昔前の仰々しい心霊写真特集などの本も、いつも数冊販売されていました。けれど今回のお話は、そのお話とは直接関係はありません。


その日のことは、季節すら特に覚えていません。たぶんバイト帰りだったでしょう。

新刊ではありませんでしたが、当時好きだった作家さんの文庫本を見つけたのです。

ちいさな町を舞台にした、心温まると評判の小説でした。


定価は、800円ほどだったはず。綺麗な状態でしたから、よくある大手の古本屋でも当時は500円程度はしたと思います。ですが、このお店です。もしかしたらと思って見てみたら、なんと値段は150円。買わない手はありません。意気揚々と帰宅しました。


ページをめくってみると、評判通りでした。

物哀しい境遇の主人公が、慣れない町で周囲の手を借り再起していく。そこそこにそこはかとない仕掛けがしてあり、そのたびに『ああ、そうだったのか』と、じんわりした感動を覚えたものです。


前半は少しずつ、後半に差し掛かるころには夢中になって読んでいました。

筆遣いがやさしく繊細で、慣れないバイトで溜まった疲れがほろほろと落ちていくようでした。長い物語でしたが、ラストの展開は読み終えるのが惜しく、翌日が休みの日にとっておくことにして、その日は眠りついたのでした。


バイトを終えて、レポート課題の目途もなんとかついたのは、夜でした。

枕元のスタンドライトの明かりを灯し、楽しみにとっておいた終盤を読み始めました。


平和の中に忍び込んでくる悪意。翻弄される主人公。人の手を借りるばかりだった主人公が、やがて自分自身が強くならねばならないと気づき、事態に立ち向かっていく。そして・・・・・・。


物語は、エンディングに差し掛かっていました。すっかり夢中になっていて、おそらくは夜の遅い時間になっていたと思います。


主人公は、ゆっくりと、でも着実に変わっていたのです。

周囲の人たちと大切なもの、そして自分自身の力を信じて。

弱い人間が、けして弱いとは限らない。そんなことを思いました。


あと数ページで読了、というところで、初めて違和感を覚えました。

最後の数ページが、少し分厚いのです。

指ではじいて確認してみると、どうもページ同士がくっついているようでした。


たまにありますよね。ページの上のほうが折られていたりして、数ページがくっついているというやつ。一瞬それかと思ったのですが、どうも違和感がある。

けれどそのときはストーリーの終盤。どうせ読むことになるからと、気にせずページをめくっていました。


とうとうラストです。

主人公には、本当の別れが訪れます。強くなった主人公を、見届けて・・・・・・。


はっきり言って涙ものでした。誰に見られているわけでもないのに堪えていましたが、内心ではもう完全にぼろ泣きです。

最後の最後、主人公へ、大切な人からのメッセージが届けられます。

数ページのみの、その半ば。


『×× しね』


『××』の部分は、印字にまぎれてシャープペン、『しね』は大きな、口紅で書いた文字でした。


凍りつきました。

『××』がとても丁寧な字体で、残りが書きなぐったように力が入ったような文字だったので、余計に怖かったです。


あの本はどこに行ったのでしょうか。

売れるはずもありませんし、さりとて捨てた覚えもありません。

何度も引っ越しをしたので、その最中に紛失なり、処分したものと思いますが、実際のところは分かりません。


リサイクルショップで、安すぎる高級ソファーを仕入れた後に起きた妙な出来事や、今も部屋に置いてある人形に起こった少し変わった出来事など、書こうと思えば書くことも、他にあるにはあったのですが。


私にとって一番忘れられないのは、ひとりの夜、ライトに照らされた口紅の赤と、悪意のこもったあの数文字です。




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