リメンバー・オーガスト

 ――数年後――


 アメリカ合衆国首都、ワシントンD.C.にある国立アメリカ歴史館。ここに新たな展示コーナーが完成し、今日はその式典が行われていた。内部に晴れやかな印象は無く、全体的に暗く、そして厳かである。


 展示されているものの中には、焼け落ちた国旗や瓦礫の山と化したトーキョー・シティーの画像が展示されている。他にも合衆国の艦隊によるミサイル飽和攻撃や空母による敵地攻撃、そして弾道ミサイルと思われる大型の飛翔体を発射する様子を捉えた映像が流されていた。


 その展示コーナーの入口、一番初めに目が行く場所。入ってすぐ壁がある。そこに一枚、一枚だけ小さな絵が掛けられていた。


 それは色鮮やかな絵画ではなく、ただの鉛筆のみで描かれた都市のスケッチだった。紙は既に日に焼けているどころか、少しだけ焦げた痕がある。森の中に聳え立つオアシスのような銀色の島を描いた画用紙の下には、金属製のネームプレートが付いていた。


 『追憶』


 そう題名が付けられていた。


 その絵の前では、ボディーガード二名を両脇に従えた人物と、この博物館の館長らしき人物が英語で話していた。


『――もう、あれから五年経つのか』


『五年というものは、長いようで短いですね。大統領選もまだ一度しか行っていませんから』


『ああ……しかし、向こうから仕掛けてくるとは全く思ってもいなかった。宣戦布告も無しに、まるでパールハーバーを再現されたようだ』


『大統領、その表現は日本人への偏見を招きます』


『分かっているとも……公衆の面前では言わないさ。ジャパニックからの支持が下がるだろう』


『であれば……私も失礼なことを言うのならば、確かに我々にとってはまだ幸運でした。大きな被害が出たのはホンシューだけでしたから。本土に被害が出なかったのは、初めの攻撃後すぐに防衛体制を整えた大統領の采配あってのことです』


『褒めたてようとチップは出ないからな』


 大統領は軽く受け流してから、目の前にある絵に体を向け、静かに感嘆の息を漏らした。『……これがミサイル落下前のヒロシマ・シティーか。とても細かく描けている』


『“K”曰く、これを書き終えた数十分後には焼け野原と化していたようです』


『その間彼は動かなかったのであろう? 何故無事だった?』


『落下当時、彼は都市を遮るように、大木の陰に居たということです。それで爆風や熱線に直接晒されることがなく、絵も自身もなんとか無事だったと……しかしその大木は燃え、彼も放射線だけは免れることが出来なかったようです。絵は電脳空間に描かれたものではなかったため、核パルスの障害を受けずに綺麗な状態で残っていました。他のヒロシマを描いた絵や写真は、その殆どがデータの破損で閲覧が不可能になっていたので――』


『まさにこの絵は、戦前のヒロシマを語る唯一のものとなった訳か』


『ええ、当時の生存者も今や“K”のみとなってしまいましたし、ヒロシマの大地は放射能汚染が酷いため、もう二度とこのような都市は造れないでしょうね……』


『それが画像が残っているトーキョーとの違いだ。奴らは占領後トーキョーを軍事拠点とする計画があったようだから、候補地が核で汚れることを嫌ったのだろう。その代わり、ヒロシマには何の遠慮もなく落とした……』


『よりによって、ヒロシマに……』


 その会話の途中で、男の秘書が大統領に近づいて何かを耳打ちした。


『噂をすれば……彼が到着したようです』


 大統領は入口に体を向ける。車椅子に乗り、若いアジア系の女性に押され、自動ドアを通って、車椅子に座った若い黒髪の男性は大統領らに近づいてくる。


『くれぐれも無礼のないように。言葉次第ではPTSDを起こしかねないからな』


 と、大統領は小声で館長に付け加えた。


『分かりました』


 と、館長は相槌を打ち、すぐに満面の笑みで二人組を迎える。


『ようこそいらっしゃいました、ミスターK』


『こんにちは館長……そしてお久しぶりです大統領』


 流暢な英語で館長に会釈し、加えて大統領に挨拶したのは、男性ではなく彼を押している女性であった。車椅子に座る男性は言葉を発することなく、穏やかな笑みを浮かべたままその場に佇む。


『ミスターK、今回は式典にご出席いただきありがとうございます……少々の遅刻でしたが、何かトラブルがありましたか?』


『ご心配をお掛けしました。Kは今朝少し吐血しまして、大事を取って容態が安定してからの出席としました』


『そうでしたか……ミスターK、今の体調はいかがですか?』


 Kと呼ばれた男性は、そのまま無言で、優しい微笑みのまま首を縦に振った。


『そうでしたか。今後も健康に過ごせることをお祈りいたします……』


 と、二人は深く頭を下げた。


『ところで、この絵について……もとい、当時のことについていくつか聞かせてくれますかな?』


 ここで初めてKは表情を変え、怪しげな笑顔に変わってから、少し辿々しい英語で返した。


『分かりました、僕に答えられる範囲で答えます』



 ※



 『ネットで囁かれている情報ですが、あなたは核が落ちるのを予想できたのですが?』


 控え室のような場所で一息ついたところに、大統領が尋ねてくる。


『……まず、なぜそんな噂が流れたのでしょうか』


『あなたが、偶然にも核が落ちる日に、あの一枚の絵を残したからでしょう』


『……ふむ』


 Kは首を傾げて、緩めの口調で答えた。『あの絵だけが残ってしまったからでしょうね。僕はあれ以外にも何度も街を描いています。ですが、全て僕の家にあったもので、それに僕の家は全て燃え尽きてしまった……だからあの絵一枚が彼らに印象深く残ってしまい、変な妄想を広げたのでしょう』


『では、あなたは毎日のように街の絵を?』


『いえいえ、多くて一ヶ月に一度描くくらいでした。ただあの場所に来て、街を眺めたりするだけのときもありました』


『なるほど。そういうことでしたか』


 大統領が相槌を打つ横で、館長は真剣にメモを取っていた。


『では……辛くなければ、核爆弾が落ちた当時のことを、話してくれますか?』


 大統領が真顔になり、Kの眉間に皺が寄る。拳が握りしめられ、かすかに肩が震えている。


『大統領……あのことを話すとき、私は辛くならなかったことがありません……ですが、この記憶を後世に残すため、僕は全部話そうと思ってここに来ました』


 Kは大きく深呼吸をし、心を落ち着かせてからゆっくりと話し始めた――


 あの日、僕はヒロシマの絵を描いていた、EASがなってもお構い無しに。あらかた描き終わった後は疲れてしまったのか、その場で寝転んでしまいました。

 不思議な夢を見たような気がしますが…………今では思い出せません。ただその夢から覚め、少しばかり起きてしまったことに後悔した瞬間でした。

 ……眩い閃光が僕の背後を焼き尽くしました。大木が僕を庇っていても、周りが真っ白になるほど光っていて、目が潰れるかと思いました。そのすぐ後に炎のような熱風が僕に重く、素早く襲いかかりました。僕は本能的に大木にしがみつきました。僕の皮膚は爛れ、熱さを通り越して痛くて……苦しかった。大木も発火して紅く染まり始めました。それでも僕は大木にしがみつきました。でも炎に包まれ、死んだ方が楽なんじゃないかと考えもしました。でも、それ以上に僕は強く生きたいと想いました。

 太陽の中にいるみたいで、焦げた匂いが辺りを覆って、一秒が三十秒にも一分にも感じられました。目も瞑って、歯を食いしばって耐え続けていたら、ようやく風が止んできて、本当はそこで安心してはいけないのでしょうけど、僕はもう限界だったので、安堵した瞬間に意識が遠のきました。


 ……目を覚ますと、一面が黒くなっていました。大木も、僕の肌も焼けていました。もう痛いという感覚も無いので僕は立ち上がり、街を見ました。

 ……そこに……街はもう無くなって……


 Kは泣き出した。大統領は何も言わずにKの肩に腕を回す。泣きじゃくるKはまるで子供のようで、それ以上を尋ねる気には誰もならなかった。



 ※



 『では、失礼します……ご迷惑をおかけしました』


『いえ、あなたの方が辛いはずです。お心遣いが出来ずに申し訳ありません』


 大統領と館長が深く頭を下げた。Kには次の予定があり、また長く動き続けていると命に関わる。早め早めに行動しなければならないのだ。


『あの』


 去り行くKの背中に大統領は言った。『いつか、またお話ししましょう。あなたの体験談は、後世に引き継がれるべきだ』


 Kは車椅子を止め、ゆっくり顔だけ振り返り、穏やかに目を細めて微笑み、


『ええ、僕がそれまでに生きていたら』


 と残し、車に乗った。


 車を見送りながら、大統領はため息を吐く。呆れるようにではなく、それまで堪えていた緊迫感を解くように、ゆっくり大きく吐いた。



 ※



 「……最後の言葉くらいは、本心であって欲しいものだ」


 堪えていた血反吐を吐き終え、Kは日本語で呟く。


「神木さん、やはり次の予定は中止の方が……」


「いや、むしろ、大統領との対談より大事だ。これからの未来を背負う子供たちにこそ、この話を語り継がねば」


 その決意に押され、女性はただ無言でアクセルを踏んだ。


 力強いモーター音が甲高くなっていく。


 ケイは再びあの日のことを思い出す。もう二度と見たくないような思い出が散らかっている分、あの記憶には今の僕の原動力が残されている。

 死んだ方が楽と思ったあのとき、レイの幻聴が「生きろ」とだけ伝えてきた。そんな気がしたのだ。


 そうして生き残った後、僕は核戦争の歴史について調べた。僕が習っていない、合衆国の核についての歴史が、ホンシューの至る所に残されていた。


 僕は知らなかった。ホンシューは戦争に負けていたことを。


 ヒロシマに核が落ちるのは二回目だったなんて。


 ナガサキにも落ちていたなんて。


 こんな歴史、教科書はおろか博物館でも見つけたことはない。消された合衆国の、負の歴史に他ならなかった。

 このホンシューが独立していた頃は、その教育が必要とされ、行われてきていた。しかし合衆国が統合した後に、その教育は全て消えた。


 そういう歴史を、合衆国は隠してきたのだ。


 今の世界、今の政府に訴えて、どれだけ心を動かそうと、核が消えることはない。核のバランスのもとに成り立った平和の天秤は、核を無くした瞬間にその均衡が崩れる。


 だから今この戦後のタイミングで、未来に訴えることが重要だと僕は確信した。僕がいなくなった未来で、僕の理想が叶ってくれることを信じて、


 この記憶を

 この悲劇を

 この苦痛を

 この惨状を

 この絶望を

 この希望を


 僕の命が続く限り、未来に訴え引き継いでいく。


 だから僕を生かしたんだろ? レイ。


 どうせこの命は長くないが、レイが化けてまで渡したこのバトンを、僕が投げ捨てるわけにはいかない。


「絶対に……まだ死んでたまるか」


 絶対に世界に残すと決めたんだ。絶対に風化させてはならない。


 ――あの八月を、忘れるなリメンバー・オーガスト――

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リメンバー・オーガスト 有耶/Uya @Kiwo_Aina4239

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