飛んで火に入る、

365nm

　実家、新幹線で三時間ぐらいですかね。都会（ここ）からなら乗り換え一本でいいんで楽ですよ。

　今の時期来ても何にもないところですよ。

　謙遜とか冗談じゃなくて、結構本気で。故郷の悪口っていうか、事実を申し上げて罪に問われたら何も言えなくなっちゃうんで勘弁してほしいところですね。ないんだもん何にも。今こうやって先輩とくだらない話をするのに使うようなチェーンの喫茶店すら十年前まで駅前になかったくらいですから。

　オフシーズンっていうか、オンになるのが一年のうち三日間だけあるって言ったほうが正しいんじゃないですかね。何でって、お祭りがあるから。その前後も含めたあたりだけ駅も街も馬鹿みたいに混んで、済んだら全部元通りです。基本的には馬鹿みたいに雪が降るし、春は五月くらいまで来ないし、別に夏は涼しくないし。……海が近いんで、魚介類の選択肢は広いですよ。サメ食えますよ、サメ。スーパーで売ってるんで、ちょっと行って気軽に買って食えます。うちのばあさんはあんな下魚（げぎょ）って食いやしませんでしたけど。俺は好きですね、煮つけたのがことに好きです。

　だから先輩が観光したいってのが正気とは思えないってのが正直なところです。だってこないだ終わっちゃいましたもん、お祭り。一番の盛り上がりが終わったところに、今更何しに行くんですか。

　まあ、その辺は一旦置いときましょう。そんで、俺としては別に先輩がその無意味な旅行がてらこっちの帰省に付き合うってこと自体には文句ないんですよ。片道三時間暇だってのも、まあ。寝てりゃいいじゃねえかとも思いますけど、その辺我慢できるかっての人によって差がありますし。

　あまつさえ宿代浮かせたいから泊めてくれとかそういうのも、まあ、いいです。

　俺の実家、豪邸ってわけじゃないけども田舎の一軒家なんで。客間ぐらいはありますよ、二階にそこそこ広いやつが。ちゃんと旅館みたいな広縁もあります……広縁ってあれですよ、謎スペース。机と椅子があって窓がある、廊下と部屋の妥協点みたいなやつ。うちの場合は廊下七割ですけどね、隣の部屋に接続してます。隣は……あれ何の部屋なんだろうな。多分応接間っぽいんですよね、ちょっといいテーブルとソファがあって、デカい灰皿があるんで。ただ壁際の戸棚の上に婆ちゃんの遺影と香炉とか置いてありますけど。いや仏壇は一階の仏間にちゃんとあるんですよ、なんか婆ちゃんは入れてもらえてないだけで。何でかは知りませんけど。俺の生まれる前に婆ちゃん死んでるんでその辺全然知らないんですよね。気にしてもどうにもならないし、別にいいかなって。

　そういう訳なんで、来たいんなら好きにしてくれればいい、とは思います。

　実家も別に文句は言わないと思いますよ。家族連中も知ってますし、先輩のこと。何でって、俺が電話とかかかってくるたびに近況報告代わりに遊んだ話とかするんで、大体そこで先輩の名前を出してるからですね。こないだ映画観に行ったときの話とかもしましたよ、そうあの取っ散らかったホラー映画。親が観に行きたいけどどうなのみたいなこと言ってたんで、是非はともかく感想だけ話しました。

　そういう具合で先輩の出現率が高いんで、結構認知されてますね。お前友達少ないんだから大事にしなさいとか言われてます。……身内の方がね、悪口って躊躇ないですよね。友達が少ないことが悪いことかったらまた論が割れるとは思いますけど。なので、両親は大丈夫です。元々家に人が出入りすんの、そんなに気にする人でもないんで。地元にいた頃もよく友達とか呼んでましたし、先輩の一人くらいは問題ないですよ、きっと。

　あとですね、兄さんが是非一度会ってみたいって言ってんですよね。弟の先輩なら一回くらいはご挨拶しておかないとな、とか。別にいいじゃんって俺は一旦ですけどね、聞かなくって。

　言ってませんでしたっけ、俺次男なんですよ。兄さんいるんで……ああ、五つ上です。俺が今二十なんで、二十五だ。とっくに成人ですね。当たり前ですけど。サークルの新歓のとき、自己紹介で喋ったような記憶があるんですけどね。別に覚えてなくてもいいです。他人の家族構成とか、きっちり覚えてる方がちょっと怖いまでありますから。

　どういう人かったら、普通の兄ですよ。大学は地元の国立に進学して、地元の会社に就職して、就職を機に一応一人暮らしも始めた、みたいな。一人暮らしってもあれですよ、実家から車で三十分ぐらいのとこだから月に一回は実家に顔出してるし盆暮れ正月は何泊かしていくしみたいな距離感ですね。他に何かあるかっても、特に何も。……ああ、なんかやたらマイナーなバンドとか暗い映画とか好きですね。バンドなんかどういうわけか解散した人たちばっかり好きになってるから、それ何が楽しいのライブとか新曲とか出ないじゃんって聞いたら「これ以上悪くなりようがないから」って答えられたことがあります。それくらいですかね。根がね、ちょっと暗い。それ以外はおよそ普通の人ですよ。

　俺個人としては嫌いでも好きでもないですね。

　兄がいますねって言われたらはいって答えるし、優秀なお兄さんですねって言われたらそうですねって返します。実際国立ストレートで留年なしで卒業って時点で世間的に出来がいいのは明白だし、そのまま地元残って親の面倒見てるんだから、偉いのもその通りですし。俺と比べたら嫌ですけど、そういうこと面と向かって言ってくるようなやつはろくなもんじゃないんで論外でしょう。

　薄情っていうか、基本はそういうもんじゃないですかね、家族って。何かしら好き嫌いがあった方がこじれるでしょ、きっと。関わる時間が長いだけややこしいことになるんですよ、そういうの。下手に思い入れとか持つと、大概面倒なことになるでしょう。愛憎劇とか映画で見るのもしんどいのに、実演する羽目になったらたまったもんじゃない。

　意外とね、友達多いんですよ、兄さん。

　何だろう、人気者って表現だと微妙なんですよね。いや、いつでもクラスの中心でわあわあやってるとか噂になるほどツラがいいとか、そういう派手なやつじゃないっていうか。

　こう……一見地味だけどこいつの良さは俺だけ分かってる、って思ってるやつがいっぱいいる系、って言えば分かりますかね。誰の話も聞いてくれるけど、自分の話のときだけは本気で楽しそうにしてくれる、みたいなことをみんなに思わせてるみたいな。そういう感じのやつがわらわら湧いてたりはしましたね。

　兄さんが高校生の頃だったかな、夏だったんですけど、俺が夜に網戸閉めようと庭先見たら制服姿の女の子が突っ立ってたもんだからビビって叫んで大騒ぎになったことがあって、事情を説明したら兄さんの高校の先輩だからお化けじゃないよって言われたことがあります。何で先輩が庭先にいるんだったら、話を聞きに来てたんだそうです。はい。盗み聞きですよね。家での会話なんて、精々俺とゲームやって騒いでるか漫画の馬鹿みたいな感想言い合ってるかぐらいしかないと思うんですけど、聞きたかったんだそうで。

　通報とかしとけよって思いましたけど、兄が別に放っておいていいよって言うからそのままでした。しばらくしたらいなくなりましたし。ほら、実家が雪国なんで。吹雪きますから、冬。

　俺個人、っていうか兄弟間の思い出としてはそこまで面白いのはないですね。それこそ兄さんの部屋で漫画読んだりゲームしてて、その横で兄さんは動画見てたり音楽聞いてたりしてたとか。俺が高校のときの夏だっけな、兄さんが免許取ったんで、レンタカーでドライブしようって話になって適当に海沿い走ってたらめちゃくちゃ雨降ってきて適当なコンビニで雨宿りがてらアイス買ってもらったのもあります。俺がアイス齧ってる横で、兄さん煙草吸ってました。法事のときもそうだったな、夏だったから喪服着てんのが辛いし親戚連中の話もつまんないしで、兄さんが台所に煙草吸いに行くたびについていってぐだぐだ話してた覚えもある。

　ああ、夏のが多いってのはありますね。何だろうな、言われてみれば偏ってますね。あれですかね、記憶に残りやすいんじゃないですかね、夏のあれこれ。光が強いだけ、影とか色も濃くなりますし。あとは蝉うるさいし、シンプルに暑いし。生き物がうるさいんですよね、夏。

　で、そんな具合で、あー……素敵な兄なんで、俺の知り合いが軒並みそっちに寄ってくんですよ、冗談みたいな話ですけど。

　何ていうか、説明すると馬鹿みたいな内容になるんですけどね。

　友達とか彼女、家に呼ぶじゃないですか。一緒に勉強するとか漫画読むとかゲームするとか、そういう感じで。俺は、つうか田舎はそうなんですよだって外で遊ぶ施設とか全然ないから。金使わないで暇潰そうとすると、どうしても家に出入りすることになるんですよ。そういうわけなんで、親しいやつほど家に来る頻度が高くなるんです。

　あれですね、家来たときにたまたま兄さんがいて鉢合ったとか、俺がちょっと部屋から出てたらいつの間にか入ってきてて仲良くお話してたとか、そういう感じです。そこから……何だろうな、気づくとやたら親しくなってるんですよ。

　今日はお兄さんいないのって言い出したら大抵駄目ですね。

　部屋で遊んでたら当たり前に兄さんが入ってくるようになって、そのうちラインのグループに兄さんが追加されてて、そんで友達と兄さんのやりとりが増えていって俺は既読とスタンプ押すだけになって、みたいな。さすがにグループから蹴り出されるほど露骨なことはされたことないですね。別にね、そんなんしなくても兄と別グループ作ればいいだけですから。そんな当てつけみたいな真似をするほど嫌なやつらじゃなかったんですよ、みんな。彼女はさすがに俺からブロックしました。そこはね、さすがに。

　そういうわけ、なんですけどね。

　俺の友達とか彼女とかが気づくと兄に巻き取られて疎遠になってくってのは、それ自体はしょうがないなって思うんですよ。それでどうこうってするのも行儀が悪いし。人の気持ちに指図すんのって傲慢じゃないですか。金貸してたとか生活の世話とかの義理があるならまだしも、たかだか気が合ったぐらいの動機でそこまでの口出しはできないでしょう。契約とかしてたわけでもないんなら、尚更。金だって三桁ぐらい貸してようやくあれこれ言えるんじゃないですかね。俺は少なくともそうですよ。百万二百万積まれたらまあ、痛くない範囲でなら言うこと聞くように努力します。今の先輩みたくスタバのコーヒーにサイドメニュー一品くらいの奢りならあれですかね、目の前で落とし物したら声かけてやるくらいはします。人間の相場ってそんな感じじゃないですか。個人差はあるでしょうけど。

　そんでまあ、兄さんに鞍替えした連中、そこそこ死ぬんですよね。

　鞍替えってのもね、あんまりいい言葉じゃないのは分かってます。でも他にいい感じの言葉が思いつかないんで……。

　そんで先んじて言っときますけど、兄さんが殺人犯とかそういうんじゃないです。事故死とか病死とか行方不明とか、穏便な……穏便ってもんでもないですね。そういう、事件性の薄い死に方をします。

　言い方がめちゃくちゃ悪いですけど、勝手に死ぬんですよ。

　旅行先の駅出たところで車に轢かれたり、飲み屋の階段から落ちたり、スーパーの駐車場でスッ転んで頭打ったり。行方不明のやつなんかあれですよ、自宅で家族と飯食ってる最中にちょっと電話してくるって自分の部屋に戻ったっきり見当たらなくなったって噂ですから。玄関に靴残ってたとか言う話なんで、失踪っていうよりほとんど神隠しですよね。当たり前ですけど兄さんがどうこうできるもんでもない。

　そういうことがあると、兄さん、じっと俺を見るんですよ。申し訳ないような、それでいて何かを期待するような、うっすら嬉しがってるような、そんな顔で。あれお前の友達だったろうかわいそうに、みたいなことも言ってくれる。だった、なんですよね。事実ですけど、わざわざ言われるのも……念押しみたいだなってのは、思いますけど。

　でもまあ、俺としては困るっていうか、どうしようもないんですよ。

　ほら、一応俺、捨てられたとか飽きられたとかそういう立場なわけですし。呼ばれたら葬式には出ますけど、それだって内心複雑ですよ。ごめんな俺より兄さんに来てほしいよなとも思いますしね。それはほら、そうでしょう。だって俺放っておいて兄さんに夢中になってたわけだから……すごいな、口に出すとめちゃくちゃ気色悪いですね。でも事実なんですよ。だから俺、地元に友達いませんもん、みんな駄目になっちゃったし。

　何なんですかね。喋っておいてなんですけど、俺も全然分かってないんですよ。

　理屈がね、あるようなないような……兄さんに人が寄っていって、そいつらがみんなしてろくなことにならない、みたいな。因果関係とか説明できないでしょう。事実、っていうか実例がいくつかあるだけで。嫌な感じの推測はできるけど、それを確定する方法が分からない。

　あー……誘蛾灯って、あれですよね。夏になるとコンビニの軒下でびかびかしてる青いやつ。今あんまり見ませんけど、どういう物かは分かります──いや、分かりますよ先輩の言いたいこと。虫は本能で光に寄っていくし、光に釣られて飛び込んだ虫がどうなるかって、そういうことですよね？　どうしてそれが人間でできるのかったらやっぱり分からないけど、そういう道理なら、まあ……納得はしますけど、随分よくない感じになりますね、これ。

　だって、俺の友達とか彼女とか好きだった人がみんな虫けらみたいなもんだったってことになりませんかそんで俺がそいつらに見限られたってことになるじゃないですかそんなの。

　済みません。少し……少しだけ、動揺しました。大丈夫です。駄目ですよね、お店で大声出すの。

　話戻します。夏の、俺の里帰りと先輩の旅行の話、ですよね。

　んで、念押しになるんですけどね。家族は大歓迎なんですよ先輩が家に来るっていうなら。勿論、兄さんも。

　だからあれですよ、俺の良心ですね。関連性は明言できない、けど一応こういうことがあったんですよっていう事実だけ提示した、って感じです。

　警告っていうと大げさですけどね。とりあえず事前説明だけは欠かさない方がいいかなって……騙し討ちみたいなの、嫌じゃないですか。後味も悪いし。俺も久しぶりなんですよね、友達家に連れていくの。だから、どうなるか全然分からない。

　で、もう一回聞くわけです。俺、親切なんで。あとはあれだ、同じ銘柄のよしみぐらいでどうですかね。喫煙所でよく顔合わせる相手がいなくなると、ちょっとは寂しくなりますし。嘘じゃないですよ、やだな、そこで嘘言って何の得があります。

　先輩、一緒に来ます？　兄さん、待ってると思うんですよね。あんたに会えるの、きっと。