第16話 夜。変貌する世界


 壁は夜と言っていたけど、いったいどの時間帯がいいのかわからないので、完全に陽が沈むのを待つことにした。


 持ってきた保存食で軽い夕食を済ませる頃には、辺りはすっかり暗くなり、時刻は夜の九時をまわっていた。


「さ、さあ、行こう」


 自分を鼓舞するために、わざと声を出しながら靴をはき、懐中電灯を持って家を出た。


 家の門から先に広がる光景を見ると、やっぱりやめちゃおうかなとか、そんなことを考えてしまう。


 先日感じた郷愁は消え去り、今はただ広がる深い闇が恐怖と不安をかきたてる。


 月が出ている分、いくらかはマシだったけど、どちらにせよクスノキまでの道のりは険しそうだ。


 自然と、懐中電灯を握る力が強くなる。道だけは間違わないようにしなきゃ……。


 歩き出して数十分。自分でも驚くほどすんなりとクスノキのある祠についた。


 だけど、気を張ったまま歩き続けたせいか、くたくたに疲れてしまったので、近くの古びたベンチに尻もちをつくように座った。


 なんとなく、懐中電灯でクスノキを照らす。


 とてもじゃないけど、懐中電灯くらいの光源では、木の全体は見えなかった。


『――だらしないねぇ――』


 ぐったり座ったまま、なかなか立ち上がれない私の隣に、いつの間にか着物姿の女の子が座っていた。


 その女の子は、顔よりも大きなキツネのお面をかぶっており、明らかにこの世のものではないような、異質な雰囲気を身にまとっていた。


 だけど、不思議とその女の子から恐怖を感じることはなかった。むしろ、なぜかぬくもりを感じることができた。


「よ、夜道になれていないだけですよ……」


 精いっぱいの強がりをしてみせたけど、


「ふん。たんに怖くてびくびく歩いていたからだろうに。まったく、お前は昔から変わってないねぇ」


 女の子から思いっきり図星をつかれたところで、女の子が足をぶらぶらとさせながら、カカカと軽快に笑う。


「昨日の壁といい、君といい、夕方の影といい……小さいころの私は、よっぽど変な子だったんだね。人じゃない知り合いが多すぎるよ」

「そうさねぇ。わしもあの壁もあの影も、お前のことはよく覚えとるよ。ちんまくて泣き虫のくせに、妙に度胸だけはあったからねぇ」


 キツネのお面の奥から聞こえる声からは、暖かい優しさがにじんでいて、そこはかとない心地よさに思わず私は目を閉じた。


 そして目を開けると、そこにはもう女の子の姿は消えてなくなっていた。


 踏まれた痕跡の無い枯葉が、女の子がやはり人ではない存在であることを証明していた。


「私の無くした大切なモノって……いったい、なんなのかな……」


 姿は見えないけど、きっとどこかで聞いている。そう思い、声に出して聞いてみた。


 ……チリン……。


 誰も答えてくれなかったけど。


 代わりに、振ってもいないのに。


 鈴が、小さく音を鳴らした。


 風が強く吹き上げる。


 鈴の音を引き金に、世界が一変する。


 もう、不思議なことには驚かない。だって、もう、この村に来てから、不思議なことだらけなんだもの。


 私はそんな風に高をくくりながら、大きく変貌していく世界を傍観していた。

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春紫菀 日乃本 出(ひのもと いずる) @kitakusuo

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