応援コメント

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  • そういえば家康って最初はバツイチ、要するに後家マニアで晩年はロリコンでしたね(笑)

    作者からの返信

    秀吉ほど見境はないわけではないですけど、家康さんも毛利元就(70歳越えで孫より年下の男児産ませる)も大概なんですよね…。
    でも、何故か大友宗麟とか敗者だけ悪名が付くのには納得がいきません(涙

  • 太田道灌さん、最近銅像にお会いしましたが猿叩きの話はこちらが元でしたか😂

    道雪公の肖像画をみるといかにもやらかしそうなので実話だと思ってました!

    高橋紹運公の結婚話も明智光秀の話と被ったりしていますよね😅

    後世の人々にとって都合が良いように作られてる部分が相当にありそうで、それもまた面白いです😁

    作者からの返信

    時期的には太田さんの逸話からの派生と思うのですが、知名度から行くと秀吉の方が先かもしれません。ただ宗麟さんは知名度が低いので立花家が有名な話をパクったのだと思います。

     私も元ネタ本を見るまでは否定できなかったのですが、重箱の隅をつついてみたら時代認識が間違っているので、疑わしいと説得できるように成りました。
     他にも、大名が幼少時、家臣が○○地方の主となれますように。と願ったら、何故日本の大将となれるように願わなかった。それ位の大望をもって初めてその願いは達成されるのだぞ。と言って周りを感動させる話も大友宗麟や毛利元就他有名武将で確認しています。
     良い話は受けが良いのでパクられやすいのでしょうね。
     軍記物は時代順に読むと、どの話を使っているのか?どう訂正されたかが分かって面白いです。

  • 徳川家康を二回繰り返すあたりがw

    作者からの返信

    大事な事なので何度でも言っておりますw。
    側室20人もいるのに好色とは言われない、不思議!


  • 編集済

    さらに詳しくありがとうございます✨
    西大友町と地名にもあるんですね☺️
    新幹線も高速道路もない時代に陸続きでもない九州に渡ったのかと思うと大友家すごい❗️

    大友興廃記も創作小説(タイトルから笑えました😂 )も読むのが楽しみです❗️

    作者からの返信

    お読み頂きまして誠にありがとうございます。
    本書は与えられた情報から妄想したものなので、実際の作者は
    安東侗菴と山崎さんなのですが、こうした事業を行う時には藩で一番の学者にお伺いをたてるだろうから、その流れで息子と棚倉時代から加入したと思われる山崎さんに御鉢が回ったのではないかな?と推測して書いてみました。
    責任は重大だけど人知ではどうしようもない仕事ってストレスが半端無いので息子さんが早死にしたのは燃え尽きが原因かもしれませんね。

    大友家は元々神奈川の西大友町が本貫地で、それが縁で鎌倉幕府の要人になれたと言われてます。
    その子孫が内部争いを避けて元寇を口実に領地の豊後に避難して土着したそうで、上野国利根庄だった神奈川県三浦郡葉山町の吉祥寺は、大友家の発祥の地である利根庄に聖地建立と供養を兼ねて建てられ、7代氏泰が父貞宗の意志を継ぎ、建長寺の高僧円月を開山として創建したものといわれています。
    他にはゆかりのあるものが殆ど無いのが悲しいですが。
    大友興廃記の物語は筑後より佐伯や臼杵が中心なので立花・高橋家は殆ど登場しないのですが、楽しんで頂ければ幸いです。
    もう一つは、歴史知識を投げ捨てたエンタメ特化なのでお楽しみ頂ければ幸いだけど、どうかなーとドキドキしてますw

  • 第2話 鑑連公系譜の事① への応援コメント

    『そこらへんは知っとけよ』
    「言い方」

    ちょいちょいあるツッコミに受けますね。
    続き楽しみにしてます。

    作者からの返信

    言葉芸に反応して頂きまして誠にありがとうございます。
    内容が小難しい部分がるので、少しでも楽しく読んで頂けるよう頑張って書きます。
    翻訳自体はすでに終わっているので、それをもっともらしい物語で紹介しきれるかが今回の肝なので、まじめにふざけた文章を書いていきたいです。

  • 『100年前の事なんて誰も知らねーよ』
    これは私の勤める会社が100周年超えたって事で会社の創業からの歴史を纏めた記念冊子を造らされた先輩の言葉です。

    戦前位のわりかし資料が残っていて又聞きレベルでの口伝が残っていた現代でも大変だったのに、あやふやなげなげな話にお寺の日記等などを編纂して歴史資料?を創られた方々には頭が下がります。

    立花道雪公と愉快な家臣団の大活躍はすごい好きなので楽しみです。
    (休松の戦いで兄弟&家臣団半壊させられて、僅か2年後に多々良浜の戦いで毛利両川をぶっ飛ばせるくらい戦力を復活させた事と、重臣たちがわりと戦死せずに戦国時代完走してる意味のわからなさが好きです。

    作者からの返信

    新聞という記録媒体があっても欲しい情報は見つけにくい。
    先輩の苦悩が忍ばれます。
    軍記を読んでると「あ、ここ分からないからあきらかにねつ造したな」とか、これはあの文献の引用に自分の説を付けくわえたとか分かるようになりますが、昔はその引用先を探して読むだけでも一苦労でしたでしょうから本当に先人の記録には感謝です。
    人の書くものなので、贔屓の武将やマイナーだけど筆者には身近で知っていた人とかいたと思われるので、そうした方たちを楽しんでみていただければ幸いです。
    お読みいただき誠にありがとうございます。