応援コメント

第6話 鑑連公 初陣の事② 史料がない(2回目) P13」への応援コメント


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    さらに詳しくありがとうございます✨
    西大友町と地名にもあるんですね☺️
    新幹線も高速道路もない時代に陸続きでもない九州に渡ったのかと思うと大友家すごい❗️

    大友興廃記も創作小説(タイトルから笑えました😂 )も読むのが楽しみです❗️

    作者からの返信

    お読み頂きまして誠にありがとうございます。
    本書は与えられた情報から妄想したものなので、実際の作者は
    安東侗菴と山崎さんなのですが、こうした事業を行う時には藩で一番の学者にお伺いをたてるだろうから、その流れで息子と棚倉時代から加入したと思われる山崎さんに御鉢が回ったのではないかな?と推測して書いてみました。
    責任は重大だけど人知ではどうしようもない仕事ってストレスが半端無いので息子さんが早死にしたのは燃え尽きが原因かもしれませんね。

    大友家は元々神奈川の西大友町が本貫地で、それが縁で鎌倉幕府の要人になれたと言われてます。
    その子孫が内部争いを避けて元寇を口実に領地の豊後に避難して土着したそうで、上野国利根庄だった神奈川県三浦郡葉山町の吉祥寺は、大友家の発祥の地である利根庄に聖地建立と供養を兼ねて建てられ、7代氏泰が父貞宗の意志を継ぎ、建長寺の高僧円月を開山として創建したものといわれています。
    他にはゆかりのあるものが殆ど無いのが悲しいですが。
    大友興廃記の物語は筑後より佐伯や臼杵が中心なので立花・高橋家は殆ど登場しないのですが、楽しんで頂ければ幸いです。
    もう一つは、歴史知識を投げ捨てたエンタメ特化なのでお楽しみ頂ければ幸いだけど、どうかなーとドキドキしてますw