第6話 鑑連公 初陣の事② 史料がない(2回目) P13

「困ったのう」

 浅川聞書をめくりながら安東は頭をかいた。

「どうした?安東殿」

 安東と共に柳川藩の記録である立花記を編纂している山崎は余り聞きたくなかったが、職務上尋ねないわけにもいかず質問する。


「初陣から天文19年(1550)まで道雪公の記録が見当たらん」


 実は大友家は1538年に脅威だった大内家と和睦し、その間戦争らしい戦争が起こっていなかった。

 これではいくら武勇の誉れが高くても活躍のしようが無い。


「何でも良いから大友義鑑(大友宗麟の父)の代での記録はないかのう」

 やっと始まると思った物語だったが、2話目で大きな断絶が見つかった。気分は最悪である。


 仕方が無いので親しい家に頼んで書状を探し、各家の御先祖様が授けられた感状(感謝状のようなおほめの言葉が書かれた用紙。家の武勲を証明するのに必要)を探してみたのだが、一つ問題があった。

「うーん。どれも年代が分からぬのう」

 この時代の九州の書状は子供の元服とか都からの書状で無い限り書いてあるのは月日だけ。

 何年の出来事なのかは書かれていないのである。

 そのため都の貴族や八代の武士に薩摩の家老が書いた日記などで年代が確定した事象から推測するしかないのだが、当時はそのような記録は見られる訳も無いので、年代に着いて盛大に間違っていたりする。なので

「よく分からんが、この書状たちから判断すると、こんな話になるのでは無いじゃろうか?」

 と この立花記も例にもれず、年代を見事に間違っていた。

なにしろ参考にしたのが大友義鑑が既に死亡した大友興廃記の『秋月文種御退治』の話を元にしているのだから。


 では彼らの悪戦苦闘の結果を見てみよう。


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(以下、立花記を現代語訳する)


 大友左衛門尉義鑑(1502~1550)は21代目の家形(=屋形)として風栄さらにたぐいなく、天文弘治の初めに豊筑肥の6州をことごとく攻め従え意のままに治めれば、いつしか心淫乱れて政治にも邪な事が多くなったので城主たちも心中で疎んだ。

(✖大友義鑑は2国の守護でしかなく、6国を収めたのは大友宗麟の時代。それも1559年6月に豊前・筑前・筑後守護となり(先宗634号)初めて6国の大名となりました。今回の話より2年後の事です)


 当時、毛利元就は家を興した人なので才智は人に優れ政と刑がもっともで善ならば隣国で家風を慕うものが多かった。

(✖周辺の領主が毛利に従ったのは大内家の領地を取りこんだからであり、家風を慕ったわけではありません。これは元就本人が『自分の家の味方はいない』と書状で内心を吐露しています)


 元就はもとから「九州を併吞したい」と思ったので豊筑肥の城主給人に(元の領主だった)大内との旧約を結ぼうと密意を通した。

 この事は深く隠していたが(大友に)露見し、筑前の秋月文種と肥前の筑紫惟門が毛利に寝返ったと沙汰があれば、義鑑は大いに驚き、日をおかずに攻め滅ぼそうと、(戸次)鑑連を追手(=本陣)の大将に、田北大和守鑑冨・臼杵越中鑑速・吉弘左近太夫鑑理、その他に志賀・一万田・吉岡・田村・佐伯・朽網・小原達を侍大将にし、弘治3(1557)年7月11日に筑前国古処山へと押し寄せた。

(✖この年に秋月氏が反乱を起こして退治されたのは正しいですが、7月7日に宗麟が古処山落城を賞する書状があるので(先宗2巻769号)秋月が討ち取られたのは7月11日以前でしょう。また 小原氏は1556年に反乱を起こしたとして討伐されており、参加は難しいです)


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「のう山崎殿」

「どうした安東殿」

「秋月の反乱と言うのは大友宗麟公の時代の出来事ではなかったか?」

「いや、宗麟公の時代にも反乱をしているが、父君である義鑑公の時代にも反乱を起こしていたような気がするぞ」

 それは今回の話の秋月文種の父、秋月種時の話なのだが史料が限られている彼らには分からない話だった。

 というか代替わりするたびに筑後の領主は反乱を起こす事が多いので『秋月退治』と名字しか書いてないと誰を討伐したのか分からないのである。

 何の✖ゲームだろうか?


 否定する根拠資料も無いので、親子ほどの年代を盛大に間違えたまま記述は続く。


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 2万の寄せ手どもは峯と里から陣営をして翌日早天より軽率(足軽)を出しつつ鳥銃を(撃って)たびたび戦った。

 もとより高山険阻にして九州無双の要害だった(古処山に籠り、)勇猛不敵の秋月文種が譜代相伝の士卒を領して守れば、容易に抜けない様に見えた。

 そこへ城中より1500騎が門を開けて出陣し鑑連に切りかかった。

 鑑連はこれに渡り合わせみずから先駆けて戦った。

 中でも小野大蔵は多くの敵を斬って倒し、我が身も数カ所傷を負いついに戦死を遂げた。


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「小野家より借りた書状を使ってみたが、兵士の数は書かれておらんかったのではないか?」

「大丈夫じゃ。太平記とか見て見よ。あれ、絶対に兵数を10倍に水増ししておるはずじゃから」

 軍記物に登場する兵士の数は多く盛れば盛るほど良いと考えている事が多く、平気で万単位の兵士が戦ったり死んだりする。

 今まで読んだ軍記物で数が正しいと断言できるものは一つも無かったくらいである。

 それでも彼らは判断材料が乏しい中、何とか書き続けた。


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 これを見て道雪の兵どもは一度にどっと攻め掛かり、射れども突けども事ともせず乗り越え戦ったのでさしも猛威の秋月勢も負けるように見えた。

 そこへ臼杵・佐伯をはじめとして大軍が攻めてくれば秋月勢はかなわずにどっと崩れて城中に引き返した。


 鑑連は隙間もなく追いかければ秋月勢もここの険路、かしこの峡隘にて どっと返して戦ったが、鑑連に攻め詰められ大勢が討たれ、邑城に退けば由布源五左衛門・後藤市弥太一番に切って入り、数か所の傷を負いながら(秋月の)大勢を追い払い、鑑連を先として続き、詰めの城に追いこんだ。


(大友家が秋月を)数日攻め続ければ19日秋月の長臣、古野(小野?)四郎右衛門というものが(秋月に)かねてより怨みがあったので、寄せ手方に内通して豊州勢を引き入れた。

(✖秋月は7月7日に落城しているので日付は間違い)


 由布源五郎、後藤市弥太、安東又治郎が一番に切って入り敵の射る前に由布の僕従が大傷を負ったので、ただ3人で館の内に切り通った。

 これに利を得て鑑連の兵 綿貫勘解由を先として一度にどっと攻め入った。


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 と分からないなりに筆を進めながら安東は思った。

「これ、仮に各家の書状が公開されて正しい歴史が分かった時、我々はもの笑いの種になるのではないか?」

 中華の史書、三国志という陳寿が書いた本でも後の世に正誤を判断され、誤った記述や贔屓には厳しい注釈が付いていた。

 それを考えると、この史書編纂作業は後世に自分の名を汚点として残す作業ではないだろうか?

「………あの糞親父」

 何故自分の父が自分にこの役目を回したのか分かった気がする。

 ようするに、自分達は生贄にされたのだ。


 これから後、創作で書いた部分は後の世の人に嗤われ、誤りを指摘されては学習不足をなじられるだろう。そう思うと自分達のやっている事が非常な徒労に感じられた。

 だがこれは藩命である。

 分からないし、汚名が付くのは嫌だから辞めますなどと言えるはずもない。

「このまま進むしかないのか」

 安東たちはヤケクソ気味に筆を進めた。


 彼らにとって不幸でもあり幸福だったのは、立花記はそこまで注目されず活字化は皆無。昭和時代に草書体で一度清書されたがそれからほとんど話題に登らず議論される事もなかった事である。


 それが良かったのか悪かったのか分からないので、筆者も現代語訳してみたのだが殆ど反応が無かったのでこうして小説による小遣い稼ぎのネタにさせて貰った。

 あの世で彼ら二人+他の軍記物作家から怒られても文句は言えないだろう。



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 なお大友興廃記では秋月討伐の際の裏切り者は『秋月家老の小野四郎右衛門という悪逆無道の不敵なる者が情けなく文種を討ってその首級を豊後陣へ持参した。』とあり、古野四郎右衛門という名が似てますが、彼が首を差し出したと言う点が異なっています。

 興廃記の小野はその後

『小野四郎右衛門は豊後に住んだが君に背いた悪逆者だったので義鎮公は恩賞も与えず諸人皆後ろ指を指したので京都へ登り、筑前国秋月の某と名乗り織田信長公の家に入って奉公を望んだ。秋月は有名だったので召し置かれて戦功をあげ、永禄の末に美濃の合戦の時、ある者と先を争い共に討ち死にした。しかし今一人の死骸は小野より7・8間(140m)先にあり、諸人は「日頃先を争っていたが四郎右衛門の方が後だった」というと小野は死骸より7・8間先に進んで死んだ。「このように不敵なる者だから累代の主人を殺し首を持参したのだなぁ」と人々は言い合った』と因果応報の最期を遂げています。


 こんなどうでもよい小ネタを知っているのは私くらいと思うので一応書き記しておきます。

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