後編


 それから一か月ほど。ツクモさんとの生活は続いている。

 本日は土曜日。朝から小言だ。

 付喪神という名称から古めかしいひとを想像しがちだけど、服装だけ見ればその辺を歩いている兄ちゃんと大差ない。

 つまり同世代の男性が同じ屋根の下にいるという状況なんだけど、あまり緊張感がないのが不思議である。


 付喪神の存在を知ったとき、祖母に訊ねたことがあった。

 どんな顔をしているのかという質問に対して祖母は「出会ったころの正之まさゆきさんに似ているかしらねえ」と嬉しそうに笑っていた。ノロケか。ちなみに正之とは祖父の名である。

 ツクモさんが祖父に似ているのかどうか、わたしにはわからない。古いアルバムでも見れば、若いころの写真が出てくるのかもしれないけど、わざわざ発掘する気力もないし。

 顔は似ていると仮定しても、性格は似てないと思う。祖父はこんなに小言をいうひとではなかったし、辛辣でもなかった。

 血の繋がらない子を引き取って、その子どもが素行不良の果てに身ごもり、あげくに置き去りにして音信不通。

 こんな話を聞いたら、たいていのひとが眉をひそめると思うんだけど、祖父はわたしに対してすこしも嫌な顔をしなかった。少なくともわたしには見せなかった。

 この環境下でわたしがそれなりに育ったのは、祖父母の人柄があってこそだろう。

 保育園に通いはじめたころ、親世代は母のことを知っているから、ヒソヒソ噂をして。親の態度を見て、子どもたちもわたしを『普通ではない子』として扱うようになった。

 わたしも子どもなりに、母親がおかしいことはわかっていたし、祖父母もそのことを変に隠すような真似はしなかった。


 朝子ちゃん。まわりのひとが、キミに対していろいろなことを言うだろう。

 やられたら、やりかえせ。とは僕は言わない。

 なにが正しいのかはわからないから、僕たちと一緒に考えてみよう。


 祖父がそう言ったことは憶えている。

 当時から、我が家にはルールがあった。

 それが「その日あった良いことと悪いことを、ひとつずつ話そう」というもの。

 なんでもいい。たとえば、赤信号にひとつも引っかからなかったとか、学校からの帰り道、蹴っていた石が無事に家まで到着したとか。

 悪いことは、ちょっとイヤだなって思ったこと。他人にされたことだけじゃなく、自省もあり。

 ずっと続けてきた夫婦円満の秘訣なのよと、祖母はニッコリ笑っていたけど、それは的を射ている気もする。

 長々と話す必要はないけれど、ちょっとしたひとことだけでも相手に伝える。

 喧嘩中であっても適用されるルールのため、そんなときでも「良いこと」をくちにすることで、ポジティブな気持ちが生まれるだろう。

 家に来たばかりの幼児にも発言のしやすい場所をつくろうとしてくれていたのだと、ある程度大きくなってから気づいた。

 このルールのおかげなのか、わたしは結構いろんなことを憶えている。

 母に捨てられたような状態だったわたしを笑いものにしていた園児たちをいさめたのは、先生ではなく、同じ組に属していた男の子だったことは、とくに強く記憶している。


 それは朝子ちゃんのせいじゃないし、朝子ちゃんになにができることでもない。

 問題をかいけつするのは、おとなのしごとだとおもう。


 五歳児とは思えない冷静な発言をしたのは、賀川かがわ深雪みゆきくんという男の子。

 地元では有名な賀川さん。付近ではちょっと目立つぐらいに大きなお屋敷を構えているので、子どもだって「あそこんはちょっと違う」と本能的にさとるぐらい、すごい家の子だ。


 その発言に妙な説得力があったことにも理由があった。

 家に帰って「今日の良いこと」として報告したとき、祖父母が教えてくれた。

 深雪くんもわたしと似たような境遇で、賀川家の長男夫婦の子どもではあるけれど、本当の母親は賀川家の三女。留学先であれこれあったらしく、父親の素性ははっきりしないのだという。

 このあたりは、役所勤めの祖父の本領発揮というやつで、手続きや根回し等、随分と尽力したそうだ。

 そんな事情があるので賀川さんは祖父母に大変な恩義を感じており、わたしの事情もおもんぱかってくれたというのが経緯だろう。深雪くんは、似たような立場にあるわたしのことを、子どもなりに庇ってくれたというわけだ。

 年齢のわりにおとなびた深雪くんは、子どもたちにとっても「なんかすごいやつ」って存在だったので、彼が言うのならそうなのだろうと単純に右へ倣えとなり、わたしはほどなく地域に溶けこんだ。

 進学以降はここを離れていたので、同級生たちがいまどうしているのかは定かではない。


「知りたくば教えてやらんこともないぞ」

「なんでうちから出られないのに、そんなこと知ってるのツクモさん」

「美栄子を訪ねる者は多かったからな。耳に入るというものだ」

 壁に耳あり、我が家にツクモさん、である。

「私はなんでも知っておるのだ。朝子がまともに食事を取っていないこともな」

「食べてないわけじゃないよ。たしかにうちでは、あんまり食べてないかもしれないけど」

「美栄子が旅立ってから、米を炊いたか? 湯を沸かす以外に火を使って調理をしたか?」

 ツクモさんの弁はわたしの胸を刺した。

 いつもの小言ではなく、ただ淡々と事実を明確にするような言葉に、反論ができなくなる。

 五合焚きの炊飯器はコンセントには差し込んであるものの、最後に触ったのがいつだったかわからない。フライパンはガスコンロ台の下に収納したままだし、活躍しているのはヤカンぐらい。

 食器棚に並んだ皿はほぼ使うこともなく、せいぜい買ってきた割引の総菜をレンジで温めるために小皿を使う程度の生活。

 台所に設置している大きなテーブルは、祖父母と暮らしていたころは普通だったけれど、わたしひとりでは妙に広々として寒々しい。孤独を増長させられる。

「朝子よ」

 知らず俯いていたわたしにツクモさんが言う。うつろなまま顔を上げると、正面にツクモさんが座っているのが目に映る。

 自分以外の誰かがいる、という状況に対し、不意に胸が熱くなった。

「しばし待たれよ」

 そう宣言したツクモさんは立ち上がると、コンロの前に立つ。

 ヤカンに水を入れて火にかける。食器棚から汁椀を取り出し、ついでに中皿も出す。

 冷蔵庫へ向かうと卵を取り出し、続いて冷凍庫に入れっぱなしになっていたカット野菜の袋を取り出した。小さめのフライパンに油を引くと、野菜を炒めはじめる。

 ジュウと音を立て、匂いが漂ってきた。

 卵を割る音と、菜箸で軽くかき混ぜる音。

 熱をもったフライパンへ卵液を流しこむと、一際大きくじゅわりと音が響き、掻き混ぜる音が続く。

 ヤカンの笛が鳴り、お湯が沸騰したことを告げる。

 ツクモさんは棚に保管してあったインスタントみそ汁を取り出し、お椀に味噌と具を投入して湯を注ぐ。ふわりと、みそ汁の香りがわたしの鼻に届いた。

「私は多くのことはこなせない。この程度が関の山だ」

 言いながら炊飯器を開ける。いつのまに仕込んであったのか、ご飯が炊けていた。

 炊き立ての匂いなんて、いつ以来だろう。茶碗にこんもり盛られた白米とみそ汁、冷凍野菜のたまご炒め。

 湯気を立てるそれらがわたしの前に並べられた。

 およそ料理とも言えないようなものかもしれないけれど、その程度のことすら、祖母がいなくなって以降、わたしは成していなかった。

 目前の光景に体が震える。目頭が熱くなってくる。

 わたしがまともに食事を取れなくなった理由は、祖母が亡くなったあと、不意に気づいたからだ。

 この家で、このテーブルで。

 自分以外の『誰か』がご飯を作って並べてくれることは、この先、もう二度とないのだと気づいてしまって、ご飯が美味しくなくなった。なにかを食べたいという欲求がなくなったのだ。

 出来たばかりのご飯の匂いを吸い込んで、わたしはひさしぶりに思った。


 ああ、お腹空いたなあ。


「いただきます」

「ふむ」

 手を合わせて箸を取る。ありふれたインスタントのみそ汁でさえ、こんなにも美味しい。

 塩で味付けしただけのシンプルな野菜炒め。

 ああ、おうちのご飯って、こんな味がしたんだった。

 総菜に慣れた舌が懐かしさに喜ぶ。

 炊きたて艶やかな粒の白米は、なにもつけなくても甘くて美味しい。

 美味しい。

 ああ、美味しいなあ。


 鼻水をすすりながら食べ終えたあとは、食器を洗って乾燥機へ。

 朝起きてからスイッチを入れてあった洗濯機はとっくに脱水を終えていたので、取り出して干すことにする。

 南側にあるベランダへの戸を開けると、晴れ渡った青空が目に飛び込んできた。

 いつも夜のうちに洗って干して、日が暮れて帰ってきてから取り込む生活を送っていたから忘れていた。

 昼間の空はこんなにも青く、清々しい。


「朝子、掃除機ぐらいかけるがよい。今日は来客があるのだろう」

「あー、不動産屋さん」

 この家の処遇については、不動産屋に任せてある。

 生前、祖母は賀川さんに相談を持ち掛けていたらしく、わたしも全面的にお任せしていた。地元の名士は不動産業にも顔が効く。金持ちすごい。

 来客用の和室に掃除機をかける。

 窓を開けて換気すると、冬の冷たい空気にピリリと満たされるが、なんだかそれすら気持ちがいい。

 目の前が晴れたような感覚。我ながら単純だ。

 失われていた気力が復活してくる。

 ご飯を食べないと駄目って、本当なのかもしれない。

 さて、お客さんを迎える準備をしよう。

 飲み物は珈琲? 緑茶?

 それ以前に茶菓子すらない我が家に呆れつつ、かといって今から気軽に買いに行ける店もない。車がないと生活できない地域あるあるだ。

「ねえ、ツクモさん。賀川さんにお出しするなら、どっちかな」

「訊ねればよかろう。知らぬ仲でもあるまいに」

「たしかに顔見知りではあるけど、そんな気軽な仲じゃないよ」

 相手は父親世代。日常的に顔を合わせているわけでもないひとに対してフレンドリーに話ができるほど、コミュニケーション能力は高くない。

「来たか」

「え?」

 ツクモさんが呟く声に重なるように、玄関チャイムが鳴る。次いで「ごめんください」という若い男の声。

 え、誰?

 急いで玄関に向かい、扉を開けた先に居たのは、眼鏡をかけた若い男性だった。あきらかに賀川さんではない。わたしと同世代に見える。

「あの……」

「父が来る予定だったんだけど、おまえに任せるから行ってこいって言われちゃって。突然ごめん。えーっと、僕のこと、わかる……?」

「――みゆ、くん?」

「うわ、その呼び方すっごい久しぶりに聞いた。だいたい『ゆき』のほうで呼ばれるからさ、昔っから、朝ちゃんぐらいしか言わないんだよ、それ」

 口元を緩ませて穏やかに笑む。

 大きく感情を表に出さないその笑い方を最後に見たのは、いつだっただろう。

 別の高校に進学して、すっかり顔を合わす機会が減ってしまった賀川深雪くんは、幼いころの雰囲気をどこかに残しつつ、しっかりとした社会人に成長していた。

 家族だし、父親の代理でやってくるのは、そうおかしなことではない。彼は同級生だし、縁もゆかりもない他人というわけではないのだから。

 わたしがひどく驚いたのは、彼の顔である。

 だって彼は――成長したみゆくんは、ツクモさんと同じ顔をしていたのだ。

 黒いフレームの眼鏡を外してしまえば、ツクモさんそのものかもしれないってぐらい。いったいどういうことなんだ、これ。

「えっと、とりあえず中にどうぞ」

「お邪魔します」



     ◇◆◇



 きちんと顔を見るのは中学校の卒業以来。懐かしいけど、変な緊張感もなくスムーズに会話が進んだのは、きっとツクモさんとの生活のおかげだろう。

 古いだけの我が家だけど、文化財としてそれなりに価値があるらしい。

 市の意向としても、できれば壊さず残してほしいということで、賀川さんを筆頭にした地域の皆様の援助も受けつつ、わたしはこれまでどおり住むことになった。本当にわたしは祖父母に守られていると感じる。

 景観を損ねず、けれど住んでいるひとが不自由を感じないデザインにするため、協力してくれたのはみゆくんだ。建築デザイナーをしていると聞いて驚く。



 それからのち、賀川深雪くんが城崎深雪になって、しばらく経ったある日。

 結婚して以来、姿を見せなくなっていたツクモさんの声に誘導されて、かつて祖母が使っていた奥の部屋にある、古びた鏡台の引き出しから手紙を発見する。

 懐かしい祖母の字で書かれた紙面には、ツクモさんの正体が記されていた。


 その昔、奥ゆかしく恥ずかしがり屋だった城崎のお嬢さまは、嫁入り道具となる鏡台に向かって話しかける。


 ねえ鏡さん、わたしの旦那さまはどんな方なのかしら。きちんと顔を見てお話する自信がないわ。


 やがて鏡はひとりの男を映し出し、顕現する。

 お見合い写真で見た男性と同じ顔をした不思議な誰かのおかげで、お嬢さまは緊張を強いられることもなく結婚生活を送ることができたそうな。

 以来、城崎の娘は、未来の伴侶の姿を模した付喪神を見るようになったという。


 だからねえ、朝ちゃん。これを読んでいるあなたは、もう大丈夫よ。元気でおやりなさい。

 女の子が産まれたら、ちゃんとお手紙を残さないとダメよ。ツクモさんは恥ずかしがり屋だから、自分のことは決して話さないもの。



「あれが恥ずかしがり屋? 皮肉屋の間違いじゃないの?」

 祖母の手紙に反論しつつ、鏡の表面を指で弾く。


 ――大事に敬え!


 鏡のなかにツクモさんの姿が映った気がして、まだ膨らみのないお腹をゆっくり撫でながら、わたしは笑った。




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ツクモさんとわたしの生活と未来のこと 彩瀬あいり @ayase24

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