終わり

「幸せ……か」


 雑居ビルの一部屋に四人と一匹はいた。啓蟄の季節はすがすがしいまでの快晴、そして時々流れる雲は薄く目に見えない花粉は大軍となって付着する。ただ、締め切った室内は虫にも花の粉にも襲われず気温も丁度いい快適な空間となっている。


「らしくないよ。ほらもっと笑って」


 彼女は男の口を掴んで無理やり笑顔にさせる。その光景を微笑まし気に見る船長と学友は会話を再開した。


「で、海底神殿ってのはひとつじゃないんだな?」


「断定はできないけど、あそこ一つだけってのは造りとして不自然かな」


 二人は嵐のとき以来時々あうようになった。話題は専ら魚の種類と神殿の話だ。


「また魚が突然取れるようになったところを探さないとね。岩礁ができましたってだけならいいけど、もし海底が隆起して神殿がでてきたら」


「おせっかいなあれがまた現れると」


「ははは、まぁ今のところそんな話聞いてないし、あっそうだ。前に釣った魚なんだけどね」


 探偵は机の引き出しから一枚の写真を撮りだして船長に見せた。


「……こては、でっけ」


「深海魚、びっくりでしょ」


「どこだ?」


「奈良」


「うん?」


「奈良の湖」


「っでおい」


 厄介な話題を持ち込んできたことに気付いたのは船長だけではなかった。


「探偵さん。面白そうな話?」


 彼女は彼氏の涎だらけになった両手をウエットティッシュでふき取りながら聞く。その表情は暗いどころか明るいものだ。


「もちろん。僕が保証するよ」


「ハルキが持ってくる話って大体突拍子もない、やめとけ」


「失敬な。淡水の湖から深海魚が釣りあがっただけの話題だよ。でも面白いでしょ」


 謎は謎のままにしておく方がよいこと、それは往々にして存在する。しかし、誰かが表にださなければ巨大な問題として帰ってくることも多い世界である。


「この世で一番幸運な男がいるし、ね。スポンサーも今回はついてきてるからお金ちゃんと貰えるよ」


「そんな危険なことしなくたって、株でいつもどうにかしてるだろ」


「いやぁそれが、ちょっと前に大暴落して大損したんだよね」


「……聞いてないが」


「内緒にしてたから。それで督促所がこんだけ溜まってて」


 写真の下にある資料と思っていた封筒類は全て家賃の督促状であった。学友は悪気もなく笑った。


「この湖の粘土か陶器に丁度いいらしくって、その筋から解決をお願いされてる。結構な額だし、受けない手はないね」


「にゃ」


 猫はいつも通り探偵の膝上で優しく鳴く。まだお昼寝の時間らしい。


「……ゆい。奈良行きの新幹線取ってくれないか?」


「今度は私もいくからね。船長はどうするの?」


 船長は無言で財布から数枚の紙幣を取りだした。


「足りなかっだらいっでくれ」


「にゃぁ」


「また近所のおばあさんに預かってもらうからねぇ。辛抱してねぇ」


 探偵は猫を持ち上げて言う。


「笑ってるよ、ルイ」


 彼女は背中を向ける男の表情が手に取るように分かった。


「今、幸せだなって。思ったんだよ」

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二十三ヶ郡 黒心 @seishei

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