願い

 男は大雨の中を鉄板を担ぎながらあるくという奇怪な姿で歩いていた。しかし、傘をさす人々は誰も彼を気にしていないようで、隣を通っても不思議そうにみることなく過ぎ去っていく。一種の過渡期なのであろうと疑問を捨てる。

 大通りの向かい側の側道その先の小さな空き地が彼の目的地だ。


「……」


 ついに、辿り着くまで誰にも話しかけられなかった。


 朽ちかけの鉄板の上に座る人間が一人、空き地にいる。鉄板は朽ちかけているのになぜか服は新品同然、いや、穴だらけのつぎはぎだらけで貧乏人のような服装だ。


「待ってたよ」


「おう。待たせたな」


「その手に持ってるものは僕が貰うよ。君には毒だよ」


「……そうか」


 立ち上がった幽霊に抵抗することなく男は鉄板を渡した。重そうに抱える幽霊は座る場所に置くのではなく、敷地の端の祠へ向かう。


「君と過ごした時間はサッカーボールの方が長かったけど、一番思い入れのあるものがこの鉄板だなんて、不思議だね」


 男は段々つぎはぎの服が直っていく彼についていった。


「そうだな。楽しかった思い出はもっと他にあるはずなんだが……」


「いいんだよ。ルイ……僕のことは忘れても」


「それはダメだ。俺の人生そのものじゃないか」


 彼は石像の前に鉄板を捧げた。


「これに教えて貰ったよ。色々なことをね」


「地蔵、じゃないな」


「僕も良く分からないけど、君がこれの仲間の何かを阻止したこと。ゆいさんのお父さんが居場所を離れられないこと、船長が嵐で死にそうになっていること。一杯、一杯聞いたから」


 彼は一度言葉を切った。体は透けておらず、地に足付けて立っている。


「ちょっと、傲慢かもしれない。僕が君の一番の理解者だってのは」


「以外と」


 男は頷いた。


「そうかもしれないぞ」


「ははつ。君らしい……でも、僕はもう生きてないからさ。棺桶にしがみ付いたのだって君だったし、骨を海に蒔いたのも君だ。死んでいるのに、また会う約束が忘れられない幽霊なんだって」


「……」


「そりゃあ怒ることもあったよ。ずっとここにいるのが僕自身のせいなんだから」


 男は腰を折り、濡れた土の地面に膝をつく。


 そして頭を擦りつける。


「すまない!ごめん!俺が、俺が!俺がお前にいって来いと言ったばかりに!」


 彼はないも言わない。ただ、優しい目で男を見つめる。


「俺が止めていれば!お前は死ななかった!」


 涙も雨に流される。


「ごめん!ごめん!ごめん!」


「……」


「ごめん!ごめん、ごめん……ごめん…………」


「……ルイ。僕はね」


 石像に手を置いた。


「君と過ごした日々を後悔したことは無いよ。楽しかった!嬉しかった!いつまでも、どこでも、ルイと一緒に遊べたら僕は世界一幸せな人間だった!あの日のことは君のせいじゃない!君のせいじゃないよ!」


「でも、でも……」


「でもじゃない!僕はあの時、ルイ以外の人と遊んで初めて楽しかったんだ!楽しい、楽しい記憶だ!」


「……」


「ルイ。君はもっと前を向いて歩いていいんだ。幸せになってもいいんだよ……僕に与えてくれたように」


 彼の身体が急に透けていく。男はその両手で掴もうとしたが、つかめずに地面に倒れてしまった。


「ルイがくれたように、僕が君にあげる番だ。海の方でも祈ってるからさ……ルイ。僕はずっと、君の幸せを願ってるね」


 とことん、彼は優しすぎる人間であった。倉庫に閉じ込められようと、学校でいじめられようと、サークルで虐げられようと。彼は恨むことなく、男をずっと待っていた。何年も何年も、おそらく男が死んでも待っていただろう。


「ありがとう。ルイ。さようなら。できれば幸せでね」


 優しい彼の身体が石像に消えていくと、男は声にならない涙を流して泥を飲んだ。雨の中ずっと、ずっと。

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