電車

改案堂

第1話

毎朝通勤する時、いつも思うことがある。

列を成すこの人達は、あの巨大質量が怖くないのか?と。



私は高校を卒業してすぐ、都会の会社に就職した。

勉強も地元も好きではなかったし、唯一の肉親である母親とも折り合いは悪かった。

何より私の事を知らない人ばかりの新天地で、自由になりたかった。


けれど、世の中そうは甘くないらしい。

ようやく決まった就職先は、決して楽しいばかりではなかった。

私の知らない細かいルールをチクチク指摘する先輩、顔を合わせる度に手を握りながら飲食に誘う営業、一番嫌なのは人の身体を舐め回すように見ながら指示を出す係長だ。


たくさんのストレスを抱え、それでも働かないと家賃は払えない。

少しでも生活費を浮かせるため、通勤時間を犠牲にして遠くへ引っ越す事を決心した。

電車通勤になるが、始発駅だから座れるだろう。

今までより早起きして到着したその駅には、一番嫌なものが居た。

係長だ。

見つからない様に降りた階段から遠ざかろうとしたのに、目敏く見つけられてしまった。

それからは、地獄の始まりだった。


乗車場所を変えても、時間をずらしても付いてくる。

なんなんだあのバーコードはげ頭、家庭に居場所が無いからと、小娘に執着するんじゃない。

おまけに本人は恋愛してるつもりらしく、職場で常に声を掛けられる様になった。

先輩や営業は近寄らなくなったが、仕事も進まない。


心身ともに疲れ果て食事は疎か仕事以外の外出も億劫になった頃、課長に呼び出された。

曰く、社内恋愛は否定しないが慎みを持て、とのとこ。

妻子ある係長に私が猛烈にアピールし、住居まで押しかけた事になっていた。

聞いた瞬間、眩暈がした。

その日は早退し、部屋に戻った。


それからは何も考えられず、気がついたら数ヶ月経っていた。

ふと思い立ち、いつも乗っていた駅にいつもの時間でゲートを通る。

居た。

ちょうど電車も、入ってくるタイミングだ。


スマホを弄る係長の背中を、力いっぱい押した。


数瞬後通り過ぎる、質量の暴力。


結論から言うと、係長はトマトにならなかった。

ホーム下の空間へとっさに入り、難を逃れたらしい。

私は当事者として拘束され、情状酌量という良く分からない言葉で解放された。

嫌な奴も職場も、事件以来どうなったか知らない。



職場も住む場所も変え、それでも生き無ければならない事に変わりは無い。

相変わらず毎朝眠気の中で電車を待ち、疲れた身体を引きずり電車で帰る。

とてつもない重さで沢山の人を呑み込む、私達はその怖ろしく巨大な化け物から逃れることは出来ない。

けれど、ひとつ判ったことがある。

一番怖いのは、それを操る人間だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

電車 改案堂 @kai20220512

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ