告解

香久山 ゆみ

告解

「私達の関係は、歪で、不適切なものでした」

 薄い睫毛を伏せて、目の前に座る彼女はそう言った。持って回った言い方だ。

「はあ」

 彼女の緊張感とは対照的に、私は間の抜けた返事をした。この長くなりそうな話をいかに断ち切るか、もしくはどうやって要点のみを話させるかということに、頭をフル回転させていた。

「お気づきの通り、多可良たからは私ども夫婦が待望してずいぶん遅くに授かった子です」

 五十手前で産んだと聞き、素直に「すごい」と声を上げてしまう。なら、現在十歳の多可良さんの両親は、私の親よりも年上ということだ。

「お若くて、とてもそうは見えないです」

 と出そうになった言葉を飲み込む。それが必ずしも褒め言葉として受け取られるか分からなかったから。代わりに、辞去の言葉を告げる。

「あの、ごめんなさい。次の面談の予定があるので、そのお話はまた今度……」

「いえ、大丈夫です。次は小林さんのお宅ですよね。うちで長引いて遅くなるかもしれないって、ちゃんと連絡済ですから大丈夫です」

 多可良さんのお母さんがにこりと笑う。

 時間がないのは嘘じゃない。今年赴任したばかりの慣れない土地での家庭訪問に苦戦している。それでも大抵のお宅では、児童が家の前で待っていて、私の姿を認めると「先生、こっち!」と声を掛けてくれる。けれど、多可良さんはクラスでも大人しい子なので、予想通り私を待っていてくれるなんてことはなく、提出された手書きの地図も分かりづらいし、地図アプリも家に到着する前にナビ終了するし、お蔭様で近所を三周も無駄に歩いてしまった。あと三分後にはもう小林くんの家の面談時間なのに。

 多可良さんのお母さんは、苦手なタイプだ。薄化粧だけれど年齢の割には若く見える。にこにこしていて何を考えているのかよく分からない。率直にいえば壺でも売りつけてきそうな印象。きっと話し終えるまで解放されないだろうと、腹を括る。

 座り直して、テーブルの上のティーカップを見つめる。「トイレに行きたくなると困るので」とひと口も付けていない。よその家の食べ物も食器も苦手だ。事前にプリントで何も出さなくていいと連絡したのに。

「私と夫の間には愛情はありません。ただ、出会った時に多可良が見えたのです。まるで天啓みたいに脳裏に愛らしい姿が浮かびました。しかし、当時夫には妻子がおりましたので、私から猛アプローチして略奪しました」

 話の中身にぎょっとする。慌てて振り返るが、さいわい多可良さんの姿は見えない。玄関先で挨拶したあと自室に引上げたのだろう。けれど、この母親の様子だと多可良さんもすでに事情は知っているのかもしれない。だから、いつも陰を背負ったように独りぼっちでいるのかもしれない。

「そんな経緯ですから、以来夫婦とも親戚付き合いはありません。友人も離れていきました。また、夫は資産家ですから、将来遺産争いに巻き込まれることもあるかもしれません。なのに、私達夫婦はその時多可良のそばにいてあげられないかもしれない」

 娘が成人式を迎える時、私達は七十になります。彼女は悲しそうに頭を伏せる。白髪染めの髪の根元は想像以上に真っ白い。

「だから、多可良には生きる力をしっかり身に付けさせてやりたいんです」

 先生もどうかお力添えいただき、私どもの宝をサポートしてくださいますよう、何卒よろしくお願いします。そう言って母親は土下座せんばかりに頭を下げた。

 私はその後頭部を見下ろして、詰めていた息をふっと吐き出した。なんてことだ。この人は、なんて――。

「お母さん、頭を上げてください」

 彼女の肩にそっと手を添える。

「大丈夫です。多可良さんのことは安心して任せてください。一緒に頑張っていきましょうね」

 微笑みかけると、彼女の体から力が抜けてくしゃりと泣き笑いの表情になる。

 この人は、なんてちょろい。

 隙だらけだ。どうしてこんなに簡単に自らの弱みを他人に曝け出すのだろう。教師は聖職だと信じているのだろうか。独りぼっちの子ども。振るわない成績。後ろ暗い過去。助言をくれる知人もいない。なかなかの資産があるらしい。

 私の中の悪い虫が目を覚ます。前職では警察沙汰こそ免れたものの、大分危ない橋を渡った。教師になって心を入れ替えようと思っていたのに。

 ティーカップに口を付ける。アッサムティーの甘味が口いっぱいに広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

告解 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ