第12話 新たな動き


「う~ん」


 私は大きく伸びをする。

 体の節々が痛い。だるい。まだ眠たい。

 でも、喉が渇いた。

 

 少々の葛藤のあとゆっくり目を開けると、目の前に赤毛と黒い瞳が見えた。

 私と目が合うと、微笑みながら顔が近づいてくる。

 

 寝ぼけていた頭が、瞬時に冴えわたる。

 慌てて飛び起き、距離を取る。

 これは、条件反射といってもいい。私の防衛本能が発動したのだ。


「おまえの寝顔を堪能していただけなのにな……」


 至極残念そうに、殿下も起き上がる。

 ここは、皇太子用に設置された天幕の中だ。

 彼は武官姿のままで、私は昨日借りた下男姿。お互い、服装の乱れは一切ない。

 大事な確認を終えると、ひとまず安堵の息を吐く。


「せっかく同衾どうきんできたのに、無防備なおまえに手を出さなかった俺を褒めてもいいぞ?」


「そんなの、人として当たり前じゃないですか!」


「よく考えれば、口づけくらいはしても良かったな。俺たちは、もう何度もしている仲だし……」


「何度もしていません!!」


 私は、なぜこんな危険人物の隣で寝ていたのだろうか。

 少し考えて、すぐに思い出す。


「私は、あのまま寝てしまったのですか?」


「そうだな。俺が戻ったときには、おまえは気持ち良さそうに眠っていたぞ……よだれをたらしながら」


 こんな風にな、と私の顔真似をする殿下を一睨みし、さりげなく口元を拭う。

 

 昨夜、下男に扮した私は、皇太子のお世話係として天幕内にいた。

 翌日に都へ戻るため、荷物の整理をしていたことまでは覚えている。

 

 指揮官たちと話し合いをしている殿下の帰りを待っていたはずなのに……


「大変、申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げて謝罪する。

 主の帰りを待たずに先に寝てしまうなんて、従者としてあってはならない失態だ。


「気にするな。一睡もせず馬で駆けつけてくれたのだから、疲れて寝てしまうのは当然だ。それより、顔を洗ってこい。朝餉を食べたら出発するぞ」


「はい」


 頬被りをし、顔を隠しながら水辺へと出た。

 明け方の空気は澄んでいて、とても気持ちがいい。

 離れた場所では煮炊きの煙がいくつも立ち上り、武官たちが思い思いに寛いでいる。

 昨夜、豪龍さんから聞いた話では、ケガ人は多数出たが死者は一人もいなかったとのこと。

 彼から、改めて礼を言われてしまった。

 誰一人欠けることなく都へ帰ることができて、本当に良かったと思う。


 顔を洗っていたら、日が昇ってきた。

 朝日を受けた湖面が輝いていく。

 初めて見る美しい光景をボーっと眺めていたら、殿下がやって来た。


「殿下、見てください! 綺麗ですね!!」


「ああ、そうだな」


 彼は湖ではなく、私の顔をじっと見ている。

 目尻が下がり、なんだかとても嬉しそうだ。


「どうかしましたか?」


「いや、なんでもない」


 私たちは、しばらく同じ光景を眺めていた。



 ◇



 天幕の中で、私と殿下、そして豪龍さんの三人で朝餉を食べている。

 私は殿下のお世話係のはずなのに、荷物をまとめたくらいで他になにもしていない。

 朝餉も、豪龍さんがここまで持ってきてくれた。


「───では、あの竜巻を起こしたのも、魔剣の力なのか?」


「そうです。『風を巻き起こせ』と命じました」


 私が駆けつけたときに、火柱が上がった。

 退魔の剣が、現世でも私を継承者として認めてくれるかは賭けだった。

 勝ったから良かったけれど。 


「ああ、例のやつだな。『継承者の名のもとに、退魔の剣に命じる───』だったか?」


「よく覚えていますね?」


「ハハハ……あれは、衝撃的だったからな」


 それで前世の自分が殺されたのだから、忘れられるわけがないか。

 私たちが苦笑していると、豪龍さんがおずおずと口を開いた。


「まさか、美鳳殿の前世が継承者で、それが現世でも…というのがすごいです。これからは、『美鳳様』とお呼びしなければなりませんね」


「やめてください! 私は豪龍さんから『美鳳ちゃん』って呼ばれるの、結構気に入っているのですよ? 本当のお兄さんみたい……あっ!!」


 バキッと箸が折れる音がした。

 自分が失言したことに気づいたが、時すでに遅し。

  

「そういえば、其方らにその件の詳細を聞くのを忘れていたな……」


 隣から、ものすごい怒気を感じる。

 絶対に顔を向けてはならないと、私の中で何かが警鐘を鳴らしていた。


「……まずは、豪龍からだ。一応其方へ確認をするが、よもや美鳳に懸想けそうしているのではあるまいな?」


 素の殿下ではなく、なぜか品行方正な皇太子殿下の口調になっている。

 だから、余計に怖い!


「懸想など、滅相もございません! 美鳳殿のことは、実の妹のように思っております!!」


 脂汗を流している豪龍さんを擁護すべく、私も口を開く。


「豪龍さんは、妹さんと同い年の私を気に掛けてくださっているだけです! 殿下の執務室の中では、唯一同じ身分の者同士ですから!!」


「ふむ、そういうことか……わかった」


 とりあえず、殿下は納得してくれたようだ。

 大惨事にならなくて良かったと、この時は心から安堵した私だったが……



 ◇



「えっと……殿下、この状態のまま都まで行くのでしょうか?」


「仕方あるまい。ケガをした者たちを、歩かせるわけにはいかぬからな」


 あれから、殿下の口調はずっと余所行き用のままだ。

 結論から言うと、彼はちっとも納得していなかった。

 かなり根に持っている。それだけは確かだった。


 ケガをして馬に乗れない武官たちを運ぶために、馬車を空ける必要があった。

 行きは、退魔の剣を台座ごと運ぶためだけに一台使用されていたが、帰りは殿下の馬車で運ぶことが決まり、まず一台を確保。

 次いで、荷馬車に積んできた荷物をそれぞれの馬車に少しずつ振り分けることで、二台の荷馬車を確保することが決まる。

 配下たちは、殿下の馬車にも荷物を積むことを躊躇したが、品行方正な皇太子殿下が押し切った。

 こうして、多少窮屈ではあるが、全員を馬車に乗せることができたのだ。


 殿下の馬車の座席の片側は、退魔の剣とその台座で埋まった。

 もう片側も半分以上荷物が積み込まれ、座席は大人一人分くらいしか空いていない。

 だから、(下男姿の)私は御者台に座る豪龍さんの隣に乗せてもらうのだと思っていた。


 ところが……


「其方は、羽根のように軽いな。きちんと食べているのか?」


「おかげさまで、たくさん頂いております」


「馬車が揺れると危ないから、私がしっかり支えておく。安心せよ」


「ありがとうございます」


 って、全然安心できるわけがない!

 殿下の膝の上に強制的に座らされた私は、彼にされるがままだ。

 後ろから抱きしめられ、頭や耳に口づけをされ、今は首筋に軽く唇が当たっている気がする。

 とにかく、殿下は私が逃げられないのをいいことに、やりたい放題だ。

 

「ハハハ! 周りの男をたぶらかす悪い女には、こういうお仕置きが必要だな」


「……これって、殿下がいつも私にやっていることでは?」


「俺は皇太子だからな、まったく問題ない」


 嫌味を返しても、まったく動じていない。

 それが余計に腹立たしい。


「そういえば……おまえも心構えが必要だろうから、事前に教えておいてやる」


「なにをですか?」


「今回のことで、俺たちの婚姻話が進みそうだ」


「……どういことですか?」


 不穏な、聞き捨てならない話が聞こえてきた。


「まず、最初に大事な話をしておく」


「あまり聞きたくないですけど、なんでしょう?」


「継承者の正体は周囲に明かさないと言ったが、父上と宰相だけには報告をしないわけにはいかない。これについては、すまないと思っている」


「それは、仕方ないですよね……」


 皇太子の立場としては、当然のことだ。

 私も、とやかく言うつもりはない。


「話を戻して……俺が、おまえを皇太子妃そして皇后にすると言っていることに、父上は今のところ静観している」


「静観ではなく、猛反対していただきたいです」


「宰相はあまり良い顔をしていなかったが、これから風向きが変わる」


「こちらは、変わらなくていいです」


「おまえは、いちいち話の腰を折るな!」


 怒られてしまった。

 

「……ゴホン。おまえが継承者であるとわかれば、宰相は国に取り込もうと必ず動く」


「えっ、まさか……」


「ようやく理解したか。国に取り込む方法はいくらでもあるが、一番良いのは重鎮の縁者と婚姻を結ぶこと。そして、おまえはすでに俺の寵姫だ」


 私はあなたの寵姫ではありません!と声を大にして言いたいが、また怒られそうなので止めておく。


「宰相は優秀だからな、仕事は早いぞ。というわけだから、おまえはひと月後には皇太子妃になっているだろう」


「絶対になりません! せっかく昔の勘を取り戻してきたのですから、私はあなたに勝って実力で阻止してみせます!!」


「ハハハ! 本当に諦めの悪い奴だな……」


「その台詞、そっくりそのままお返しします!」


 たとえ、どんなに強力な援軍が現れようとも、私は負けない。

 絶対に、平穏な生活を手に入れるのだから。



 ◆◆◆



 大陸から大海を越えた先に、一つの島がある。

 この島には多くの島民がいるが、皆赤い髪をしていた。


 島を一望できる高台に、石造りの堅牢な館が建っている。苔むした外観の、無骨な建物だ。

 三百年の長きにわたり、この館の主は不在である。

 その主に代わり、配下たちが島と館を守ってきた。


「頭領代理、続報が届きました」


 執務室で熱心に書き物をしていた人物が、顔を上げる。

 待ちに待った知らせがついに届いたのだ。

 細長い小型の筒を開けると、小さく折り畳まれた紙が入っている。

 この島と大陸間の情報伝達は、海鳥を使って行われていた。

 

「なんと書いてありますか?」


「やはり、継承者が現れたようだ」


「そうですか!」


 大陸に妖魔族が現れたという情報は、この島にも届いていた。

 数百年前、島にやって来た妖魔族と戦争になり、大勢の同族たちが命を落とした苦い歴史。

 三百年前から大陸へ行くことはなくなっても、妖魔族への警戒とに、雲紫インジー国へこっそり間者を送り込んでいた。

 

 大昔のように、妖魔族がこの島へも襲撃に来るかと警戒をしていたところ、討伐されたとの第一報が。

 詳細を知るために、頭領代理は続報が届くのを待ちわびていた。


「それで、継承者は男ですか? それとも、女?」


「目撃した武官たちの話では、不明のようだ」


 外套と覆いで、姿はまったく見えなかったらしい。

 ただ、背はそれほど高くなかったとの情報に、ふと脳裏に黒装束で正体を隠していた女の姿が浮かぶ。


(あの時と状況は似ている。もしや……)


「継承者は、雲紫国にいるのですか?」


「いや、剣を残して姿を消したらしい」


「せめて、性別だけでもわかれば良かったのに……」


 三百年前の一件のあと、歴代の頭領代理たちは継承者の動向をずっと探っていた。

 しかし、二百年前に継承者は途切れてしまった。

 

「……一度、雲紫国へ行ってみるか」


「それは危険では? 命を狙われますよ!」


「襲撃に行くわけではないから、大丈夫だろう。先に使者を送り、島の代表として公式に訪問する」


「しかし……」


「いずれにせよ、このまま頭領が不在なのは困るだろう?」


「それは、そうですが……」


 二百年ぶりに現れた継承者は、果たして自分たちが待ち望んだ者なのか。

 継承者と共に妖魔を討伐したという雲紫国の皇太子から、直接話を聞きたい。

 頭領代理の希望は、すぐさま島の重鎮らで検討される。

 そして、雲紫国へ使者を送ることが正式に決定されたのだった。



 こうして、美鳳と耀明は新たな動きに巻き込まれていくことになる。

 

                第一章 ~完~

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前世の宿敵と、現世で再会した私。宮廷でなぜか溺愛されています。 gari @zakizakkie

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