第4話

「ああ、可哀想な僕ちゃん。騙されていたのよ、貴方。あの男には将来を誓った彼女がいたと言ったでしょう。それにこちらの気持ちも考えずに口づけを迫るような輩よ?恋人になったとしても絶対に幸せなんかになれないわ」

 何を言っているのだろう、姉は。

 とうとう頭でもおかしくなってしまったのだろうか。頬を汗が伝う感触が気持ち悪い、汗を拭いたい気持ちとは裏腹に僕の腕は鉛になってしまったのだろうかという位に動かない。

 そんな僕にお構いなしに姉は口を開く。

「それにあいつは僕ちゃんの事を愛してなんかなかったわ。ただの同級生としてしかみていなかったし、何より手紙なんて書くのが大変なだけで話の内容もペラペラのくしゃみをしたら飛んでいきそうな位に薄くて飽きていたとも言っていたのよ」

「……うそだ」

「嘘じゃないわよ、本人に聞いたんだもの」

「彼がそんな事言う訳ないじゃないか!!僕を親友とまで言ってくれた、彼が!そんな事を…」

「私の弟だから」

 姉の言葉に全神経が沸騰しそうになった。綺麗に整えられた爪を眺めながら姉は呆れた表情をしながら鼻で笑う。

「私の弟だから仲良くしておけば、家に呼んでくれたり私と仲良くできるチャンスが巡ってくるかもしれない、だから仲良くしたんですって」

「なんで余計な事をするんだよ!だから手紙をくれなくなったのか?それなら姉さんのせいじゃないか!責任とってよ!今すぐに彼をここに連れてきてくれよ!」

 今まで抑えてきた感情の蓋が爆発したように僕は大声で怒鳴った、同時にコップから溢れる水分のように涙が止まらなくなる。

 どうして僕にこんな酷い事をするんだろう、この女は。

 そこまでして僕を傷つけたいのか、そこまでして僕を地獄のどん底に突き落として崖の上から惨めにもがく僕を嘲笑いたいのか。死んでしまえ死んでしまえ死んでしまえ!!!!

 憎くて憎くて仕方がない、今すぐにあの細く白い首に腕を回して締め殺してやろうか。そして四肢を切断して学校の池にでも投げれば浮き上がった頃には水分をたっぷりと含んでふやけ、風船のように膨張した醜い姿を学校中の生徒に見られてしまえばいいんだ。


「わかったわよ、彼に合わせてあげればいいのね。待っていないさい」

 そういうと、面倒臭いという雰囲気を隠しもせずため息をつくと彼女はベッドから降りて廊下へ向かう扉へと姿を消した。

 何を言っているのだろうか。

 彼が今すぐにでもここに来ると言うのか。そんな訳ない、そう頭で理解しているのに僕の心は彼に会えるかもしれないという、たったそれだけの気持ちで谷底から浮かび上がってしまっている。

 実は彼をここに呼び寄せといて僕をとびきり怒らせておいて、サプライズで引き合わせるつもりだったのだろうか。そうかもしれない、姉はそういう悪戯な部分も持ち合わせているから。

 慌ててベッドから降りると鏡に向かって覗き込むと、そこには酷い顔をした自分が立っていた。こんな姿では彼に心配されてしまうだろう、さっきは全く動かなかった腕は嘘みたいに軽々と動き髪を整えていく。

 両手で自分の頬を押さえ込み引っ張って無理矢理に笑みを作る。大丈夫だ、彼に会っても自然な笑顔を浮かべられる自信がある。


「お待たせ、僕ちゃん」

 相変わらず扉のノックもなく開け放たれたのに振り返ると、そこには姉一人が立っているだけだ。

「慌てないの、目を瞑って両手を出して。そう、お椀を持つようにするの」

 今いち現場を理解できていない僕をおいていくように、姉は早口で指示を出してくる。だけれどそんな事より彼がいるのもしれないという希望で僕は大人しく両目を瞑り、両手を胸の前でお椀型にした。一体どういう意味があるのだろか、もしかしたら姉が手紙をこっそり回収していてそれを渡してくるのかもしれない。そうして耳元でごめんよ、って優しい声で囁かれ、目を開ければ困ったように笑う彼が居るのだろう。


 不意にお椀型をした両手の上に何かが置かれた。


 指先の神経を総動員して触ると、それは岩のようにゴツゴツしていて、でも物凄く軽くて、変に突起物がついている。

「目を開けていいわよ」

 姉の言葉に従い目を開ける、そこには小さな少し歪な円を描き中が空洞になっていて小さな突起がいくつもついている真っ白い物体が鎮座していた。一体なんなのだろうか、これと彼になんの関わりがあるというのだろうか。

「姉さん、これは何?早く彼に合わせてよ」

「何言ってんの、合わせてあげているじゃない、僕ちゃんの目の前にいるでしょう」

 視線を手の中にある物体へ移すと姉は嬉々として頷き、細く綺麗な指でそれを指差す。

「冗談はやめてよ、というか、これ何?僕は早く彼に会いたいんだ、そんなつまらない冗談はいらないから」

 姉はきょとんとした表情を浮かべると次の瞬間に肩を揺らし大きな声で笑い、そして穏やかな笑みを浮かべると僕の手の中にある物体を指先で突く。

「だから、僕ちゃんの愛しい愛しい彼よ?名前は…なんだっけ、忘れちゃったわ。彼の喉仏。綺麗よねぇ、普通は焼いたりすると壊れちゃうんだけれど」

「は?」

「私たちの中で大事にされている部分なのよ、喉仏って。ここがないと声も出せないし。仏教的に仏様が坐禅を組んでいるように見えるんですって。

 お祖父様の時に見た時は何も思わなかったけれど、そういう見方もできるのね」

 僕の前で話す姉は、どこか高揚した表情で彼の喉仏だと言っているモノを指先でつつく。

「ねぇ、姉さん。嘘だよね、どこで拾ったの?気持ち悪いから返してきなよ」

「だから、あんたの大事な彼だって言っているでしょう?どうしちゃたの?」

「どうもしてないよ!?どうかしているのは姉さんの方だよ!どうしてこれが彼だと言えるんだい!」

「どうしてわからないのかしら、もう!そんなにいらないから私に頂戴、砕いて庭にでも捨てるわ」

 両手の中に鎮座しているモノを摘み上げると、姉は容赦なくそれを絨毯の上に転がし踏みつけたその瞬間、カサカサと何かが擦れるような音が鼓膜を震わせながら容易く崩れて粉砕されてしまった。

「私、僕ちゃんの赤い縄の人ができたって聞いた時はすごく嬉しかったの。きっとそれは血が繋がっている私とも同じ運命の人だと思ったから」

 姉は優雅にカーペットに座ると粉々になってしまった中の一つのかけらを掌に掬い上げ、煌びやかに光る宝石を見つけた子供のように窓から入る光にかざす。僕はだんだんと立っていられなくなり、力が抜けた様にその場に座り込むと姉の掌に鎮座しているそれを凝視した。

 本当にこれが彼だったら、どうするというのだ。喉がカラカラになり唾を飲み込むだけで痛みが走る。

「あんなのは私の番にも、あんたの番にも相応しくないわ。さっさと忘れなさい、次はお姉ちゃんが、ふさわしい子を見つけてあげるから。2人だけの赤い縄の先を見つけるのよ」

 女神の様な笑みを浮かべると姉は光にかざしていたソレを僕の口の中に、それはそれは優しい仕草で押し込んできた。

 僕に微かに残されていた理性が反射的に飲み込む事を否定するように舌で押し返そうとするも、姉の美しい瞳はそれを許さずただ口内をかけらで撫で回すように動かし飲めと言うように指先で舌を突く。


 ああ、でももしも。

 本当にこれが彼だったとしたら僕は、彼と一緒になれるのでは。そうしたらもう手紙が来なくて寂しい思いも、彼に恋人ができたんじゃないかとヤキモキする事も、将来、彼の隣に立つであろう女性に身勝手な嫉妬をする事もなくなるんじゃないのだろうか。

 飲み込んで仕舞えば、もう、報われない苦しい思いはしなくて済むのだ。


 僕は。


 抵抗することをやめ

 舌で彼なのだと確認するように舐めると

 ゆっくりと

 喉を鳴らして飲み込んだ。

                              終

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